「学校におけるゲーム(遊戯や競技)」にはもう一つの側面がある。それは,通常よいものと考えられているけれども,概して悪いものだと,私は思っている。即ち,ゲーム(遊戯や競技)は「団体精神」を促進する上に効果がある,という側面である。
「団体精神」は学校当局の好むところであるが,その理由は,「団体精神」は,善いと考えられている行為のために,(学校当局が生徒たちの)悪い動機を利用することを可能にするからである。(生徒に)努力をさせたければ,他のグループを追い越したいという(生徒の)欲望を助長することによって,容易に(生徒の)努力を刺激することができる。 難しいのは,競争的でない努力には何の動機も存在しないという点である。
人と競争して勝ちたいという動機が,人間のあらゆる行動の中にどれほど深く食い入ってきているかは,驚くほどである。もしある自治都市を説得して,子供の世話をする公共施設を改善させたいと思えば,近くの自治都市のほうが乳児死亡率が低いことを指摘しなければならない。また,製造業者を説得して,明らかに改善となるような新しい工程を採用させようと思えば,今のままでは競争に負けるということを強調しなければならない。
There is another aspect of school games, which is usually considered good but which I think on the whole bad; I mean, their efficacy in promoting esprit de corps. Esprit de corps is liked by authorities, because it enables them to utilize bad motives for what are considered to be good actions. If efforts are to be made, they are easily stimulated by promoting the desire to surpass some other group. The difficulty is that no motive is provided for efforts which are not competitive. It is amazing how deeply the competitive motive has eaten into all our activities. If you wish to persuade a borough to improve the public provision for the care of children, you have to point out that some neighbouring borough has a lower infant mortality. If you wish to persuade a manufacturer to adopt a new process which is clearly an improvement, you have to emphasize the danger of competition.
出典: On Education, especially in early childhood, 1926, Pt. 2:Education of character, chap. 5: Play and fancy.
詳細情報:http://russell-j.com/beginner/OE05-100.HTM
[寸言]
もちろん「団体精神」にも良いところと悪いところの両面があります。ここでは、その好ましくない側面の話。
生徒一人ひとりの個性を尊重して教育にあたることは,担当する生徒が多くなればなるほど大変になり、教師の負担も増えていきます。しかし、財務省も,できるだけ教育投資の効果を高めるために、厳しい査定を行い、教師一人あたりの生徒の人数を減らすどころか、厳しい財政事情を理由に人数を増やそうとする始末です。その結果、OECD諸国のなかでは、日本が教育や研究に費やす予算は最低レベルとなっています。
生徒の数が増えれば、個々の生徒に細やかな配慮をすることは困難になり、クラスの運営を困難にしないようにするためにどうしても「集団としての規律(団体精神)」を守らせようという動機が大きくなっていきます。国も、団体精神の涵養のために、国民の偏見や先入観や悪しき動機を利用したりすることさえあります。中韓蔑視、日本の素晴らしさの過度の強調、その他いろいろ。