「確信過剰」(cocksure)な人間が流す害毒

 神に与えられた使命だと信じることは,これまで人類を苦しめてきた確信の多くの形態の一つである。恐らく,今までに言われた言葉のうちで,もっとも賢明なものの一つは,ダンバーの戦いの前に,クロムウェルがスコットランド人に言った次のような言葉だと思う。「キリストの慈悲において,あなた(方)に懇願します。自分(たち)が間違っていることもありうる,と考えてください。
しかし,スコットランド人は,そうは考えなかったので,クロムウェルは戦いで彼等を打ち破らねばならなかった。★しかし,クロムウェルが,同じ言葉(物言い)を一度も自分自身に対して言わなかったのは,残念なことである。★  人間が(同じ)人間に対して行ってきた最大の悪の大部分は,実際は誤まっている何事かについて,まったく確実だと感じた人々によって(を通して)行なわれてきたことである。真理を知ることは,大部分の人々が考えるよりももっと難しいことであり,真理を独占するのは自分たちの党派だ,と信じて無慈悲な決意を持って行動することは,大きな災害を招くことである。現在におけるある種の悪は,将来におけるいくらか疑わしい利益のためにあえて行う価値がある,という長期的な推定(計算)は,常に疑いを持って眺めなければならない。なぜなら,シェイクスピアが言っているように,「将来というものは,いまだ確実ではない」からである。最も洞察力のある人でさえ,十年もの将来を予言するような場合には,ひどく外れがちである。このような説を不道徳だと考える人がいるかも知れないが,結局のところ,「明日を思い煩うことなかれ」と述べているのは聖書なのである。

Belief in a Divine mission is one of the many forms of certainty that have afflicted the human race. I think perhaps one of the wisest things ever said was when Cromwell said to the Scots before the battle of Dunbar: ‘I beseech you in the bowels of Christ, think it possible that you may be mistaken.’ But the Scots did not, and so he had to defeat them in battle. It is a pity that Cromwell never addressed the same remark to himself. Most of the greatest evils that man has inflicted upon man have come through people feeling quite certain about something which, in fact, was false. To know the truth is more difficult than most men suppose, and to act with ruthless determination in the belief that truth is the monopoly of their party is to invite disaster. Long calculations that certain evil in the present is worth inflicting for the sake of some doubtful benefit in the future are always to be viewed with suspicion, for, as Shakespeare says: ‘What’s to come is still unsure.’ Even the shrewdest men are apt to be wildly astray if they prophesy so much as ten years ahead. Some people will consider this doctrine immoral, but after all it is the Gospel which says ‘take no thought for the morrow’.
出典:Bertrand Russell: Ideas That Have Harmed Mankind,1946.
詳細情報:https://russell-j.com/beginner/0861HARM-180.HTM

<寸言>
他人に対して明確な言葉で説明できないけれども自分は正しいと強く信じることから「確信過剰」(cocksure)が生まれる。相手が納得できるように説明できるのであれば「信じる」という現象は起こらない。論理や理屈で説明できないからこそ「信じる」ことになる
 他人がどう思おうと思想・信条の自由があり勝手なことであるが、権力を持った人間(政治家など)がそのような「確信過剰」を抱くと危ないことになる。権力者は他人に対して実際的な影響を及ぼしうるからである。
最悪なのは戦争を始めることであろうが,戦争に導くような政策(武器輸出,防衛目的という口実での核兵器の許容、「基本的な価値観」が異なる仮想敵国に対する敵対的行為、その他)をとることも同様に非難されるべきであろう。