私たち(ラッセル夫妻)は,結婚生活の初めの何年かを,多くの外国の国々を見てまわろうと心に決めていた。そこで,私たちは,1895年の最初の3ヶ月間をベルリンで過ごした。私はベルリン大学に行って,そこで主として経済学を研究した。(訳注:この研究の成果は,翌年,ラッセルの最初の著作 German Social Democracy として出版された。邦訳書名は『ドイツ社会主義』)(また)大学特別研究員(Fellow)の資格をとるための(数学に関する)学位論文の執筆作業も続けた。私たちは,週3回音楽会に行き,それから私たちは,ドイツ社会民主党員たちと知り合うようになったが,彼らは当時とても邪悪な人間であると考えられていた。
We had decided that during the early years of our married life, we would see a good deal of foreign countries, and accordingly we spent the first three months of 1895 in Berlin. I went to the university, where I chiefly studied economics. I continued to work at my Fellowship dissertation. We went to concerts three times a week, and we began to know the Social Democrats, who were at that time considered very, wicked.
出典: The Autobiography of Bertrand Russell, v.1, chap. 5: First marriage, 1967]
詳細情報:http://russell-j.com/beginner/AB15-020.HTM
[寸言]
生計をたてるためにどこかの組織(大学、省庁、企業、その他))に属すれば,どうしてもその組織から自立して,「客観的な」立場にたって物が言いづらくなる。Aという組織(たとえば、文科省とか、読売新聞とか)に属していれば、Aの悪口を言えず、悪口を言えば、それなら「Aをやめてどこか別の所に勤めたら」と言われてしまい、居づらくなってしまう。(政権のコントロール下にあるマスコミの惨状をみれば、生計の糧を奪われるかも知れない言動をひかえようとする気持ちがいかに大きいかがわかる。NHK籾井会長曰く:「政府が右と言うことを左とは言えません・・・」。籾井氏は、目が上についているヒラメのような人間性をもっており、NHKは受信料で成り立っているということを忘れている。)
ラッセルは亡き父の遺産を活かし,「原則として」どこにも勤めずに、執筆一本で生きていこうと若い時に決意する。その後、何度か大学の教員(任期つきの常勤あるいは非常勤の)になってはいるが、いずれの組織に属していても、(いざとなればやめるという覚悟があったため)自説をまげるようなことはなかった。
即ち、不労所得はよくないが、お金のために(生計のために)真理に背を向けることなく、あくまでも人類に貢献する学問をするために「遺産を活用する」ことはそれほど悪いことではないだろう、と自らを納得させていた。自己研鑚のためにお金を使い、遺産がなくなったら、後は執筆活動によって生計を立てようと決めていたわけである。