ラッセル『権力-その歴史と心理』第6章 むきだしの権力 n.18

 ルネッサンス時代のイタリアは,古代ギリシアと非常に似たところがある。 しかし,ルネッサン期イタリアにおける混乱(状態)は,古代ギリシア時代よ りも,より大きくさえある。ルネッサン期イタリアには,ギリシアに倣った (模倣した)寡頭政治の商業的共和国があり,専制政体があり,封建主義的起源をもつ公国があり,さらに教会国家(the States of the Church)があった。
教皇はイタリア以外の地では尊敬を集めていたが,教皇の息子たちはそうはい かなかった。そうして,チェザーレ・ボルジア(注:1492年に父ロドリーゴは アレクサンデル6世として教皇の座を獲得)はむきだしの権力に頼らなければならなかった。

 チェザーレ・ボルジアとその父アレクサンダー六世は重要人物であるが,それは,彼らが自身が重要であったからだけでなく,マキャヴェリに感銘を与えた人物としても同様に重要であった。彼らの生涯のなかのある一つの出来事を ,クレイトンのコメント(批評)とともに紹介することは,彼らの生きた時代を例証するのに役立つであろう。コロンナ家(Colonna:中世ローマで力を持 ったイタリアの有力貴族)とオルシーニ家とは何世紀かに渡って教皇たちの破滅のもと(災いのもと)であった。コロンナ家は既に衰退していたが,オルシ ーニ家はまだ命脈を保っていた。教皇アレクサンダー六世は彼らと協定を結び ,彼らの長である枢機卿のオルシーニをヴァチカンに招いた。それは息子のチェザーレが,オルシーニ家の重要な二人の人物を裏切りによって既に捕えてい たことを耳にしていた時のことであった。枢機官のオルシーニは,教皇の面前に出るやいなや逮捕された。オルシーニ枢機卿の母親は,オルシーニに食物を 差し入れる権利を得るために,二千ダカット金貨を教皇に支払い,彼の令夫人 (妻)は教皇に教皇がかねてから欲しくてたまらなかった高価な真珠を教皇 (His Holiness)に贈った。にもかかわらず,枢機官オルシーは獄中で亡くな った。彼の死はアレクサンダー六世の命令による毒入りの葡萄酒のせいだと言われている。この出来事に関するクレイトンの以下のコメント(批評)は,むきだしの権力をもつ政体の性格をよく示している。(原注:『教皇権の歴史』 (History of the Papacy)第5巻,四二頁)

「このような裏切り行為に対して,まったく抗議がなされなかったばかりでな く,まったく完璧に成功したことは,驚くべきことである。しかし,イタリア の偽りの政治においては,あらゆることがゲーム(競技)の競技者の技能にかかっていたのだ。傭兵隊(注:condottieri 中世後半からルネッサンス期に存 在したイタリア人傭兵)は,自分たちが主人であり(自分たちのみを代表してお
り),どんなに不実であっても,何らかの手段で排除される場合には,何一つ 後には残らなかった。オルシーニ家やヴィテロツォ家の没落に憤慨した,いかなる政党も,いかなる利害関係者たちもなかった(no party, no interest)。 傭兵隊の軍隊,隊長に従っている限りにおいて恐るぺきものであった。隊長が解任させられると,兵士たちは四散し,他の雇用契約に入っていた。・・・
大部分の者たちはチェザーレの,ことに臨んでの完璧な冷静さを賞賛した。・
・・当時通用していた道徳感に対しては抗議はまったくなされなかった。・・ ・イタリアの大部分の者はチェザーレがマキャヴェリについて語った言葉を申し分のないものとして受け入れていた。それは次のような言葉である。『裏切りの名人として本領を発揮してきた者たちを騙すことは心地よい。』 チェザ ーレの行為は,(全て)その行為の成否によって判断されたのである。」

Chapter VI: Naked Power, n.18

Renaissance Italy presents a very close parallel to ancient Greece, but the confusion is even greater. There were oligarchical commercial republics, tyrannies, after the Greek model, principalities of feudal origin, and, in addition, the States of the Church. The Pope, except in Italy, commanded reverence, but his sons did not, and Cesare Borgia had to rely upon naked power.

Cesare Borgia and his father Alexander VI are important, not only on their own account, but as having inspired Machiavelli. One incident in their career, with Creighton’s comments, will serve to illustrate their age. The Colonna and Orsini had been the bane of the Popes for centuries ; the Colonna had already fallen, but the Orsini remained.
Alexander VI made a treaty with them, and invited their chief, Cardinal Orsini, to the Vatican, on hearing that Cesare had captured two important Orsini by treachery. Cardinal Orsini was arrested as soon as he came into the Pope’s presence; his mother paid the Pope two thousand ducats for the privilege of sending him food, and his mistress presented His Holiness with a costly pearl which he had coveted. Nevertheless Cardinal Orsini died in prison — of poisoned wine given by the orders of Alexander VI, it was said. Creighton’s comments on this occurrence (note : History of the Papacy, Vol. V, p. 42) illustrate the character of a regime of naked power :

“It is amazing that this treacherous deed should have awakened no remonstrances, and should have been so completely successful ; but in the artificial politics of Italy everything depended on the skill of the players of the game. The condottieri represented only themselves,
and when they were removed by any means, however treacherous, nothing remained. There was no party, no interest, which was outraged by the fall of the Orsini and Vitellozzo. The armies of the condottieri were formidable so long as they followed their generals; when the generals
were removed, the soldiers dispersed and entered into other engagements. . . . Most men admired Cesare’s consummate coolness in the matter…. No outrage was done to current morality. … Most men in Italy accepted as sufficient Cesare’s remark to Machiavelli: ‘It is well to beguile those who have shown themselves masters of
treachery.’ Cesare’s conduct was judged by its success.”
 出典: Power, 1938.
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