私たちは,それぞれ,この世に長いこと存在するわけではない。そこで,人間の短い生涯のうちに,この不思議な惑星と,この惑星が宇宙において占める位置について,なんであれ分かることは何でも知っておく必要がある。たとえ不完全なものであっても,知る機会があった場合それを無視することは,劇場へ行って(行ったのにもかかわらず)芝居を見ないのと同じである。この世の中は,悲劇的,喜劇的,英雄的,奇怪な,あるいは不思議な事物でいっぱいであり,世界が提供するこの壮大なスペクタクルに興味を持てない人びとは,人生が提供する特典の一つをもらわずに済ませていることになる。
Each of us is in the world for no very long time, and within the few years of his life has to acquire whatever he is to know of this strange planet and its place in the universe. To ignore our opportunities for knowledge, imperfect as they are, is like going to the theatre and not listening to the play. The world is full of things that are tragic or comic, heroic or bizarre or surprising, and those who fail to be interested in the spectacle that it offers are forgoing one of the privileges that life has to offer.
出典: The Conquest of Happiness, 1930, chap. 15: Impersonal Interests]
詳細情報:http://russell-j.com/beginner/HA26-020.HTM
<寸言>
水の惑星と言われる我が地球。一部の人達が神が創造したと主張するこの地球。
広大な宇宙にも地球のような高等生命が宿る惑星はないと断言してきた多くの識者たち。
しかし、我々が住む銀河系には太陽のような恒星は少なくとも約2000億個はあるだろうと言われている。また、そんな広大な銀河系も7兆個以上あると言われている。
そうなると,地球のような惑星は、1000億分の1の確率でしか存在しないとしても、14兆個以上もある可能性があるということになる。だから、地球に似た惑星に人類が到達することができないとしても、地球人以上の高等な知的生命体が存在する確率(割合)が非常に小さいとしても、数の上では膨大に存在するという科学的裏付けがあることはよく頭にいれておいたほうがよいだろう。
それから、そのようなとてつもない広大な宇宙さえも、現代の最先端の宇宙理論(最有力理論)では無数あると言われれていること(いわゆるマルチバース理論)は、人間の思考能力の素晴らしさとともに限界をあわせて考えさせてくれる。