私は喜んでこの哲学史(注:『西洋哲学史』)を書いていた。なぜなら私は,歴史は’縮小しないで’書かれるべきだとずっと信じていたからである。たとえば,ギボン(Edward Gibbon, 1737-1794:イギリスの歴史家で『ローマ帝国衰亡史』の著者)が扱っている主題は,『ローマ帝国衰亡史』よりも簡略な本や,数冊の本で扱っても十分ではないだろう,という考えを私はいつも抱いていた。『西洋哲学史』の前半は,文化の歴史という観点で考察した。しかし,科学が重要になってくる後半においては,この’わく組み’にピッタリあてはめることは,一段と難しい仕事であった。私は最善をつくしたが,成功したかどうかは確信がもてない。
私は,時々批評家から,私は真実の歴史を書かず,書こうと恣意的に選んだ(歴史上の)出来事に偏った説明を加えている,といって非難された。しかし私の考えでは,何らかの先入観(偏見)をもっていない人間は -もしかりにほんとうにそのような人間が存在するとして- 興味深い歴史など書くことができないだろう。私は,先入観(偏見)がないふりすることは,単なる’ごまかし’にすぎないと考える。さらにいえば,本というものは,他のいかなる著作同様,そのよって立つ観点とともに,考えられるべきものである。これが,多数の著者による論文集が,一人の著者の本よりも,’1つの統一体’としてより面白みのないものになりがちな理由である。私は,先入観(偏見)を持たない人間は存在しないと思っているので,★大規模の歴史と取り組むにあたってなしうる最善のことは,まず人間の先入観(偏見)を認めた上で,不満な読者のためには反対の先入観(偏見)を表明している他の著者を探してやることである,と考える。どちらの先入観(偏見)がより真実に近いかは,後世にゆだねなければならない。歴史(書)執筆に関するこのような観点から,私は(1959年に出した)『西洋の知恵』よりも『西洋哲学史』(注:両方ともラッセルの著作)の方を好む。『西洋の知恵』は『西洋哲学史』をもとにして執筆したものである。しかし,『西洋の知恵』の中にあげてあるイラスト(挿絵)は好きではあるけれども,(紙数の関係で)議論のあるところは調整するとともに表現を和らげている。
I was pleased to be writing this history because I had always believed that history should be written in the large. I had always held, for example, that the subject matter of which Gibbon treats could not be adequately treated in a shorter book or several books. I regarded the early part of my History of Western Philosophy as a history of culture, but in the later parts, where science becomes important, it is more difficult to fit into this framework. I did my best, but I am not at all sure that I succeeded. I was sometimes accused by reviewers of writing not a true history but a biased account of the events that I arbitrarily chose to write of. But to my mind, a man without a bias cannot write interesting history if, indeed, such a man exists. I regard it as mere humbug to pretend to lack of bias. Moreover, a book, like any other work, should be held together by its point of view. This is why a book made up of essays by various authors is apt to be less interesting as an entity than a book by one man. Since I do not admit that a person without bias exists, I think the best that can be done with a large-scale history is to admit one’s bias and for dissatisfied readers to look for other writers to express an opposite bias. Which bias is nearer to the truth must be left to posterity. This point of view on the writing of history makes me prefer my History of Western Philosophy to the Wisdom of the West which was taken from the former, but ironed out and tamed although I like the illustrations of Wisdom of the West.
出典: The Autobiography of Bertrand Russell, v.2 chap. 6: America, 1968]
詳細情報:http://russell-j.com/beginner/AB26-080.HTM
[寸言]
ラッセルの『西洋哲学史』は『幸福論』とともに、一般の読者にもっとも愛読されている著書であり、どちらも米国でベストセラーになり,また、現在でも世界中でよく売れている。しかし、林達夫のように、『西洋哲学史』をあまり評価しない識者もいる。そういってけなしている学者や評論家で、ラッセルの『西洋哲学史』と同等程度に価値のある著作を書いている人を私は知らない。
この本は、ラッセルがその自由思想のために米国で魔女狩りにあい、決まっていたニューヨーク市立大学の教授職も(某キリスト教徒による「不道徳者に娘の教育はまかせられない」という告訴により、裁判にまけ)失い、経済的に困窮している時に、バーンズ博士(バーンズ美術館で著名)から救いの手が差し伸べられ、バーンズ財団の一般公開講座で話すためにまとめられた著作である。従って、誰にでもわかる言葉遣いで、聴衆をひきつけるような冗談がところどころに入れられている。
大学で定職につき、(いわば「安全地帯」で)無難な論文を書いて生活費を稼いでいる研究者には、まねのできないことであろう。