ラッセル『権力-その歴史と心理』第9章 世論に対する影響力 n.8

 権力の保持者が(人々の)信念に影響を与える能力を獲得するのは繰返しのもつ効果(繰り返し言うことによる効果/効能)を通してである。公的宣伝には,古い形態と新しい形態がある。キリスト教会は,多くの点で,賞賛すべき一つの(宣伝)技術をもっているが,それは,印刷術発達以前の技術であり,従って,現在では昔ほどの効果的なものではない。国家も,幾世紀かに渡って,いくつかの方法を採用してきた。たとえば、コイン貨幣に王の顔を刻みつけたり,戴冠式(coronations 即位式)や記念祭(jubilees 25年祭,50年祭,75年祭など)を挙行したり,陸海軍の(艦隊視察や観兵式などの)華々しい面(spectacular aspects)を見せたり,等々である。しかしそうした方法も,教育,新聞,映画,ラジオ(注:現代でいえばTV,マスコミ、ネット)などのようなもっと近代的な方法に比べれば,はるかに非効果的である(効果が少ない)。このような近代的な方法は,全体主義国家においては極度に利用されているが,しかし,その成否について判断するのは,時機尚早である。

Chapter IX: Power Over Opinion, n.8

It is through the potency of iteration that the holders of power acquire their capacity of influencing belief. Official propaganda has old and new forms. The Church has a technique which is in many ways admirable, but was developed before the days of printing, and is therefore less effective than it used to be. The State has employed certain methods for many centuries : the King’s head on coins; coronations and jubilees; the spectacular aspects of the army and navy, and so on. But these are far less potent than the more modern methods : education, the press, the cinema, the radio, etc. These are employed to the utmost in totalitarian States, but it is too soon to judge of their success.
 出典: Power, 1938.
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ラッセル『権力-その歴史と心理』第9章 世論に対する影響力 n.7

 合理的な(理性的な)訴え不合理な(理性的でない)訴え(注:人に注目すれば「理性的な」,内容に注目すれば「不合理な」)との間の対立(opposition)は,実際には,右の(上記の)分析ほどはっきりしたものではない。(いかなる訴えにも)通常,何らかの合理的な証拠が存在しているけれども,決定的な証拠としては(結論を出すためには)十分ではない。(そうして)不合理(性)(irrationality)は,そのような何らかの合理的な証拠に過大な重要性(重み付け)を与えることにある。信念は,単に伝統的なものでない場合には,それはいくつかの要因の産物である。それらの要因には,欲求,証拠,繰返しがある。欲求も,証拠も,いずれもゼロであれば(なければ),信念は生れてこないであろう。(一般人に)外部に対する主張(outside assertion 対外的な主張)がまったくない場合には,宗教の創始者とか,科学上の発見者とか,狂人のような例外的な人物(characters 複数形になっていることに注意)の中においてのみ,信念は生じるであろう。社会的に重要な何らかの大衆的信念を生みだすには,上記の三つの要素(欲求,証拠,繰り返し)が全てある程度なくてはならない。しかし,たとえ一つの要素が増して他の要素が減じたという場合にも,結果として生ずる信念の(総)量に(は)変化がないかも知れない(注:”If” = “Even if”)。もし2つの信念が等しく満足な場合には(欲求を満たしてくれる場合には),強い証拠がある信念よりもほとんど証拠がない信念を受け入れさせるためには,より多くの宣伝が必要である,といった具合である。

The opposition between a rational and an irrational appeal is, in practice, less clear-cut than in the above analysis. Usually there is some rational evidence, though not enough to be conclusive ; the irrationality consists in attaching too much weight to it. Belief, when it is not simply traditional, is a product of several factors: desire, evidence, and iteration. When either the desire or the evidence is nil, there will be no belief; when there is no outside assertion, belief will only arise in exceptional characters, such as founders of religions, scientific discoverers, and lunatics. To produce a mass belief, of the sort that is socially important, all three elements must exist in some degree; but if one element is increased while another is diminished, the resulting amount of belief may be unchanged. More propaganda is necessary to cause acceptance of a belief for which there is little evidence than of one for which the evidence is strong, if both are equally satisfactory to desire; and so on.
 出典: Power, 1938.
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ラッセル『権力-その歴史と心理』第9章 世論に対する影響力 n.6

 人間に関わる問題における理性の力(理性がどれだけの力をもっているか)については,これくらいにしておこう。今や私は,力ずくでない説得のもう一つの形態,即ち、宗教の創始者による説得について述べるべき時が来た。ここにある,装飾のない(裸の)公式に帰せられるプロセスは,こうである(次のようになる)。(即ち)もしある(一定の)命題が真理であれば,私は自分の欲求を実現することができるであろう。従って,私はこの命題が真実であらばと思う(真実であることを望む)。従ってまた,もし私に特別の知的自制力がないのであれば,私はこの命題が真理であると信ずる。正統派の信仰(正説)を信じて有徳な人生を過ごせば,死んだ時に天国に行けると聞いている。このことを信ずることには喜びがある。そうして,それゆえに(and therefore),もしそのことが強制的に示されても,私は恐らくそれを信ずるであろう(注: みすず書房版の東宮訳では ”… forcibly presented to me …” のところを「もしこのことが★力強く★示されるならば,私は多分これを信じるであろう」となっている。”if” はここでは “even if”の意味であり、前述のように正しいことは間違いないので,たとえ権力者によって信じることを強制されたとしても(forcibly presented to me),多分,私は抵抗なく信じるだろう,といったニュアンス)。ここにおいて,信じる理由は,科学における場合のように事実という証拠によるものではなく,信ずることから生ずる心地よい感情であり,その感情(気持ち)にはこの信念を信じられるものだと思わせる環境における主張の十分な力強さが伴っている(のである)(注:ヒトラーの演説に対する大衆の歓喜の姿を想像してみよう/麻生副総理の言う,ヒトラーの手口の一つ)。

 広告の力もこれと同じ部類に入る。これこれしかじかの丸薬(の効能)を信ずることが心地よいのは,この丸薬が健康(回復)の希望を与えてくれるからである。この丸薬の効能の卓越さが繰返し強く主張されるならば,その丸薬の効能を信ずる可能性がある。国家による宣伝のように,非合理な宣伝も合理的なものと同じように現在の(現在存在している)欲求に訴えかけなくてはならないが,非合理的な宣伝は事実に対する訴えかけの代りに反復をもってするのである(注:何度も反復していれば信じる人も増えてくる)

Chapter IX: Power Over Opinion, n.6

So much for the power of Reason in human affairs. I come now to another form of un-forceful persuasion, namely that of the founders of religions. Here the process, reduced to its bare formula, is this: if a certain proposition is true, I shall be able to realize my desires ; therefore I wish this proposition to be true; therefore, unless I have exceptional intellectual self-control, I believe it to be true. Orthodoxy and a virtuous life, I am told, will enable me to go to heaven when I die; there is pleasure in believing this, and therefore I shall probably believe it if it is forcibly presented to me. The cause of belief, here, is not, as in science, the evidence of fact, but the pleasant feelings derived from belief, together with sufficient vigour of assertion in the environment to make the belief seem not incredible.

The power of advertisement comes under the same head. It is pleasant to believe in so-and-so’s pills, since it gives you hope of better health; it is possible to believe in them, if you find their excellence very frequently and emphatically asserted. Non-rational propaganda, like the rational sort, must appeal to existing desires, but it substitutes iteration for the appeal to fact.
 出典: Power, 1938.
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ラッセル『権力-その歴史と心理』第9章 世論に対する影響力 n.5

 このような例から,理性一般の力について,何らかのことを学ぶことができそうである。科学の場合において,理性が偏見に打ち勝ったのは,科学が現在の(諸)目的を実現する手段を提供したからであり,また,科学がそれらの目的を成し遂げたという証拠が圧倒的だったからである。理性には人間に関する(諸)問題においては力を有していないと主張する人々は,この二つの事情(conditions)を見落している。もし,あなたが,理性の名において,ある人に彼の根本的な目的を変えよと命ずるならば -たとえば,自分自身の権力の追求よりもむしろ一般の幸福(例:国民全体の幸福)を追求せよというようなことを命ずるならば- それは失敗に終わるであろうし,また失敗するのは当然であろう。なぜなら,理性だけでは人生の目的を決めることはできないからである。それにまた,もし深く根をおろした世の中の偏見を攻撃する際に,あなたの議論(論拠)に疑問の余地があったり,あるいは,議論(論拠)がとても理解が困難で,科学者にしかその議論(論拠)のもつ力がわからないというような場合にも,同様に失敗に終わるだろう。しかし,あなたが,(提示される)証拠を吟味する手間を厭わないような分別のある人の全て(every sane man)を証拠によって,現在の(諸)欲求の満足を容易にする手段をあなたが持っているということを証明できれば,あなたは一定程度の自信を持って,人々は最後にはあなたの言うことを信じるだろうと思ってよいであろう。これには,もちろん,あなたが満足させることのできる現在の欲求とは,権力をもっている者あるいは権力を持つことができる者の欲求である,という但し書きが必要である。(注:説得しようとする人間の欲求が権力者の「根本的欲求」と同じになる時に力を発揮する)

Chapter IX: Power Over Opinion, n.5

From this example, something may be learnt as to the power of Reason in general. In the case of science, Reason prevailed over prejudice because it provided means of realizing existing purposes, and because the proof that it did so was overwhelming. Those who maintain that Reason has no power in human affairs overlook these two conditions. If, in the name of Reason, you summon a man to alter his fundamental purposes — to pursue, say, the general happiness rather than his own power — you will fail, and you will deserve to fail, since Reason alone cannot determine the ends of life. And you will fail equally if you attack deep-seated prejudices while your argument is still open to question, or is so difficult that only men of science can see its force. But if you can prove, by evidence which is convincing to every sane man who takes the trouble to examine it, that you possess a means of facilitating the satisfaction of existing desires, you may hope, with a certain degree of confidence, that men will ultimately believe what you say. This, of course, involves the proviso that the existing desires which you can satisfy are those of men who have power or are capable of acquiring it.
 出典: Power, 1938.
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ラッセル『権力-その歴史と心理』第9章 世論に対する影響力 n.4

 今日,人間に関する諸問題における一つの(強い)力としての理性をけなすことが慣例となっているが,それにもかかわらず,(理性の象徴である)科学の勃興はそれとは反対側の論拠となる圧倒的な力を有している(注:科学は人間の理性に対する信頼を高める力となる,ということ)。科学者(たち)は,知的な俗人たち(注:intelligent laymen 科学の門外漢)に、ある種の知的な物の見方は武勇や富に役立つことを証明した(明らかにした)。こうした(武勇とか富というような)目的に対する欲求にはとても熱烈なものがあったので,新しい科学的な物の見方は,伝統の(強い)力があったにもかかわらず,また教会の歳入やカトリック神学と結びついた様々な感情があったにもかかわらず,中世(時代)の物の見方を圧倒した(のである)。世界はもはやヨシュア(注:モーゼの後継者で,イスラエル民族の指導者)が太陽を静止させたというようなことを信じなくなった。それは(天動説を唱えた)コペルニクスの天文学が航海に役立ったからであった。世界がアリストテレスの物理学を放棄したのは,ガリレオの落下物体の理論が砲弾の軌道の計算を可能にしたからであった。世界がノアの洪水の物語を拒否したのは,地質学が鉱業(採鉱)に役立つからである,等々。
 
 このようなしだいで,現在では,科学が戦争においても,平時における産業にも不可欠であり、また、科学なくしては,国家は強力にもなれないし富むこともできないということは,一般に認められている。(注:みすず書房版の東宮訳では “in peace-time industry” を「平和産業」と誤訳している)
 
 こういった世論に対する影響は,単に事実に訴えることを通して、科学によって成就されてきた(注:東宮氏は “All this effect on opinion” を「意見に及ぼす,このような影響も・・・」と訳しているが,ここでの “opinion” は単なる個々人の意見に対する影響ではなく「世論」に対する影響と考えて訳すべきであろう。もちろん,世論は個々人の意見の一般的集約ではあるが・・・。)。一般理論として科学が言うことは,疑問に付すことができるものであるが,技術としての科学の結果は誰にとっても明らかである。科学は白人に世界の支配権を与え(たが),日本人が科学技術を獲得した以降にのみ(以降に初めて),白人の支配権は失われ始めている(のである)。

Chapter IX: Power Over Opinion, n.4

It is customary now-a-days to decry Reason as a force in human affairs, yet the rise of science is an overwhelming argument on the other side. The men of science proved to intelligent laymen that a certain kind of intellectual outlook ministers to military prowess and to wealth; these ends were so ardently desired that the new intellectual outlook overcame that of the Middle Ages, in spite of the force of tradition and the revenues of the Church and the sentiments associated with Catholic theology.he world ceased to believe that Joshua caused the sun to stand still, because Copernican astronomy was useful in navigation ; it abandoned Aristotle’s physics, because Galileo’s theory of falling bodies made it possible to calculate the trajectory of a cannon-ball ; it rejected the story of the flood, because geology is useful in mining; and so on. It is now generally recognized that science is indispensable both in war and in peace-time industry, and that, without science, a nation can be neither rich nor powerful.

All this effect on opinion has been achieved by science merely through appeal to fact : what science had to say in the way of general theories might be questionable, but its results in the way of technique were patent to all. Science gave the white man the mastery of the world, which he has begun to lose only since the Japanese acquired his technique.
 出典: Power, 1938.
 詳細情報:https://russell-j.com/beginner/POWER09_040.HTM

ラッセル『権力-その歴史と心理』第9章 世論に対する影響力 n.3

 けれども,いかなる段階においても,強制力の助けを借りずに,世論(opinion)に影響を及ぼす重要な例がいくつか存在している。こうした例のなかで最も顕著なものとして科学の勃興がある。今日,科学は,文明国においては,国家によって奨励されているが,科学の初期の時代はそうではなかった。ガリレオは自分の主張を撤回させられたし,ニュートンも造幣局長(Master of the Mint,)にさせられて(研究することを)禁ぜられたし,ラヴォワジェも「フランス共和国は科学者(化学者)を必要としない」という理由でギロチン台で処刑された。にもかかわらず,これらの人々や彼らに類似した少数の人々は,近代世界の創造者であり,彼らの(人類の)社会生活に及ぼした影響(力)は,キリストとアリストテレスを除き,歴史に知られている他のいかなる人物の影響(力)よりも大きかった。これと比較できる影響(力)を与えた唯一の人物はピタゴラスであるが,彼は実在の人物かどうか疑わしい。

Chapter IX: Power Over Opinion, n.3

There are, however, some important instances of influence on opinion without the aid of force at any stage. Of these the most notable is the rise of science. At the present day, science, in civilized countries, is encouraged by the State, but in its early days this was not the case. Galileo was made to recant, Newton was estopped by being made Master of the Mint, Lavoisier was guillotined on the ground that “la Republique n’a pas besoin de savants.” Nevertheless these men, and a few others like them, were the creators of the modern world; their effect upon social life has been greater than that of any other men known to history, not excluding Christ and Aristotle. The only other man whose influence was of comparable importance was Pythagoras, and his existence is doubtful.
 出典: Power, 1938.
 詳細情報:https://russell-j.com/beginner/POWER09_030.HTM

ラッセル『権力-その歴史と心理』第9章 世論に対する影響力 n.2

 かくして,我々は一種の一進一退(追いつ追われつのゲーム)の状態にある。 第一に,少数者を改心(回心)へと導く純粋の説得がある。次に(第二)に,(純粋な説得だけではだめな)社会の残り人たち(the rest of the comunity)を適切な宣伝(注:right propaganda それらの人々にあった宣伝?)にさらすためにふるわれる力(force 強制力)がある。そして最後に(第三に)、力(強制 力)の使用を再び不要にさせる,大多数の側の純粋な信念がある。ある穫の意見(opnion 世論)は決して第一の段階を越えることはなく,ある種の意見 (世論)は第二の段階に達した後に効力を失い,その他の意見(世論)はこれら3つの段階全てにおいて成功をおさめる。

(キリスト教の)フレンド教会(友愛教会)は,決して説得の段階(注:第一の段階)を越えたことがない。フレンド教会以外の非国教徒はクロムウェルの時代に国家の様々な力(強制力)を獲得したが,権力掌握以後の宣伝において失敗した。カトリック教会は300年(三世紀)にわたる説得の後に,コンスタンティヌス帝の時代に国家を虜にし(注:ローマをキリスト教に変えたこと) ,その後,カによって一つの宣伝組織を確立し,それによってほとんど全て の異教徒を(キリスト教に)改宗させ,キリスト教が蛮族の侵入を切り抜けて生き残ることを可能にした。マルクス主義の信条は,ロシアにおいて,第三の段階とはいかないまでも,第二の段階に達したが,ロシア以外の国のいずれにおいてもいまだ第一段階にある。(訳注:ここでマルクス主義が出てくるのは, 「狂信的な信条」は宗教と同じだとラッセルは考えているため。)

Chapter IX: Power Over Opinion, n.2

We have thus a kind of see-saw: first, pure persuasion leading to the conversion of a minority ; then force exerted to secure that the rest of the community shall be exposed to the right propaganda ; and finally a genuine belief on the part of the great majority, which makes the use of force again unnecessary. Some bodies of opinion never get beyond the first stage, some reach the second and then fail, others are successful in all three. The Society of Friends has never got beyond persuasion. The other nonconformists acquired the forces of the State in the time of Cromwell, but failed in their propaganda after they had seized power. The Catholic Church, after three centuries of persuasion, captured the State in the time of Constantine, and then, by force, established a system of propaganda which converted almost all the pagans and enabled Christianity to survive the Barbarian invasion. The Marxist creed has reached the second stage, if not the third, in Russia, but elsewhere is still in the first stage.
 出典: Power, 1938.
 詳細情報:https://russell-j.com/beginner/POWER09_020.HTM

ラッセル『権力-その歴史と心理』第9章 世論に対する影響力 n.1

 世論(の力)は万能であってそれ以外の権力形態は全て世論から出てくる,という見解に対する賛成論を述べることは容易である(注:make out a case for ~に対する賛成論を述べる)。軍隊は兵士たちが彼らが闘っている大義(目的が正しいこと)を信じていなければ役にたたないし,傭兵の場合には,自分たちの指揮官が彼らを勝利へと導く能力を持っていると信頼していなければ役に立たない。法律も一般的に尊重されていなければ(一般国民が尊重していなければ)無力である。経済制度も法に対する敬意(法の尊重)に依存している。たとえば,平均的な市民が貨幣偽造にまったく抵抗しなければ,銀行業務はいったいどうなるであろうか? 宗教上の世論(注:religious opinion 宗教上の多くの人々の共通意見)は国家よりも強力であることを(宗教はこれまで)しばしば証明してきた。仮に,いかなる国においても,大多数の者(国民)が社会主義に賛成するのであれば,資本主義は実行不可能となる。このような根拠から,世論こそ社会問題における究極的な権力であると言うことも可能であろう。

 しかし,このような見方は,半面の真理に過ぎない。というのは,そう言った見方は世論を引き起こす諸カを無視しているからである。世論は軍事力における不可欠の要素であるのは真実である一方,軍事力は世論を生みだしうることも等しく事実である。ほとんどいずれのヨーロッパの国も,16世紀末のヨーロッパの政府の宗教(国家宗教)を,現在,自国の(公認)宗教としており,これは,主として,数ケ国において,軍事力によって(宗教的)迫害と宣伝を取り締まったことに(その原因を)帰せなければならない。世論を精神的な原因のせいだと見なすのが伝統的である。しかし,これは直接的な原因についてだけあてはまることである。背景には,何らかの信条のための力(注:force in the service of some creed 信条に奉仕する力)が働いているのが通例である。

 これに反して,信条というものは,最初はその意のままにカを持てるものではなく,広汎な世論を生みだす第一歩は,説得という手段のみによって,踏み出されなければならない(のである)。

Chapter IX: Power Over Opinion, n.1

It is easy to make out a case for the view that opinion is omnipotent, and that all other forms of power are derived from it. Armies are useless unless the soldiers believe in the cause for which they are fighting, or, in the case of mercenaries, have confidence in the ability of their commander to lead them to victory. Law is impotent unless it is generally respected. Economic institutions depend upon respect for the law ; consider, for example, what would happen to banking if the average citizen had no objection to forgery. Religious opinion has often proved itself more powerful than the State. If, in any country, a large majority were in favour of Socialism, Capitalism would become unworkable. On such grounds it might be said that opinion is the ultimate power in social affairs.
But this would be only a half-truth, since it ignores the forces which cause opinion. While it is true that opinion is an essential element in military force, it is equally true that military force may generate opinion. Almost every European country has, at this moment, the religion which was that of its government in the late sixteenth century, and this must be attributed mainly to the control of persecution and propaganda by means of the armed forces in the several countries. It is traditional to regard opinion as due to mental causes, but this is only true of the immediate causes : in the background, there is usually force in the service of some creed.
Per contra, a creed never has force at its command to begin with, and the first steps in the production of a wide-spread opinion must be taken by means of persuasion alone.
 出典: Power, 1938.
 詳細情報:https://russell-j.com/beginner/POWER09_010.HTM

 ラッセル『権力-その歴史と心理』第8章 経済的な権力 n.23

 単一国家内の経済関係において,法律は,他者(他人)から富を引き出す方法において何が可能か(許されるか)ということに対して,制限(限界)をもうける(置く)。一個人あるいは一集団は,他人が欲しがるものについて,完全なあるいは部分的な独占権を保有していなければならない(注:そうでなければ売買などはできない)。独占権法によって生み出すことができる。たとえば,特許や著作権や土地の所有権である。独占権は,また,企業合同(trust unions)や職種別労働組合(trade unions)の場合のように,結合(合同)によっても生みだすことができる。私的個人あるいは団体(集団)が(売買の)交渉によって引き出せるものは別として,国家は,自らが欲しいと思うものは何でも,力づくで手に入れる権利を保持している(注:国による没収など)。しかも,影響力のある民間団体は,全体としての国民にとっては必ずしも有利ではないがそれらの民間団体にとっては有利なやりかたで戦争をする権力を国家に行使させることもできるのと同様に,力づくによる収奪の権利を行使するように国家を誘導することもできる(注:米国や英国の石油メジャーが中東の油田を支配下に置いた歴史的経緯を想起すればよいだろうか?)。(たとえば)影響力のある民間団体は,国の法律を,その団体にとっては都合がよいような(性格の)のものにすることもできる。たとえば,雇傭者の団結は許可するが,貸金労働者の団結は許可しないというような法律(の制定)である。このようにして,個人または団体(集団)の保有する経済的権力の実際の程度は,経済学で通常考えられている諸要因に依存するのとまったく同様に,軍事力の強さや宣伝を通しての影響力に依存している一つの独立した科学(学問)としての経済学は非現実的なものであり,これが実践上の指針とし採用されるようなことがあれば,人を誤らせる(ことになる)。経済学は -大変重要な要素であるが- もっと幅広い研究,即ち,権力の科学の一つの要素である

Chapter VIII: Economic Power, n.23

In the internal economic relations of a single State, the law sets limits to what can be done in the way of extracting wealth from others. An individual or a group must possess a complete or partial monopoly of something desired by others. Monopolies can be created by law ; for example, patents, copyrights, and ownership of land. They can also be created by combination, as in the cases of trusts and trade unions. Apart from what private individuals or groups can extract by bargaining, the State retains the right to take by force whatever it considers necessary. And influential private groups can induce the State to use this right, as well as the power of making war, in a manner which is advantageous to themselves though not necessarily to the nation as a whole; they can also cause the law to be such as is convenient to themselves, e.g. by allowing combinations of employers but not of wage-earners. Thus the actual degree of economic power possessed by an individual or group depends upon military strength and influence through propaganda quite as much as upon the factors usually considered in economics. Economics as a separate science is unrealistic, and misleading if taken as a guide in practice. It is one element — a very important element, it is true — in a wider study, the science of power.
 出典: Power, 1938.
 詳細情報:https://russell-j.com/beginner/POWER08_230.HTM

ラッセル『権力-その歴史と心理』第8章 経済的な権力 n.22

 本章で述べたことを要約しよう。即ち,

 一軍事単位(それは数カ国の独立国家によって編成されることもある)の経済力は以下の4つ(の条件)に依存している。

a) 領土/領空/領海の防衛能力
b) 他国の領土/領空/領海に脅威を与える能力
c) 原材料,食糧及びエ業技術(産業の技術・技能)の保有
d) 他の軍事単位が必要とする物品やサービスの供給能力

 これら全てにおいて,軍事的要因と経済的要因はどうしようもないほど混じ り合っている。たとえば,日本は,純粋に軍事的な手段で,「偉大な」軍事力 に欠くことのできない原材料を中国で獲得した。また,同様にして英国とフラ ンスも,近東(Near East)の石油を獲得した。しかし,両者(日本も英仏) ともに,それ(他国の領土への侵入/侵略)以前に,かなりの程度のエ業的発 展(産業の発達)がなかったならば,それ(他国の領土への侵入など)は不可能であったであろう。戦争における経済的要因の重要性は,戦争がより機械化 され,科学的なものになるにつれて,着実に増大している。しかし,経済的資源が勝っている側が必ず勝利するに違いないと仮定することは危険である 。国民的感情を生みだす上での宣伝の重要性も,経済的要因の重要性と同様 に増してきている

Chapter VIII: Economic Power, n.22

To sum up what has been said in this chapter: the economic power of a military unit (which may be composed of several independent States)
depends upon (a) its capacity to defend its own territory, (b) its ability to threaten the territory of others, (c) its possession of raw materials, food, and industrial skill, (d) its power of supplying goods and services needed by other military units. In all this, military and economic factors are inextricably mingled ; for example, Japan, by purely military means, has acquired in China raw materials which are essential to great military strength, and in like manner
England and France have acquired oil in the Near East, but both would have been impossible without a considerable degree of previous industrial development. The importance of economic factors in war steadily increases as war becomes more mechanized and scientific, but it is not safe to assume that the side with superior economic resources must necessarily be victorious. The importance of propaganda in generating national feeling has increased as much as that of economic factors.
 出典: Power, 1938.
 詳細情報:https://russell-j.com/beginner/POWER08_220.HTM