<皆様:重要な部分ではなくわかりにくいところは、読み飛ばしてください。>
(続き)さて内面的関係の公理の意味とそれに対する賛否の理由(根拠)についてもっと入念に(closely)考察してみよう。まず、全ての関係がその諸項の本性(性質)によってまたは諸項が構成する全体の本性(性質)によって実際に(本当に)構成されると考えるか、あるいは、全ての関係は単にそれらの諸項の本性(性質)の中に(ひとつの)基礎を持っているだけであると考えるか、のいずれで考えるかに従って、(内面的関係説には)二つの意味がありうる(が可能である)。(しかし)観念論者たちがこれらの二つの意味を区別しているとは私には認められない(I do not observed that idealists distinguish ~:区別しているのを見た(観察した/気づいた)ことがない)。実際、一般的にいって(大雑把に言って)、彼ら(内面的関係説の立場の哲学者たち)は,(一つの)命題とその命題の帰結とを同一視する傾向があり、そうしてプラグマティズム(実用主義)の顕著な信条の一つを具現化している。けれども、内(面的関係説における)二つの意味を区別することは、--それは、この後で見るように、関係というものは(そもそも)全く存在しないという見解に導くので-- 2つの意味を区別しない場合に比べて、重要性がより少ない。(注:とまり、2つの意味を区別しないことは大きな問題を起こすので、より重大でありよく検討する必要がある、ということ。)
Chapter 5: Revolt into Pluralism, n.3
Let us now consider more closely the meaning of the axiom of internal relations and the grounds for and against it. We have, to begin with, two possible meanings, according as it is held that every relation is really constituted by the natures of the terms or of the whole which they compose, or merely that every relation has a ground in these natures. I do not observe that idealists distinguish these two meanings ; indeed, speaking generally, they tend to identify a proposition with its consequences, thus embodying one of the distinctive tenets of pragmatism. The distinction of the two meanings is, however, less important than it would otherwise be, owing to the fact that both meanings lead, as we shall see, to the view that there are no relations at all.
Source: My Philosophical Development, chap. 5:1959.
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