リッチモンド(注:ロンドン郊外の Richmond Park のあるところ)での暮らしは楽しいものであったが,そうでない憂鬱なひと時があった。1953年(末)のクリスマスの時,私は危険な手術を受けるために再度入院しようとして待機していた。しかも妻や家族全員がインフルエンザで倒れていた。息子(注:長男,当時32才)と息子の妻は -彼女(息子の妻)がそう口に出した(子供のことで疲れたと言った)時に- 自分たちは子供の世話で疲れたと結論を下した。息子夫婦は,子供たちと私とクリスマスの晩餐を共にした後,食べ物の残りを持ち,子供たちを置いたまま家を出て行き,戻って来なかった。私たち(夫婦)は子供たち(ラッセルの孫)が好きであったが,私たちのそれまでの幸福かつ満ち足りた生活のまっただ中,きわめて多くの悩ましい問題を引き起こす新たな責任にぞっとさせられた。しばらくの間,私たちは,子供たちの両親が,親としての役割を果たすために戻ってくれば良いがと期待していた。けれども,私の息子が病気(注:精神病/確か統合失調症)になってしまうと,私たちはその望みを捨て,予供たちの教育や休暇(期間)のために長期間にわたって手配(や準備)をしなければならなかった。(写真は、その後、北ウェールズの田舎で暮らすために借りる契約をした、プラス・ペンリンの自宅の庭で遊ぶ3人の孫とラッセル夫妻,/撮影は1956年) その上,金銭上の負担が重く,かなり心の不安を掻き立てた。私は,三番目の妻(注:Patricia Spense)に(離婚慰謝料として)一万一千ポンドより少し上まわる額の金を支払わなければならなかったので,私がもらったノーベル賞賞金の小切手一万ポンドを(すでに)彼女に渡していたが,さらに今や,彼女と二番目の妻(注:Dora Black)に(離婚後の)扶助料を払うと同時に次男(注:ピータとの間に出来た次男コンラッド)の教育や休暇のための費用をも支払っていた。加うるに,長男の病気の関係で多大の出費があり,また,長年にわたって長男が支払いを怠ってきた所得税を,私が払わなければならなくなった。だから,そこにもってきて彼の三人の子供(孫)を扶養し,かつ教育しなければならなくなるという見通しは,どんなにそれが楽しいものではあろうとも,いろいろ問題を生じさせた。
The pleasant life at Richmond had other dark moments. At Christmas, 1953, I was waiting to go into hospital again for a serious operation and my wife and household were all down with flu. My son and his wife decided that, as she said, they were ‘tired of children’. After Christmas dinner with the children and me, they left, taking the remainder of the food, but leaving the children, and did not return. We were fond of the children, but were appalled by this fresh responsibility which posed so many harassing questions in the midst of our happy and already very full life. For some time we hoped that their parents would return to take up their role, but when my son became ill we had to abandon that hope and make long-term arrangements for the children’s education and holidays. Moreover, the financial burden was heavy and rather disturbing: I had given £10,000 of my Nobel Prize cheque for a little more than £11,000 to my third wife, and I was now paying alimony to her and to my second wife as well as paying for the education and holidays of my younger son. Added to this, there were heavy expenses in connection with my elder son’s illness s and the income taxes which for many years he had neglected to pay now fell to me to pay. The prospect of supporting and educating his three children, however pleasant it might be, presented problems.
出典: The Autobiography of Bertrand Russell, v.3 chap. 2: At home and abroad, 1969]
詳細情報:http://russell-j.com/beginner/AB32-120.HTM
[寸言]
天才の家系には、世間の標準とは離れた、つまり精神的な病気にかかる人が多いと言われている。平均的な人間の標準から離れると「異常」とされるが、そのような場合は、世間で生きていくことは難しくなる。
ラッセル家にも代々、精神的な病で苦しむ人間がかなりおり、ラッセル自身も遺伝の影響でいつ発狂するかも知れないという恐怖心で時々悩まされる。
そうして、ラッセルは老齢になってから、自分の子供(長男ジョン)が精神の病(確か、統合失調症)にかかってしまう。ラッセルは、息子一家を助けるために、ロンドン郊外のリッチモンドに4階建てのやや大きめの家を購入し、1,2階のフロアーに息子一家を住まわせて支援する。しかし、ついには子供(ラッセルにとっては孫)を残して、夫婦で出て行ってしまうことになり、3人の孫の世話を妻(エディス)とともにしなければならなくなる。