ゲーム(遊戯)は,あまり専門化しないかぎり,健康のためによい。即ち,もし特別な技能が賞賛されすぎると,最良の競技者(選手)はそれをやりすぎるし,一方,その他の競技者は落ちこぼれて見物に回りがちとなる。ゲーム(遊戯)は,少年少女たちに大騒ぎしないでケガを我慢することを教え,また,くたくたに疲れても陽気でいることを教える。
しかし,ゲーム(遊戯)にあると主張されている他の長所については,私には大部分,幻想であると思われる。ゲーム(遊戯)は協力することを教えると言われるが,実際には人と争うような形で協力を教えているにすぎない。これは,戦争において必要とされる協力の形ではあり,産業や正しい社会関係において必要な形ではない。科学は,経済においても,国際政治においても,競争を協力に変えることを技術的に可能にしたが,同時に,科学は,競争(戦争という形での)を,以前よりもはるかに危険なものにした。こういった理由で,人間の勝者と敗者が出てくるような競争的な事業よりも,物理的な自然が「敵」であるような協力的な事業という観念を養うことが,以前よりもより重要である。
They (= games) are good for health, provided they are not too expert ; if exceptional skill is too much prized, the best players overdo it, while the others tend to lapse into spectators. They teach boys and girls to endure hurts without making a fuss, and to incur great fatigue cheerfully. But the other advantages which are claimed for them seem to me largely illusory. They are said to teach co-operation, but in fact they only teach it in its competitive form. This is the form required in war, not in industry or in the right kind of social relations. Science has made it technically possible to substitute co-operation for competition, both in economics and in international politics., at the same time it has made competition (in the form of war) much more dangerous than it used to be. For these reasons, it is more important than in former times to cultivate the idea of co-operative enterprises in which the “enemy” is physical nature rather than competitive enterprises in which there are human victors and vanquished.
出典: On Education, especially in early childhood, 1926, Pt. 2:Education of character, chap. 5: Play and fancy.
詳細情報:http://russell-j.com/beginner/OE05-080.HTM
[寸言]
ゲームでもスポーツでも,内容はどうであれ「勝つこと」だけが強調される場合には、益よりも害が大きくなる。それはオリンッピックの場合も同様。政府関係者は、我が国がいくつメダル(特に金)をとるかということに力点を置きがちであり、(開催国の特権を活用して)金をとりやすい種目をできるだけ増やそうとする。
国や経済界は,国民や社員が,国や自社(企業)のために自分を犠牲にしても尽くしてくれる人間を評価し、そういった人間が増えるように飴と鞭を使いわけながら誘導していく。
そういった意図を子どもの世界にまで入り込ませてはならないが、(日本の)経済界は人間の個性よりも集団として協力することを重視し,組織のために「活躍」する人間を学校教育において大量生産することを望む。政府も国民が「一億総活躍」して税金をたくさん納めてくれる人をできるだけ多く生み出したいと考える。
ゆとりのある生活をしたい「市民」にとっては「一億総活躍」なんて言われると、飴と鞭でしつけられているようで気分が悪いが、そう思わない「国民」も少なくないようである。