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(外見だけが)魅力的な女性の幼年期における躾の失敗

joseigakirainajosei_ranking (幼児は,大人が想像しがちであるよりももっとずるがしこい。ただし、アメリカ人が使う意味ではないが。)
 赤ん坊は,ぎゃーぎゃー泣けば快い結果が得られることを知ると,ぎゃーぎゃー泣く。大きくなって,泣きごとを言う習憤のために,ちやほやされるどころか,嫌われるようになると,彼らは驚き,かつ憤慨する。そして,世間は冷たくて,無情だと思ってしまう。ところが,もし’彼女たち’が成長して’魅力的な女性’になった場合は,不平を鳴らしてもやはりちやほやされるので,幼年期に始まった悪いしつけがいっそう強められることになる。

Infants are far more cunning (not in the American sense) than grown-up people are apt to suppose; if they find that crying produces agreeable results, they will cry. When, in later life, a habit of complaining  causes them to be disliked instead of petted, they feel surprised and resentful, and the world seems to them cold and unsympathetic. If,  however, they grow up into charming women, they will still be petted when they are querulous, and the bad training begun in childhood will be intensified.
出版: On Education, especially in early childhood, 1926, Pt. 2:
Education of character, chap. 3: the first years.
詳細情報:http://russell-j.com/beginner/OE03-030.HTM

[寸言]
女性に限った話ではないでしょうが、誰でもがうらやむような容貌(外見/器量)を持って生まれた子どもに対しては、親だけでなく、周囲もどうしてもちやほやしてしまいます。それは自然なこと(反応)ですが、多くの人が容貌だけでなく、性格もあわせて好ましいものになって欲しいと希望します。

しかし、良い性格形成に失敗することが少なくありません。それは,ラッセルが指摘するまでもなく、「もし’彼女たち’が成長して’魅力的な女性’になった場合は,不平を鳴らしてもやはりちやほやされるので,幼年期に始まった悪いしつけがいっそう強められることになる。」というように、本人だけでなく、周囲にも大きな原因があることは、我々も気づいています。

そういってチヤホヤされた女性は、若いうちは我が世の春を謳歌します。しかし、容色が衰えると、世間の風当たりが強くなり、不平不満をまきちらすようになります。
親は立派な芸能人で、容貌はいいけれども、知性も教養もなく、性格もあまりよいとは言えない女性タレントや女優もけっこういます。たとえば、◯◯◯とか△△△とか、・・・。

究極の選択: 将来子供はどうなって欲しい!?-’健康な悪党’か’病弱な聖人か’

TPJ-OE 私たちは,自分の子供他人に好かれ,立派に人生に対処できるような人間になってほしいと望む。幸いにも,健康と性格は同じ方向を向いている。即ち,一方にとって良いことは,他方にとっても良い。本書(ラッセル『教育論』)で私たちが特に関心を持つのは,性格である。だが,健康も同じような習慣を必要とする。そこで,私たちは,「健康な悪党」か「病弱な聖者」か,というむずかしい二者択一に直面しなくても済む。

We want the child to become the sort of person that will be liked and will be able to cope with life successfully. Fortunately, health and character point in the same direction: what is good for one is good also for the other. It is character that specially concerns us in this book; but health requires the same practices. Thus we are not faced with the difficult alternative of a healthy scoundrel or a diseased saint.
出典: On Education, especially in early childhood, 1926, Pt. 2:Education of character, chap. 3: the first years.
詳細情報:http://russell-j.com/beginner/OE03-030.HTM

[寸言]
「腕白でも良い,元気な強い子に育って欲しい」というコマーシャルどおりに、多少悪ガキでも世の中で活躍する(=よい暮らしができる)子供になって欲しいと望む親も、また、金持ちにならなくてもよいので健康で幸せな生活を送れる子供になって欲しいと望む親も、両方とも多いのではないかと思われます。

abe_under-control しかし、昨今の政治家のありようをみていると、「健康な悪徳政治家(良いこともやらないわけではない)」と「覇気が余りない政治家(悪いことはしないが、実行力があまりない)」とどちらかを選べと言われると、困る人がけっこういるのではないでしょうか?
普通の一般人の場合は「病弱な聖者」のほうが「まし」だと思っても、実行力が必要な政治家の場合は多少の脇の甘さも大目に見る必要があるのではないかと思ったりもすることでしょう。

しかし,実行力があっても、「長い目で見ると、大きな災いをもたらすような政治家」は,(’短期的な’バラマキによって利益を得るとう「目眩まし」にだまされず)排除していかないと、国民は、いずれ後悔することになります。たとえば、川内市民が原発は経済的豊かさのための必要悪だと思っていても、大きな災害が起これば180度意見が変わってしまい、「本当のことを聞いていなかった」と他人のせいにする人が少なくないことでしょう。
後悔先に立たず。

幼年期初期における良い習慣形成の重要性

4-chara 幼児が種々の習慣を身につける迅速さは,驚くべきものである。身につけた悪い習慣は全て,後により良い習慣を身につける妨げになる。幼年期初期における最初の習慣形成が非常に重要なのは,このためである。最初の習慣形成がよいものであれば,後になって無数の困難が省かれる。

The rapidity with which infants acquire habits is amazing. Every bad habit acquired is a barrier to better habits later; that is why the first formation of habits in early infancy is so important. If the first habits are good, endless trouble is saved later.
Good-habit_Bad-habit 出典: On Education, especially in early childhood, 1926, Pt. 2:Education of character, chap. 3: the first years.
詳細情報:http://russell-j.com/beginner/OE03-020.HTM

[寸言]
幼児期には良い習慣を無理なく身につけられるが、大人になってからでは、いろいろなこと(先入観、経済的考慮、その他いろいろ)が影響して身に付けることは非常に困難になる。

勇気ある子供は勇気ある母親(女性)から生まれる

BR1923_Election 女性を「貞淑」にさせるにはおびえさせるに限ると考えられてきたし、女性は肉体的にも精神的にも臆病であるように慎重に教えこまれてきた。愛を束縛されている女性は、夫の残忍さと偽善を助長し、我が子の本能をゆがめる。恐れを知らない女性たちの一世代は、恐れを知らない子供たちの一世代を世の中に送りこむことによって、世の中を一変させることができるだろう。(写真は、女性の普通選挙権を主張してチェルシー選挙区から英国労働党の候補として立候補したラッセル。抱いているのは長男のジョン)

Women'sSufflageFear has been thought the only way to make women ‘virtuous’, and they have been deliberately taught to be cowards, both physically and mentally. Women in whom love is cramped encourage brutality and hypocrisy in their husbands, and distort the instincts of their children. One generation of fearless women could transform the world, by bringing into it a generation of fearless children, …
出典: On Education, especially in early childhood, 1926, chap. 2: The Aims of Education
詳細情報:http://russell-j.com/beginner/OE02-230.HTM

[寸言]
民主主義が進んでいた英国においてさえ、30歳以上の女性に参政権が認められたのは第4回選挙法改正があった1918年であり、男性と同じ21歳以上となったのが第5回選挙法改正の1928年であったこと。
ラッセルのこの『教育論』の出版は1926年であり、男女同権の選挙法改正案が議会を通過する2年前のこと。日本で婦人参政権が認められたのは1945年12月のことであり、戦争に負けて民主主義が入ってきてからのこと。
安部政権を支えている日本会議の基本思想は戦前回帰
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E4%BC%9A%E8%AD%B0

世界から貧困をなくすためには感受性、知性、及び、勇気が必要

kodomono-hinkonritu_2016 貧困は、産業革命以来、ただ単に集団的な愚かさのせいである。感受性‘は貧困を根絶したいと人々に思わせるだろうし、’知性‘はその方法を人々に示すだろうし、’勇気‘はそれを採用するように人々を導くだろう。(臆病な人間は、何か変わったことをするよりも、不幸なままでいたがるだろう。)

Poverty, since the industrial revolution, is only due to collective stupidity. Sensitiveness would make people wish to abolish it, intelligence would show them the way, and courage would lead them to adopt it. (A timid person would rather remain miserable than do anything unusual.)
出典: On Education, especially in early childhood, 1926, chap. 2: The Aims of Education
詳細情報:http://russell-j.com/beginner/OE02-230.HTM

[寸言]
kodomono-hinkonritu_suii 人間の幸福は,組織的に(社会全体として)仕事を減らしていき,余暇時間を増やしていくことにある。しかし,人間は他人に優越したいために,また,貧しさが原因で生活がたちいかなくなるのを恐れ必要以上に働くことによって、働きたい人の働き口を奪い、様々な格差を再生産あるいは拡大させている。
組織的に(社会全体として)仕事を減らしていくことは一国においては、自国が他国に比べて貧しくなるという恐れでなかなかうまくいかない。世界全体が、いかなる市民(世界市民)も職や食を奪われることなく、生きていくために必要な最低限の生活資源(衣食住)を保証するような世界を創造していくべきであろう。

安部政権は経済格差はそんなに進んでいない、高齢化や少子化が進んでいることが大きく影響していると主張し続けてきたが、それならば「子供の貧困率の上昇」をどう説明するのか? 高齢者の増加ではなく働き盛りの成人の非正規社員化を推し進めた結果ではないのか?

「人気のない意見」でも公言する勇気

BRAINS-B 私たちの日常活動の大部分は,協調的であるべきであり,協調は本能的な基礎を持っていなければならないにもかかわらず,私たちは皆,自分が特によく知っている事柄については自力で考えられるようになるべきであり,また,自分が大切だと信じている場合には,たとえ人気のない意見でも公言する勇気をもっているべきである。

The bulk of our ordinary activities must be co-operative, and co-operation must have an instinctive basis. Nevertheless, we should all learn to be able to think for ourselves about matters that are particularly well known to us, and we ought all to have acquired the courage to proclaim unpopular opinions when we believe them to be important.
出典: On Education, especially in early childhood, 1926, chap. 2: The Aims of Education
詳細情報:http://russell-j.com/beginner/OE02-220.HTM

[寸言]
どうってことない,常識的な発言ですが,「人気のない意見」(世間の常識とは異なる意見)の場合は、言うのはやめておこうと黙ってしまうのが普通ではないでしょうか?

狂信,軽信,服従 -魂を売って「安心感」を得る

abe_under-control あらゆる種類の知的体系--キリスト教(注:宗教),社会主義,愛国主義など--は,孤児院のように,服従のお返しに’安心感’を与えようと待ち構えている。自由な精神生活は,何らかの信条(教義)に包まれた生活のように,暖かく,快適で,愛想のよいものではない。外で冬の嵐が吹きすさんでいる間は,信条のみが,ヌクヌクとした炉端にいる感情を与えてくれる。

All sorts of intellectual systems – Christianity, Socialism, Patriotism, etc – are ready, like orphan asylums, to give safety in return for servitude. A free mental life cannot be as warm and comfortable and sociable as a life enveloped in a creed: only a creed can give the feeling of a cosy fireside while the winter storms are raging without.
* cosy = cozy (adj.):居心地の良い
出典: On Education, especially in early childhood, 1926, chap. 2: The Aims of Education
詳細情報:http://russell-j.com/beginner/OE02-210.HTM

[寸言]
nipponkaigi_abenaikaku-members 政治の世界においても,宗教の世界においても、経済の世界においても、服従する者は「安心感」を得ることができる。自分の頭で考えることをやめ,上位の者(特に、各組織における権力者)に従ってさえいれば,それほどひどいことにはならないだろうという,人生に対する「守りの」姿勢
純真な子供の時には考えられないような態度を,社会的圧力に負けて「連戦連敗」を重ねることによって身に着けていく心的態度。

abe_japan's-media_quailing 権力を持っている私(あるいは私たち)に従順であれば、安定した暮らしをできるだけ保障しよう、しかし、反抗的な態度をとるようなら、支援しないので、勝手に苦しみなさい・・・
そうして、権力者の「真意」に気づき、一度権力に従順になると、後はずるずると頼るようになる。

「精神の自由」を犠牲にして安定を求める人々が少なくない。間違った信条でも、信じている限り(あるいは、信じているふりをしている限り)一時的な安心感を得ることができる。

肉体的な「勇気」だけを讃え、知的・精神的な勇気を軽視する人々

Orwell_Speak-Truth 勇気は,肉体上の英雄的資質と同様に,知的誠実さにとっても,不可欠である。

Courage is essential to intellectual probity, as well as to physical heroism.
出典: On Education, especially in early childhood, 1926, chap. 2: The Aims of Education
詳細情報:http://russell-j.com/beginner/OE02-210.HTM

[寸言]
abe_susitomo01 権力に従順な勇気のない人々(田崎スシロー氏始めとした安倍総理の食客たち、総理の言うことを鸚鵡のように繰り返す現在の多くの自民党議員、多くのマスコミ、その他いろいろ)

黒を白と言う知的不誠実さ,知的な勇気のなさ(自分より力のない者の言うことは無視するくせに、権力者の言うことには従順なだけでなく、権力者の言いそうなこと(考えそうなこと)を忖度し、ご機嫌とりの「ヨイショ」の発言をされる方々。)

開かれた知性(偏見のない心)を身につけさせることは教育の重要な目的の一つ

Open-Mind 私たちは,慣れと欲望(欲求)のために,新しい真理を受けつけなくなる長年固く信じてきたこと,あるいは自尊心やその他根本的な感情を満足させるものを疑うことは,難しい。それゆえ,開かれた知性(偏見のない心)こそは,教育が生み出すことを目指すべき性質の一つでなければならない。

We become impervious to new truth both from habit and from desire; we find it hard to disbelieve what we have emphatically believed for a number of years, and also what ministers to self-esteem or any other fundamental passion. Open-mindedness should therefore be one of the qualities that education aims at producing.
出典: On Education, especially in early childhood, 1926, chap. 2: The Aims of Education
詳細情報:http://russell-j.com/beginner/OE02-200.HTM

[寸言]
Open-Mind_Mark-Twain 現代日本の教育は,幅広い知識を与えることには熱心でも、「開かれた知性」を子供のうちに身に付けさせる教育はあまり行われていない。(開かれた知性をもっていない教師や教育行政官僚にはやろうと思ってもできないだろうが・・・。)
「ゆとり教育」から「詰め込み教育」(あるいは「詰め込み教育」から「ゆとり教育」へ)というように極端になりやすい。

『ラッセル自伝』への「後書き」に代えて-生涯を振り返って(97歳)

『ラッセル自伝』第3巻(1969年刊)への後書きに代えて(最後のところ)

私の仕事(活動)は終りに近づいており(1969年,ラッセル97歳),私の仕事(活動)を一つの全体として概観できる時がきている。私は,どれだけ成功したのか? またどれだけ失敗したのか?

Berlin_Tiergarten_Siegessäule_Luftansicht 私は,若い時から,自分は人生を偉大かつ困難な仕事に捧げていると考えていた。ほぼ3/4世紀前(注:『ラッセル自伝』第3巻は1969年の出版。ラッセルがティーア・ガルテン(注:ベルリンの大公園=右写真:)を散策したのは1895年。従って正確にいうと74年前),冷たくきらきら光る3月の太陽のもとで融け始めた雪を踏んでティーアガルテンの中をひとりで歩きながら,私は二種類の系列の本を書こうと決意した。一つは抽象的なもので次第に具体的になってゆく系列の本,もう一つは具体的なもので次第に抽象的になってゆく系列の本である。それらは純粋理論を実際的な社会哲学と結びつけた一つの総合によって栄誉を与えられる(有終の美を飾る)予定であったいまだ達成できていない最終的な総合を除けば,私はそれらの本をこれまで書いてきた。それらの本は,喝采を浴び,賞讃され,多くの男女の思考はそれらの本の影響を受けた。この程度まで,私は成功した。

しかし,これに対し,二種類の失敗,即ち,外的な失敗と内的な失敗を対置しなければならない
外的失敗から始めると,ティーアガルテンは荒れ果ててしまった。ティーアガルテンに入るために,当時の3月の朝,通り抜けたブランデンブルク門は二つの敵対する帝国(注:東側と西側)の境界になり,両者は障壁の向う側をお互いをにらみつけ,残忍にも人類の滅亡の準備をしている。共産主義者,ファシスト,ナチスは,相継いで私が良いと思った全てに挑戦して(正当性に異議を唱えて)成功し,それらを打ち負かす過程で,彼らの敵対者(注:連合国側)が保持しようとしたものの多くは失われつつある。自由(であること)は弱さ(である)と考えられるようになり,寛容は背信(裏切り)の衣装を身につけるように強いられてきた。古い理想は不適切(時代に合わない)と判断され,粗野でないいかなる教義も尊敬を払われない。
内的失敗は,--世界にとっては(ラッセルは)ほとんど一瞬のことではあるが--,私の精神生活を絶えざる闘争へと化した。私は,プラトン的な永遠の世界への多少とも宗教的な信仰から出発(門出)したが,そこでは数学が(ダンテの)『神曲-天国篇』(Paradiso)の最後の篇におけるようなをもって輝いていた。だが永遠の世界はつまらないものであり,数学はたんに同じことを別の言葉で表現する技術にすぎないという結論に到達した。(また)自由で勇気を伴った愛は,闘わずして世界を克服できるという信念から出発した。(しかし)厳しくて恐ろしい戦争(注:第二次世界大戦)を支持するようになった。これは(内的)失敗であった。

しかし,このようなあらゆる失敗の重荷の下にあっても,私には勝利と感じられるいくらかのものをまだ意識している。私は理論的真理というものを間違ってとらえたかもしれないが,そのような真理が存在し,それらの真理は忠誠に値すると考えたことにおいて,間違ってはいなかった。私は自由と幸福な人間の世界への道(道程)が,現実に示されつつあるものよりもずっと短いと思ったかもしれないが,そのような世界が可能であり,そのような世界を我々のより身近なところにもたらそうという目的をもって生きることは価値あることであると考えたことにおいて,間違ってはいなかった。

私は,個人的にも社会的にも,ある夢想(vision)を追求しながら生きてきた。(即ち)個人的には,高貴なもの,美しいもの,優しいものを大切にし,より平凡な時代において,知恵を生み出すための内省的な時間を(自らに)与えることである。社会的には,創造されるべき社会を想像力によって見ることである。創造すべきは,個人が自由に成長し,憎悪や貪欲や妬みを育むものがないために,それらが死滅している社会である。これらのことを私は信じ,世界のあらゆる恐怖にもかかわらず,世界は私を動揺させなかったのである。(終)

Postscript (3/3)
TPJABR3XMy work is near its end, and the time has come when I can survey it as a whole. How far have I succeeded, and how far have I failed ? From an early age I thought of myself as dedicated to great and arduous tasks. Nearly three-quarters of a century ago, walking alone in the Tiergarten through melting snow under the coldly glittering March sun, I determined to write two series of books: one abstract, growing gradually more concrete; the other concrete, growing gradually more abstract. They were to be crowned by a synthesis, combining pure theory with a practical social philosophy. Except for the final synthesis, which still eludes me, I have written these books. They have been acclaimed and praised, and the thoughts of many men and women have been affected by them. To this extent I have succeeded.
But as against this must be set two kinds of failure, one outward, one inward.
To begin wirh the outward failure: the Tiergarten has become a desert; the Brandenburger Tor, through which I entered it on that March morning, has become the boundary of two hostile empires, glaring at each other across a barrier, and grimly preparing the ruin of mankind. Communists, Fascists, and Nazis have successfully challenged all that I thought good, and in defeating them much of what their opponents have sought to preserve is being lost. Freedom has come to be thought weakness, and tolerance has been compelled to wear the garb of treachery. Old ideals are judged irrelevant, and no doctrine free from harshness commands respect.
The inner failure, though of little moment to the world, has made my mental life a perpetual battle. I set out with a more or less religious belief in a Platonic eternal world, in which mathematics shone with a beauty like that of the last Cantos of the Paradiso. I came to the conclusion that the eternal world is trivial, and that mathematics is only the art of saying the same thing in different words. I set out with a belief that love, free and courageous, could conquer the world without fighting. I came to support a bitter and terrible war. In these respect, there was failure.
But beneath all this load of failure I am still conscious of something that I feel to be victory. I may have conceived theoretical truth wrongly, but I was not wrong in thinking that there is such a thing, and that it deserves our allegiance. I may have thought the road to a world of free and happy human beings shorter than it is proving to be, but I was not wrong in thinking that such a world is possible, and that it is worth while to live with a view to bringing it nearer. I have lived in the pursuit of a vision, both personal and social. Personal: to care for what is noble, for what is beautiful, for what is gentle: to allow moments of insight to give wisdom at more mundane times. Social: to see in imagination the society that is to be created, where individuals grow freely, and where hate and greed and envy die because there is nothing to nourish them. These things I believe, and the world, for all its horrors, has left me unshaken.
出典: The Autobiography of Bertrand Russell, v.3:1944-1969 ,chap4:The Foundation,(1969)
詳細情報:http://russell-j.com/beginner/AB-POST03.HTM

[寸言]
『ラッセル自伝』から多数抜粋してご紹介してきましたが、これで終了です。ラッセルのポータルサイトには、付録の書簡部分を除いて、全文(英文+邦訳)を掲載していますので、通してお読みに成ることをお勧めします。
http://russell-j.com/beginner/AUTOBIO.HTM
ご愛読ありがとうございました。