年齢に関係なく,「知りたい」という欲求(好奇心)が非常に重要

 子供(たち)は,成長するにつれて,より間接的な動機に反応できるようになり,細かいことがすべてそれ自体で興味を引くものである必要は,もはやなくなる。しかし,教育に対する衝動(学びたいという衝動)は生徒の側から生まれなければならないという大原則は,何歳になっても引き続きあてはめることができる,と思う。生徒の教育環境は,学びたいという衝動を刺激するものでなければならないし,また,勉強するか,それとも退屈と孤独を味わうか,という二者択一をさせるものでなければならない。
しかし,いつでも,退屈と孤独(のほう)を選ぶ子供がいれば,そうさせてあげるべきである。幼年期を過ぎれば,ある程度クラスでの勉強も欠くことはできないと思われるけれども,ひとりで勉強するという原則は,拡大することができる。
だが,少年や少女を勉強するように導くために外からの権威が必要だとすれば,医学的な原因がある場合は別として,おそらく,教師がまちがっているか(落ち度があるか),それとも,以前の道徳的な躾けが悪かったか,そのどちらかであろう。子供が5歳ないし6歳まで正しい訓練を受けていれば,良い教師ならだれでも,子供が大きくなってからも,子供の興味を勝ち取ることができるはずである。

As children grow older they become responsive to more remote motives, and it is no longer necessary that every detail should be interesting in itself. But I think the broad principle that the impulse to education should come from the pupil can be continued up to any age. The environment should be such as to stimulate the impulse, and to make boredom and isolation the alternative to learning. But any child that preferred this alternative on any occasion should be allowed to choose it. The principle of individual work can be extended, though a certain amount of class work seems indispensable after the early years. But if external authority is necessary to induce a boy or girl to learn, unless there is a medical cause, the probability is that the teacher is at fault, or that previous moral training has been bad. If a child has been properly trained up to the age of five or six, any good teacher ought to be able to win his interest at later stages.
出典: On Education, especially in early childhood, 1926, Pt. 2:Education of character, chap. 14: General principles
詳細情報:https://russell-j.com/beginner/OE14-130.HTM

<寸言>
死ぬまで枯渇することのない好奇心を持つことが出来るか、好奇心を拡大していくことができるか、いろいろなことに好奇心を持つように子どもを刺激することができるかが、教師の最大の役割であろう。決して、国家や社会にとって好都合なことを(疑問をもたない形で))「教え込む」ことが教師の最重要な使命であってはならない。