パレスチナ・アラブ難民問題やユダヤ人の問題に取り組む

BR-SIGNATURE その同じ年(1963年)の4月,私はパレスチナ・アラブ難民の状況を調査するため,イスラエルに代理を派遣した。われわれはパレスチナ難民問題に関するユダヤ人(注:ここでは特にイスラエル人)とアラブ人との間の諸問題を,どちらかと言えば,早急に解決する助けとなる最も効果的でありそうなものについて,ある程度はっきりした評価を行いたいと望んだ。それ以降,私は,求めに応じ,たびたび,イスラエルとエジプト両国に,それぞれ国の個別の問題や両国共通の問題を議論するために,別の代理人を派遣してきた。逆に,両国は,使者を私のもとに送ってきた。
JOLLY2 私はまたソビエト連邦におけるユダヤ人の窮状についても大いに関心を持っていたし,現在でも持ち続けている。そうして,ソ連政府と,その問題に関して,手紙等のやりとりをかなり頻繁かつ継続的に行ってきた。さらに,東欧における非常に多数のユダヤ人家族が,第二次世界大戦によってずっと離れ離れにされてきており,彼らは海外 -通常はイスラエル- の親戚と再会したいと望んでいる。当初私は,彼らが個々に移民(移住)することを許可するように訴えた。
しかしその後,何百という要望におされて,ユダヤ人全グループのために訴え始めた。そのような活動を展開していくにつれ,私は,しばしば称賛にあたいするような行為のために拘留され半ば忘れられている,★40カ国以上の政治犯の釈放を求めて活動している自分に気づいた(注:『ラッセル自伝』第3巻を書いている1969年頃のこと)。多くの国々で投獄されていた多数の人々が,私の仲間や私の活動の結果釈放された(と聞いている)。しかし多くの人々がいまだ獄中にあり,この政治犯解放の活動は継続中である。

That same April, 1963, I sent a representative to Israel to look into the situation of the Palestine Arab refugees. We wished to form some assessment of what, if anything, might most effectively be urged to help to settle matters between Jews and Arabs concerning the question of the Palestine refugees. Since then I have, often at request, sent other representatives to both Israel and Egypt to discuss the separate and the joint problems of those countries. In turn, they have sent their emissaries to me. I was also much concerned, and still am, with the plight of the Jews in the Soviet Union, and I have carried on a considerable and continuing correspondence with the Soviet Government in regard to it. In addition, a very large number of Jewish families in Eastern Europe have been separated by the Second World War and wish to rejoin their relations abroad, usually in Israel. At first I appealed for permission for them to emigrate individually, but later, under the pressure of hundreds of requests, I began to make appeals on behalf of whole groups. As such work developed, I found myself working for the release of political prisoners in over forty countries where they are held, half forgotten, for deeds which were often praiseworthy. Many prisoners in many lands have been freed, we are told, as a result of my colleagues’ and my work, but many remain in gaol and the work goes on.
出典: The Autobiography of Bertrand Russell, v.3:1944-1969 ,chap4:The Foundation,(1969)
詳細情報:http://russell-j.com/beginner/AB34-050.HTM

[寸言]
Kurd_bundan 現在,中東や北アフリカは紛争が絶えず、危険な火薬庫になっている。その大きな原因は、第二次世界大戦後、欧米が中東に、民族の分布をほとんど顧慮しないで、「人為的な」国境線をひいたこと(3,000万人もいるクルド人の分断!)、1948年に無理矢理にイスラエルを建国(パレスティナ難民の発生及びアラブとイスラエルの対立激化)させたことであろう。
ラッセルはあるアラブ人からの手紙に応えて、次のように語っている。

「私は,パレスチナにユダヤ人国家をつくったのは間違いだったと思います。しかしだからといって,ユダヤ国家(イスラエル)が実在している今日,それを除こうとすることはもっと大きな誤りだろうと思います。私は,ユダヤ人とアラブ人が見せている相互の偏狭さはどうしても賛成できません。・・・(1960.06.15)」
http://russell-j.com/beginner/ARAB-ISR.HTM

国をもたないユダヤ人を救うことは大変重要なことであっにせよ,アラブ人が多数住む地域の中にイスラエルという国家をを中東に強引に建国させたことは、世界平和のために深刻な問題を生むことになり、失敗であったと,ラッセルは指摘する。

クルド人の分布 (ウィキペディアより】
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AF%E3%83%AB%E3%83%89%E4%BA%BA
トルコ 約1140万人; イラン 約480~660万人;
イラク 約400~600万人; シリア 約90~280万人;
ドイツ 約50~80万人
アフガニスタン 約20万人; アゼルバイジャン 約15万人;
フランス 約12万人; スウェーデン 約10万人;
イスラエル 約10万人; レバノン 約8万人; オランダ 約7万人】

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