ラッセル『権力-その歴史と心理』第5章 王権 n.6

 ギリシア人は,多くの都市国家において,歴史的記録が始まった時及びそれ以前に,政治的支配者としての王を排除した。(注:at or before 始まった時期及びそれより前。みすず書房の東宮訳では歴史的記録が始まった時期を含めず「史実に残っている時期より前」と誤訳/古代アテナイにおいては,僭主の出現を防ぐために,市民が僭主になる恐れのある人物を投票により国外追放にした制度=いわゆる陶片追放の制度(Ostracism)があった。因みに,みすず書房の東宮氏は「ギリシア人は・・・おおかたの都市の場合,政治的支配者としての王を戴くことをいやがっていたようである」とピントがぼけた訳をしている。)
古代ローマの王は先史時代のものであり,古代ローマ人は,その歴史全体を通じて,王という名称に対し克服することができないほどの嫌悪(感)を抱き続けた。ローマ帝国皇帝も,西方においては,言葉の完全な意味において,君主であったことは決してなかった。皇帝の起源は超法規的なものであり,皇帝は常に軍隊に依存していた。(都市国家の)一般市民に対して,皇帝は,自分は神だと宣言したかも知れないが,兵士にとっては,十分な寄進をする,あるいは十分な寄進をしない,単なる将軍のままであった。時々,短期間の間を除いて,皇帝は世襲制にはなることはなかった。本物の権力は常に軍隊にあり,皇帝は単に当座の期間のみ軍隊によって任命(指名)された者に過ぎなかった。

Chapter V: Kingly Power, n.6

The Greeks, in most cities, got rid of their kings, as political rulers, at or before the beginning of the historical period. The Roman kings are prehistoric, and the Romans retained, throughout their history, an unconquerable aversion to the name of king. The Roman Emperor, in the West, was never a monarch in the full sense of the word. His origin was extra-legal, and he depended always upon the army. To civilians, he might declare himself a god, but to the soldiers he remained merely a general who gave, or did not give, adequate donatives. Except occasionally for short periods, the Empire was not hereditary. The real power was always the army, and the Emperor was merely its nominee for the time being.
 出典: Power, 1938.
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