公的機関による真実の隠蔽と虚偽の流布(ばらまき)

 現代における国家権力(当局の権力)の増大から生じている最悪のものの一つは,公的機関による真実の隠蔽と虚偽の流布(ばらまき)である。
ロシア人は,モスクワの住民がモスクワの地下鉄が世界で唯一つの地下鉄だと想像するほど,西欧諸国に関して,可能な限り(これ以上ないほど)無知な状態に置かれている。(注:これはもちろん,このエッセイを発表した1950年代のロシアの状況です。今だったら北朝鮮の国民があてはまります。) 中国が共産主義者(国家)になって以降,中国の知識人は「洗脳」と呼ばれる恐るべき過程を経験しなければいけなくなっている。自分の専門分野において欧米から入手できるあらゆる知識を獲得した(中国の)学者は,自分たちが学んできたことを(全て)放棄すること,また,知る価値のあるすべてのことは共産主義者の文献(情報源)から引き出すことが可能だと述べることを,強制されている。彼らは,上級の役人から手渡された無味乾燥な公式をオウム返しにただ繰返すだけの,失意の人として身を現すような,心理的圧迫にさらされている。ロシアや中国においては,この種のことは強情な個人に対してばかりでなく,彼らの家族に対する,直接の刑罰によって強化される。
 他の国々においては,これほどまでには事態は進んでいない。蒋介石政権が中国を統治した最後の数年間に行った害悪(注:1949年の共産主義中国成立直前に起きた二.二八事件のことを言っているものと思われる。)について,本当のことを報告した人々は粛正はされなかったが,彼らの報告が信じられるのを防ぐためのあらゆる可能な方策がとられ,また,彼らは,その優秀性の程度によった(応じた)要注意人物となった。外国で発見したことについて本国政府に本当のことを報告した人間は,彼の報告が当局の偏見と一致していない場合には,重大な個人的危険を冒すことになるばかりでなく,彼の報告が無視されることを知る(ことになる)。もちろんこのことには,程度の差(の問題)はあっても,新しいものは何もない。
1899年に,南アフリカでイギリス軍を指揮したバトラー将軍は,ボーア人を鎮圧するには,少くとも20万人の軍隊が必要だという報告を(本国に)した。この評判の悪い意見のために,彼は降格され,彼の意見の正しいことが判明した時にも,彼は信用されなかった。
しかしこういった悪(注:自分たちに都合の良いことしかとりあげないこと)は新しいものではないけれども,その範囲は前よりもずっと広範なものになっている。自分を多少とも自由主義的だと思っている人たちの間でさえ(even = even if),問題のすべての側面を調査研究することが良いことだという信念は,もはや存在していない。ヨーロッパの米国図書館や米国における学校図書館の粛清(注:共産主義思想を助長する図書の除籍や禁書扱い)は,大衆が問題の一面(一つの側)よりも多くのことを知るのを防ぐことを企図したものである。部分禁書目録(?)(Index Expurgatorius)は,自由のために闘っているという人たちが広く認めている政策の一部となっている。明らかに当局(国家権力)は,自分たちの大義が自由な議論という試練を耐えぬくことができるという十分な信念をもはや持っていない。他方の側の意見がまったく聞かれていない場合にのみ,彼らは信用を得る自信があるのである。これは,我々自身の制度に対する強固な信念の悲しむべき衰退を示している。
第二次大戦中,ナチスはドイツ人にイギリスのラジオを聞くことを許さなかったが,我々自身の大義に信念は不動のものであったので,イギリスでは誰もドイツのラジオを聞くことを妨げられなかった。我々が共産主義者の意見を聞かれるのを妨ぐ限り,彼らが強い言い分(主張)を持っているに違いないという印象を生み出す。自由な言論は,自由な討議がよりよい意見の勝利へと導くという根拠でかつては擁護されていた。この信念は,恐怖心の影響のもと,失われつつある。その結果は,真理は一つの真理(真理の一つ)であり,「官製の真理」はもうひとつの真理であるということになる。これはオーウェルの「表裏のある話し方(double‐talk)」や「二重思考(Double-think)」(注:「相反し合う二つの意見を同時に持ち,それが矛盾し合うのを承知しながら双方ともに信奉すること」で「安倍思考」とも言うべきか?)への第一歩である。自由な言論の法的な実存(現存)は保持されてきている(言論の自由が法的に保証されている)と言われるだろうが,もし仮に一層重要な公表の手段が正統として是認されている意見にのみ開かれるとするならば,自由な言論の効果的な実存(現存)は悲惨なほど切り詰められる(ことになる)。

One of the worst things resulting from the modern increase of the powers of the authorities is the suppression of truth and the spread of falsehood by means of public agencies. Russians are kept as far as possible in ignorance about Western countries, to the degree that people in Moscow imagine theirs to be the only subway in the world. Chinese intellectuals, since China became Communist, have been subjected to a horrible process called “brain-washing.” Learned men who have acquired all the knowledge to be obtained in their subject from America or Western Europe are compelled to abjure what they have learned and to state that everything worth knowing is to be derived from Communist sources. They are subjected to such psychological pressure that they emerge broken men, able only to repeat, parrot fashion, the jejune formulas handed down by their official superiors. In Russia and China this sort of thing is enforced by direct penalties, not only to recalcitrant individuals, but also to their families. In other countries the process has not yet gone so far. Those who reported truthfully about the evils of Chiang Kai-shek’s regime during the last years of his rule in China were not liquidated, but everything possible was done to prevent their truthful reports from being believed, and they became suspects in degrees which varied according to their eminence. A man who reports truly to his government about what he finds in a foreign country, unless his report agrees with official prejudices, not only runs a grave personal risk, but knows that his information will be ignored. There is, of course, nothing new in this except in degree. In 1899, General Butler, who was in command of British forces in South Africa, reported that it would require an army of at least two hundred thousand to subdue the Boers. For this unpopular opinion he was demoted, and was given no credit when the opinion turned out to be correct. But, although the evil is not new, it is very much greater in extent than it used to be. There is no longer, even among those who think themselves more or less liberal, a belief that it is a good thing to study all sides of a question. The purging of United States libraries in Europe and of school libraries in America, is designed to prevent people from knowing more than one side of a question. The Index Expurgatorius has become a recognized part of the policy of those who say that they fight for freedom. Apparently the authorities no longer have sufficient belief in the justice of their cause to think that it can survive the ordeal of free discussion. Only so long as the other side is unheard are they confident of obtaining credence. This shows a sad decay in the robustness of our belief in our own institutions. During the war, the Nazis did not permit Germans to listen to British radio, but nobody in England was hindered from listening to the German radio because our faith in our own cause was unshakable. So long as we prevent Communists from being heard, we produce the impression that they must have a very strong case. Free speech used to be advocated on the ground that free discussion would lead to the victory of the better opinion. This belief is being lost under the influence of fear. The result is that truth is one thing and “official truth” is another. This is the first step on the road to Orwell’s “double-talk” and “double-think”. It will be said that the legal existence of free speech has been preserved, but its effective existence is disastrously curtailed if the more important means of publicity are only open to opinions which have the sanction of orthodoxy.
出典: Symptoms of Orwell’s 1984,(1954).
詳細情報:https://russell-j.com/beginner/1070_SoO-080.HTM

<寸言>
60年前のこのラッセル(やオーウェル)の警告がまさに現実のものとなっている。

このような事態は共産主義国だけのことであり,自由主義国には「言論の自由」があるから大丈夫というのが政権を握り政党政治家の常套句であった。しかし,世界中の多くの人々がそのようなことを信じなくなってきている。

しかしそれは気がつくのが遅すぎた。我々凡人(普通の一般市民)は,短期的なことしか考えない場合が多いので,そのうち良くなるだろうとか,そこまで為政者は悪いことはしないだろう,と甘く考えがちである。

ヒトラーが(民主主義の手続きによって)政権を奪取し戦争に突入していった事態など,民主主義が広く行き渡った現代世界には起こらないだろう(ただし共産主義に対しては常に彼らに上回る武力を持っている必要があるがそうしておけば民主主義国家は必ず勝利する)といった油断があったのではないか?

戦争は常にこぜりあいから発展して起こってしまう。北朝鮮,ISISへの対応の食い違い,世界的な格差の解消に努めないことから,紛争が起こり,それが大きな衝突となり,戦争までに発展していってしまう。集団的自衛権が国会で承認された日本にあっては,望まない戦争にいつのまにか関与することになってしまうという実際的な危険が存在している。特定秘密保護法の制定,報道規制,安保法案(集団安全保障)の国会承認,憲法への緊急事態条項の追加,自衛隊の海外派遣の拡大,日米共同軍事行動に対する報復としての国内でのテロの発生・・・。それよりも,東京大地震や南海トラフ大地震の方がより大きな打撃を日本にもたらすか!?