第二の警察権力が必要 - 冤罪や不当かつ過大な刑罰を防ぐために

 現代(世界)における組織の増大(増加)は,もし自由に関するいかなるものも保存されるべきだとしたら,新しい機関(や制度)が要求される(必要とする)。これは,16世紀において君主の権力の増大によって起った状況に似ている。伝統的な自由主義のあらゆる戦いが行われ,勝利を勝ちとったのは,この過大な王権(君主の権力)に対してであった。しかし,王権が衰退した後,少くとも同程度に危険な新しい諸権力が起ったが,今日その中の最悪のものは警察の権力である。私が理解できるかぎりにおいては(私の見るかぎり),それに対する唯一の可能な救済策は,有罪ではなく無罪であることを証明するための第二の警察権力を確立させることである。一人の無実な人間が罰せられるよりも,99人の有罪な人間が罪を逃れるほうがましだ,とよく言われる。我々の(現在の)制度はこれと反対の物の見方に立って定められている。たとえば,ある男が殺人で告訴される場合,警官や探偵の形としてのあらゆる国家資源は,彼の有罪を証明するために使われるが,しかるに,彼の(自分の)無罪を証明することは彼個人の努力に委ねられる。彼が探偵を雇えば,その人たちは彼や彼の友人の所持金(ポケット)から報酬を受ける私立探偵でなければならない。彼の職業が何であったとしても,その職業(仕事)によって(探偵を雇い続けながら)お金を稼ぎ続ける時間も機会もないだろう。検察側の弁護士は,国から報酬が支払われる,彼の弁護士は,貧困を訴えなければ,自分で報酬を支払わなければならないし,その時には,自分で支払わない弁護士(注:いわゆる国選弁護人)は,検察側の弁護士ほど多分優秀ではないだろう。これは全てまったく不当なことである。犯罪人がそれを犯したことを証明することと同様に,無実な人間が罪を犯さなかったことを証明することは少くとも公衆の利益である。無実を証明するために企図された警察力は,次の唯一の場合を除いて有罪を証明することを試みてはならない,即ち,罪を疑われている者が政府当局者である場合である。このような第二の警察力をつくれば,ある種の伝統的な自由を保護を可能にすると考えるが,それ以下の方策では(伝統的な)自由を保護できるとは思われない。
【参考:最初の行の英文の中の “in the way of” は,ここでは「~のじゃまになって)」の意味ではなく,「~の点で,~としては」の意味。例文: I don’t think there’s anything in the way of a haircut or a shave or a shampoo that could make me like my girl any less. 髪型とか肌剃とかシャンプーとかいったことで,私が恋人の女の子への愛情が少なくなるなんて思わない。】

The increase of organization in the modern world demands new institutions if anything in the way of liberty is to be preserved. The situation is analogous to that which arose through the increased power of monarchs in the sixteenth century. It was against their excessive power that the whole fight of traditional liberalism was fought and won. But after their power had faded, new powers at least as dangerous arose, and the worst of these in our day is the power of the police. There is, so far as I can see, only one possible remedy, and that is the establishment of a second police force designed to prove innocence, not guilt. People often say that it is better that ninety-nine guilty men should escape than that one innocent man should be punished. Our institutions are founded upon the opposite view. If a man is accused, for example, of a murder, all the resources of the State, in the shape of policemen and detectives, are employed to prove his guilt, whereas it is left to his individual efforts to prove his innocence. If he employs detectives, they have to be private detectives paid out of his own pocket or that of his friends. Whatever his employment may have been, he will have neither time nor opportunity to continue earning money by means of it. The lawyers for the prosecution are paid by the State. His lawyers have to be paid by him, unless he pleads poverty, and then they will probably be less eminent than those of the prosecution. All this is quite unjust. It is at least as much in the public interest to prove that an innocent man has not committed a crime, as it is to prove that a guilty man has committed it. A police force designed to prove innocence should never attempt to prove guilt except in one kind of case: namely, where it is the authorities who are suspected of a crime. I think that the creation of such a second police force might enable us to preserve some of our traditional liberties, but I do not think that any lesser measure will do so.
出典: Symptoms of Orwell’s 1984,(1954).
詳細情報:https://russell-j.com/beginner/1070_SoO-070.HTM

<寸言>
従来の「おまわりさん」のイメージであれば,警察官は一般国民にとって親しみがあり,「庶民の味方」であるかのように見える。しかし,警察は,(軍隊ほどではないにしても)上官に対しては絶対服従を旨とする組織であり,警察庁の指導層(の一部が)が政権と癒着するととても危険な存在となる可能性がある
日本は,(大正時代における自由民権運動は例外として),欧米のように国家権力(あるいは宗主国/例:米国にとっての英国)と闘って自由を勝ち取った歴史はないといってよく,戦後に,進駐軍から自由を与えられたような国柄(国民)である。それゆえ,国民の権利が少しずつ奪われていったとしても,気づかない人が多いのではないだろうか?
特定秘密保護法制定の場合も,政権側は,どの国にも国家機密を保護する法律があると宣伝し,外国では「他国に特定秘密を漏洩することを罰する法律」であるのに,「他国に」という言葉を抜いて,相手が誰であっても「特定秘密を漏洩すること」は国家犯罪であるとしてしまった。最近自民党が言いだした,大災害に備えるために,憲法に緊急事態条項を追加し,緊急事態においては国民の権利を一時的に制限できるようにしようという動き(お試し改憲)には,同様の危険がある(庇を貸して母屋を取られる事態)。
「由らしむべし知らしむべからず」の基本姿勢に気が付かないといけない。