私が小説を書くことに対する弁明は -もし弁明が必要とするならばだが- 要点(自分が伝えたいこと)をわかってもらうためには,寓話が最良の方法であることにしばしば気付いた(発見した),ということである。1944年にアメリカから帰国した時,私は,英国哲学が非常におかしな状態にあることに気付いた。また,英国哲学は専らとるにたらないことばかりに注意を集中しているように思われた。英国哲学界の誰もが,「日常的な用法」(通常の用法/’common usage’)について,無駄なおしゃべり(論議)を続けていた。このような哲学を私は好まなかった。学問のあらゆる部門がそれぞれそれ特有の語彙(用語集)をもっている。なぜ哲学だけがこの楽しみを奪いとられなければならないのか,理解できなかった。そこで私は,この「日常的な用法」礼賛をからかった多くの寓話を織り込んだ短い評論を書き(松下注:「日常的な用法」礼賛」the cult of common usage は,みすず書房から出されている『ラッセル自伝的回想』に収録されている。),こう批評した。「日常的な用法」(’common usage’)という言葉で哲学者たちが本当に意味しているのは,談話室での言語使用法(’common-roomusage’)である」,と。この評論が発表された時,その「日常的な用法」の主犯(注:Gilbert Ryle のこと)から手紙を受け取った。手紙には,私の意見に賛成する,しかしそのような「日常的な用法」礼賛者は一人も知らないので,私の反論が誰に向けられているのかわからない,と書かれていた。けれども,その時以後,「日常的な用法」に注意を払う者がほとんどいなくなったことに気付いた。
My defence for writing stories, if defence were needed, is that I have often found fables the best way of making a point. When I returned from America in 1944, I found British philosophy in a very odd state, and, it seemed to me, occupied solely with trivialities. Everybody in the philosophical world was babbling about ‘common usage’. I did not like this philosophy. Every section of learning has its own vocabulary and I did not see why pbilosophy should be deprived of this pleasure. I therefore wrote a short piece containing various fables making fun of this cult of ‘common usage’, remarking that what the philosophers really meant by the term was ‘common-room usage‘. I received a letter when this was published from the arch offender saying that he approved, but that he could not think against whom it was directed as he knew of no such cult. However, I noticed that from that time on very little was paid about ‘common usage’.
* babble (v):(小児などがわけもわからぬ)片言を言う、ぺちゃくちゃしゃべる;たわいもないおしゃべりをする
出典: The Autobiography of Bertrand Russell, v.3 chap. 1: Return to England, 1969]
詳細情報:http://russell-j.com/beginner/AB31-300.HTM
[寸言]
ラッセルの創作(小説・詩等)を集めたものとして The Collected Stories of Bertrand Russell (George Allen & Unwin Ltd., 1972) がある。単行本としては、Satan in the Suburbs, 1953 及び Nightmares of Eminent Persons, 1954 の2冊がある。前者は『ラッセル短篇集』(中央公論社,1954年)として邦訳がだされたが、随分昔に出されたものであり現在古本としてもほとんど出まわらないために、日本ではラッセル研究者といえども読んでいない人が多いようである。