11歳の時私は,兄を先生にして,ユークリッド幾何学を学習し始めた。これは私の生涯において非常に重要な出来事の1つであり,初恋と同様幻惑的なものであった。この世にこのように素晴らしいものがあろうとは,私はそれまで想像したことがなかった。私が第5公準を学んでから,兄はこれは非常に難しいと一般には考えられていると言ったが,私は少しも難しいとは思わなかった。これは,私が何らかの知性を持つ’きざし‘が現れた最初であった。この時から私が38歳の年にホワイトヘッドと「プリンキピア・マテマティカ(数学原理)」を完成するまで,数学が私の主な関心事であり,主な幸福の源であった。けれども,幸福といわれるもの全てがそうであるように,純粋な幸福というわけではなかった。私は,ユークリッドがいろいろな事柄を証明したと聞いていたが,兄が(証明なしで)公理からスタートしたので,大変失望した。最初,私は,もし兄がそうする理由を説明できないならばそれらの公理を受け入れることはできないといったが,兄は,「もしお前がそれを受け入れなければ先に進むことはできない」と言った。私は数学の学習を続けたかったので,気が進まなかったが一時的に認めることとした。その時感じた数学の前提に関する疑問が私に残ることになった。(松下注:ここではユークリッド幾何学が,5つの公準=前提から出発していることをいっている。因みに、非ユークリッド幾何学では,第5公準の平行線公準を仮定しない。)そうしてそれがその後の私の勉強の方向を決定した。
At the age of eleven, I began Euclid, with my brother as my tutor. This was one of the great events of my life, as dazzling as first love. I had not imagined that there was anything so delicious in the world. After I had learned the fifth proposition, my brother told me that it was generally considered difficult, but I had found no difficulty whatever. This was the first time it had dawned upon me that I might have some intelligence. From that moment until Whitehead and I finished Principia Mathematica, when I was thirty-eight, mathematics was my chief interest, and my chief source of happiness. Like all happiness, however, it was not unalloyed. I had been told that Euclid proved things, and was much disappointed that he started with axioms. At first I refused to accept them unless my brother could offer me some reason for doing so, but he said: ‘If you don’t accept them we cannot go on’, and as I wished to go on, I reluctantly admitted them pro tem (=pro tempore). The doubt as to the premisses (premises) of mathematics which I felt at that moment remained with me, and determined the course of my subsequent work.
出典: The Autobiography of Bertrand Russell, v.1, chap. 1, 1967]
詳細情報:http://russell-j.com/beginner/AB11-290.HTM
[寸言]
数学は、ラッセルが最重要視する「明晰な思考」のお手本のようなもの。数学が正しいことを証明する過程で「ラッセルのパラドクス」の発見で窮地に陥ってしまう。それも「タイプ理論」により一応の理屈付けは可能となり、算術については数学は記号論理学によって導出できた(正しいことが証明できた)が、結局は、ゲーデルによる不完全性定理の発見へと導き、間違っているとは証明できないにしても、正しいとも証明できないものが数学にはある、ということがわかってしまった。
そうだからと言って、数学は役に立たないわけではなく、最強の武器であり続けている。相対性理論や量子力学に不備があるとしても、真理探求の有力な理論であることに変わりはないのと同様である。