ラッセル『結婚論』第十二章 試験結婚 n.2

『結婚論』第十二章 試験結婚 n.2:隠せば隠すほど・・・

 私自身は,現状を満足すべきものと見ているとは言えない。現状には,因習的な道学者(モラリスト)によって押しつけられた望ましくない特徴がいくつかあり,また,因習的な道徳が変わるまでの間は,そういった望ましくない特徴がどのようにして消えていくのか,私にはわからない。密かにされる(隠される)性は,もっとはっきり言えば(注:in fact は,前の文章を受けている。),密造・密売された酒と同様,本来のもの(what it might be)よりも,劣っている。裕福なアメリカにおいては,禁酒法を導入する前よりも,若い男性の間に非常に酒に酔う者が増えているし,若い女性の間ではなおいっそう増えていることは,誰も否定できないと思われる。法律の裏をかくこと(注: circumventing the law 法律の網にひっかかるのを回避すること)には,もちろん,ある種(一定の)の痛快さと,頭の良さ対するある種(一定の)の誇り(プライド)がある。飲酒に関する法律の裏をかいている一方で,性に関する因習の裏をかくのは当然である(自然なことである)。この場合もまた,大胆であるという意識が,媚薬として働くのである(acts 働きをする/acts を名詞ととると,動詞がなくなってしまう)。

その結果,若い人たちの間の性関係は,愛情からではなく,虚勢(bravado)から,しかも,(酒や薬で)陶酔した時に性交渉に入っているという,愚劣きわまりない形をとりがちになる(のである)。性は,酒と同様,濃縮された,かなり口あたりの悪い形で味合わなければならない。(なぜなら)そういう形だけが,(警戒する)当局の警戒の目を逃れることができるからである。全人格が協力する,品位のある,理性的な,真心のこもった行為としての性関係は,アメリカにおいては,婚外ではめったに起こらないのではないか,と私には思われる。この程度まで(この限りでは),道学者たちは成功している(注:隠れていやっているので,道学者が目にして憤激しなくてすむ。)。道学者たちは,姦通(私通)を防ぐことはできていない。逆に,道学者たちの反対は,どちらかと言えば(if anything),スパイス(薬味)となって,姦通(私通)は,(米国では)ますます一般的なものとなっている。

ただし,道学者たちは,姦通(私通)を,ほぼ彼らの言うとおりに望ましくないものにすることには成功した。それは,ちょうど,消費されるアルコールの大部分を,彼らがアルコールはすべて有害だと主張するとおりに,有害だと思わせることに成功したのと同じである。道学者たちは,性を日常の交際や,普通の仕事や,あらゆる心理的な親密さから切り離された,こぎれいなもの(neat)と考えるように,若者に強いてきた。

もっと臆病な青年たちは,完全な性関係までは進まずに,性的興奮が満たされことなく先延ばしにする状態を作り出すことで満足している。これは,神経を衰弱させるものであり,後になって,性を完全に楽しむことを困難あるいは不可能にする恐れがある。アメリカの若者の間に広まっているタイプの性的興奮のもう一つの欠点は,そのために仕事ができなくなったり,睡眠不足になったりすることである。なぜなら,それは,夜半すぎまで続くパーティー(parties which continue into the small hours)とどうしても結びついているからである。

Chapter XII: Trial Marriage, n.2

I cannot say myself that I view the present state of affairs as satisfactory. It has certain undesirable features imposed upon it by conventional moralists, and until conventional morality is changed, I do not see how these undesirable features are to disappear. Bootlegged sex is in fact as inferior to what it might be as bootlegged alcohol. I do not think anybody can deny that there is enormously more drunkenness among young men, and still more among young women, in well-to-do America than there was before the introduction of Prohibition. In circumventing the law there is, of course, a certain spice and a certain pride of cleverness, and while the law about drink is being circumvented it is natural to circumvent the conventions about sex. Here, also, the sense of daring acts as an aphrodisiac. The consequence is that sex relations between young people tend to take the silliest possible form, being entered into not from affection but from bravado, and at times of intoxication. Sex, like liquor, has to be taken in forms which are concentrated and rather unpalatable, since these forms alone can escape the vigilance of the authorities. Sex relations as a dignified, rational, wholehearted activity in which the complete personality co-operates, do not often, I think, occur in America outside marriage. To this extent the moralists have been successful. They have not prevented fornication; on the contrary, if anything, their opposition, by making it spicy, has made it more common. But they have succeeded in making it almost as undesirable as they say it is, just as they have succeeded in making much of the alcohol consumed as poisonous as they assert all alcohol to be. They have compelled young people to take sex neat, divorced from daily companionship, from a common work, and from all psychological intimacy. The more timid of the young do not go so far as complete sexual relations, but content themselves with producing prolonged states of sexual excitement without satisfaction, which are nervously debilitating, and calculated to make the full enjoyment of sex at a later date difficult or impossible. Another drawback to the type of sexual excitement which prevails among the young in America is that it involves either failure to work or loss of sleep, since it is necessarily connected with parties which continue into the small hours.
出典: Marriage and Morals, 1929.
詳細情報:http://russell-j.com/beginner/MM12-020.HTM

第十二章 試験結婚 n.1

『結婚論』第十二章 試験結婚 n.1: リンゼー判事の提案

 合理的な倫理(合理主義的な倫理)の立場では,子供のいない場合は,結婚(制度)はそれ自体重要なものではないだろう(注:これに対し,しばしば,「子供がいなくても結婚は意味があるので、ラッセルの考えは間違っている,と批判する人がいる。しかし,ラッセルがここで言っているのは,子供がいない場合は,法的制度である「結婚」によってお互いを縛る必要がなく,同棲でよいだろう(=自由恋愛主義/愛情がなくなっても形だけ夫婦の体裁をとることはよくない),という意味。しかし,子供がいる場合には,子供や子供を養育する者などを,即ち,弱者(夫である場合もあり!)を保護をする必要がある。)。(従って)子供の生まれない結婚は,容易に解消できるようにしなければならない。なぜなら,性関係が社会にとって(注:個人にとってではない!)重要になるのは,子供を通してのみであるからであり,法的制度によって認知される価値を持つものとなるからである。これは,もちろん,キリスト教会の見解ではなく,聖パウロの影響のもとに,キリスト教会は,いまだに結婚を子供を作る手段というよりも,むしろ,姦淫(私通)に代わるものとして見ている。けれども,最近では,聖職者でさえ,男性にしろ女性にしろ,必ずしも(invariably 常に)結婚を待って性交を経験するわけではないことに気づくようになっている。男性の場合,(性的)逸脱が売春婦とのものであり,上品に隠されているかぎり,比較的簡単に大目に見られた。しかし(性交の相手が)職業的な売春婦以外の女性の場合,因習的な道学者たちは,彼らがいわゆる不道徳と呼ぶもの(考えるもの)をずっと我慢しがたいものだと見なしている。
それにもかかわらず,アメリカ,イギリス,ドイツ,スカンジナビア(諸国)においては,大戦後(第一次大戦後),大きな変化が生じている。堅実な家庭のかなり多くの娘たちが,性道徳(純潔)を守ることが価値のあることだとは思わなくなり,若い男たちは,売春婦(娼婦)に(性的)はけ口を求める代わりに,(現在より)もっとお金があれば結婚したいと思うような娘たちと情事(性的交渉)を持つようになっている。このプロセス(過程)は,英国よりもアメリカのほうが進んでいるようであるが,その原困は,(米国)禁酒法(Prohibition と大文字になっていることに注意)と自動車(の普及)にある,と私は考えている(つまり,日頃のうっぷんをパーティの時に解放したいという人間心理)。禁酒法(注:禁酒法が施行されたのは 1920年から1932年であり、ラッセル『結婚論』は1929年に出版)のために,どこの楽しいパーティーでも,誰もが多少とも酔っぱらうことが是非とも必要なこと(de rigueur)になっている。大多数の娘が自分の車を持っているために,両親や隣人の目を盗んで恋人と会うことが容易になってきている。その結果生じた事態は,リンゼー判事の著書に述べられている。(原注:リンゼー(著)『現代青年の反抗』1925年及び『友愛結婚1927年)
年寄りたちは,リンゼー判事が誇張しているといって非難するが,青年たちは非難はしない。行きずりの旅行者(注:米国に旅行で来ているラッセル自身のこと)にできる範囲で,私は判事の主張を(正しいかどうか)確かめるために,骨を折って,若い人たちに質問してみた。若い人たちは,判事が事実だとして言ったいかなることについても否定しそうなことは見出さなかった。後に結婚し,最高に尊敬すべき人間になる娘たちの大多数が,しばしば数人の恋人と性体験をしているというのが,アメリカ全土を通じての実情のようである。しかも完全な性関係が生じない場合でも,「ペッティング」や「ネッキング」が盛んなので,完全な性交がないのは,性的倒錯としかみなされないほどである。

Chapter XII: Trial Marriage, n.1

In a rational ethic, marriage would not count as such in the absence of children. A sterile marriage should be easily dissoluble, for it is through children alone that sexual relations become of importance to society, and worthy to be taken cognisance of (taken cognizance of) by a legal institution. This, of course, is not the view of the Church, which, under the influence of St. Paul, still views marriage rather as the alternative to fornication than as the means to the procreation of children. In recent years, however, even clergymen have become aware that neither men nor women invariably wait for marriage before experiencing sexual intercourse. In the case of men, provided their lapses were with prostitutes and decently concealed, they were comparatively easy to condone, but in the case of women other than professional prostitutes, the conventional moralists find what they call immorality much harder to put up with. Nevertheless, in America, in England, in Germany, in Scandinavia, a great change has taken place since the war. Very many girls of respectable families have ceased to think it worth while to preserve their “virtue”, and young men, instead of finding an outlet with prostitutes, have had affairs with girls of the kind whom, if they were richer, they would wish to marry. It seems that this process has gone farther in the United States than it has in England, owing, I think, to Prohibition and automobiles. Owing to Prohibition, it has become de rigueur at any cheerful party for everybody to get more or less drunk. Owing to the fact that a very large percentage of girls possess cars of their own, it has become easy for them to escape with a lover from the eyes of parents and neighbours. The resulting state of affairs is described in Judge Lindsey’s books. (note: The Revolt of Modern Young, I925; Compassionate Marriage, I927.) The old accuse him of exaggeration, but the young do not. As far as a casual traveller can, I took pains to test his assertions by questioning young men. I did not find them inclined to deny anything that he said as to the facts. It seems to be the case throughout America that a very large percentage of girls who subsequently marry and become of the highest respectability have sex experience, often with several lovers. And even where complete relations do not occur, there is so much “petting” and “necking” that the absence of complete intercourse can only be viewed as a perversion.
出典: Marriage and Morals, 1929.
詳細情報:http://russell-j.com/beginner/MM12-010.HTM

ラッセル『結婚論』第十一章 売春 n.8

『結婚論』第十一章 売春 n.9:

 ハヴロック・エリス(Havelock Ellis, 1859-1939: 性科学者)は,売春についての非常に興味深い研究の中で,私には妥当とは思えない,売春(制度)に賛成する,ある議論を展開している。エリスは,(その議論を)まず酒神祭(the orgy)の考察で始めている。この酒神祭(酒を飲んでの乱痴気騒ぎ)は,大部分の古代文明に存在していて,普段は(注:at other times 酒神祭の時以外)は抑えていなければならない無政府的な衝動にはけ口を与えるものである。彼によれば,売春は,酒神祭から発達したものであり,以前は酒神祭が果たしていた目的を,ある程度,果たしているという。彼によれば,多くの男は,束縛や,礼儀正しさや,因習的な結婚という上品な制限(限界)の中では,完全な満足を得ることができない。そこで,そういう男たちは,時々売春婦(娼婦)のもとを訪れることで,彼らに許された,他のいかなるはけ口よりも反社会性の少ないはけ口を見いだすのだ,と彼は考える。

しかし,この彼の議論(argument 論証)は,形式はより近代的ではあるけれども,根本的には,レッキーによる議論と変わらない。抑圧されない性生活を送っている女性は,男性同様,彼が考察している衝動に駆られやすいので,もし女性の性生活が解放されたならば,男性は,単に金銭目的のプロの(売春を職業としている)女(注:売春婦)とのつきあいをわざわざ求めなくても,問題の衝動を満足させることができるだろう。これこそ,実際,女性の性的解放から期待される大きな利点の一つである。
私が(これまでに)観察することができたかぎりでは,古いタブーに左右されない性に関する意見や感情を持っている女性は,ヴィクトリア朝時代で可能であったものよりも,より完全な満足感を結婚生活に見いだすとともに,与えることができるのである。古い道徳が衰えたところではどこでも,売春もまた衰えている。以前は,時々売春婦(娼婦)のもとを訪れるように駆られた青年も,現在では,自分と同類の娘と(性的)関係を結べるようになっている。その関係は,(男女)どちらの側も自由であり,純粋に肉体的な要素が重要であるのとまったく同様に心理的な要素も重要であり,しばしば,どちらの側にもかなりの程度の情熱的な愛が含まれているもの(関係)である。いかなる真の道徳の観点から見ても,このことは,古い制度に対して,素晴らしい進歩と言わなければならない。道学者たち(モラリストたち)は,以前よりも(性的不道徳を)隠しにくくなったために,その進歩を残念がっているけれども,美徳からの逸脱を道学者の耳に入れてはならないというのは,結局は,道徳の第一原理ではない(たりえない)のである。

若い人たちの間のこの新しい自由は,まったく喜ぶべきことであり,獣性のない男性と,気難しい潔癖さのない女性の世代を生み出している,と私は考える。この新しい自由に反対する人びとは,要するに,守ることが不可能な厳格な道徳律の重圧に対する唯一の安全弁としての売春の存続を(自分は)主張しているのだということ(事実)を,率直に直視しなければならない

Chapter XI: Prostitution, n.9

Havelock Ellis, in his very interesting study of prostitution, advances an argument in its favour which I do not believe to be valid. He begins by a consideration of the orgy, which exists in most early civilizations, and affords an outlet for anarchic impulses which at other times have to be controlled. According to him, prostitution developed out of the orgy, and serves in some degree the purpose which the orgy formerly served. Many men, he says, cannot find complete satisfaction within the restraints, the decorum, and the decent limitations of a conventional marriage, and such men, he thinks, find in an occasional visit to a prostitute an outlet less anti-social than any other that is open to them. At bottom, however, this argument is the same as Lecky’s, although its form is more modern. Women whose sexual life is uninhibited are as liable as men to the impulses which Havelock Ellis is considering, and if the sexual life of women is liberated, men will be able to find satisfaction for the impulses concerned, without having to seek the company of professionals whose motive is purely pecuniary. This is indeed one of the great advantages to be hoped from the sexual liberation of women. As far as I have been able to observe, women whose opinions and feelings about sex are not subject to the old taboos are able to find and give much fuller satisfaction in marriage than was possible in Victorian days. Wherever the older morality has decayed, prostitution also has decayed. The young man who would formerly have been driven to occasional visits to prostitutes is now able to enter upon relations with girls of his own kind, relations which are on both sides free,
which have a psychological element quite as important as the purely physical, and which involve often a considerable degree of passionate love on both sides. From the point of view of any genuine morality, this is an immense advance upon the older system. Moralists regret it because it is less easy to conceal, but it is after all not the first principle of morality that lapses from virtue should not come to the ears of the moralist. The new freedom between young people is, to my mind, wholly a matter for rejoicing, and is producing a generation of men without brutality and women without finicky fastidiousness. Those who oppose the new freedom should face frankly the fact that they are find in an occasional visit to a prostitute in effect advocating the continuance of prostitution as the sole safety-valve against the pressure of an impossibly rigid code.
出典: Marriage and Morals, 1929.
詳細情報:http://russell-j.com/beginner/MM11-090.HTM

ラッセル『結婚論』第十一章 売春 n.8

『結婚論』第十一章 売春 n.8:売春「制度」が善くない理由の一つ

 性の中に経済的な動機が入ってくると,必ず,大なり小なり,災いをまねく(破壊的なものとなる)。性関係は,相互の喜びであるべきであり,(また)もっぱら両当事者の自然な衝動から始められるべきものでなければならない(should be entered into)。そうでない場合は,価値あるすべてのものが欠けてしまう。そのように親密なやり方で他人を利用することは,あらゆる真の道徳の源泉とならなければならない(ところの)人間そのもの(human being as such)に対する尊敬の念を欠くことになる。感受性の強い人にとっては,そのような行為は,まじめな意味で,魅力的であるはずがない。にもかかわらず,もっぱら肉体的な衝動に駆られてそのような行為をすれば,激しい後悔の念(自責の念)に襲われ,後悔に念によって人間の価値判断は混乱したものとなる。
もちろん,このことは,売春だけでなく,大部分,結婚にもあてはまる。結婚は,女性にとって最も普通な生計の手段であり,女性が欲求がないのに耐えている性行為の総量は,多分,売春においてよりも結婚生活においてのほうが多いであろう
 性関係における道徳(性道徳)は,迷信にとらわれていない場合は,本質的に,相手を尊敬すること,及び,相手の気持ちを考慮することなしに,個人的満足のための手段としてのみ相手を利用したがらないこと,から成り立っている。売春婦に敬意が払われ,性病の危険が除かれたとしても,(それでもやはり)売春が望ましくないのは(望ましくないままであるのは),この原理に背くからである

Chapter XI: Prostitution, n.8

The intrusion of the economic motive into sex is always in a greater or lesser degree disastrous. Sexual relations should be a mutual delight, entered into solely from the spontaneous impulse of both parties. Where this is not the case, everything that is valuable is absent. To use another person in so intimate a manner is to be lacking in that respect for the human being as such, out of which all true morality must spring. To a sensitive person, such an act cannot be in any serious way attractive. If, nevertheless, it is performed from the sheer strength of the physical urge, it is likely to lead to remorse, and in remorse a man’s judgments of value are disordered. This applies, of course, not only to prostitution, but almost as much to marriage. Marriage is for women the commonest mode of livelihood, and the total amount of undesired sex endured by women is probably greater in marriage than in prostitution. Morality in sexual relations, when it is free from superstition, consists essentially of respect for the other person, and unwillingness to use that person solely as a means of personal gratification without regard to his or her desires. It is because prostitution sins against this principle that it would remain undesirable even if prostitutes were respected and the risk of venereal disease were eliminated.
出典: Marriage and Morals, 1929.
詳細情報:http://russell-j.com/beginner/MM11-080.HTM

ラッセル『結婚論』第十一章 売春 n.7 

『結婚論』第十一章 売春 n.7:売春婦への視線

 売春婦(娼婦)に接すること(つきあうこと)がどんな程度でも(at all 少しでも,あるいは頻繁であっても)習慣的になると男性に悪い心理的影響を与える恐れがある彼は,性交をするために相手を喜ばせる必要はないと考える癖(習慣)がつくであろう。また,普通の道徳律を重んじている(respect 敬意を持っている)のであれば,性交をするにいたるいかなる女性をも軽蔑しがちになるであろう。こういう精神状態の(による)結婚に対する反応は,結婚を売春と同一視する形をとる場合にせよ,反対に,できるだけ広く売春と(は)区別する形をとる場合にせよ,はなはだ不幸なものになる可能性がある。男性の中には,自分が深く愛し尊敬している女性と性交をする気持ちになれない者がいる。フロイト学派(フロイト主義者たち)は,これをエディプス・コンプレックスのせいであるとするが,私には,そういう女性と売春婦(娼婦)との間にできるだけ広い隔たりを置きたいという欲求による場合が非常に多い,と考える。

多くの男性は,これほど極端ではなく,特に古風な男性は,自分の妻を大げさな敬意をもって扱い(扱うので),それは,妻を心理的に処女のままにして,性的な喜びを経験できなくさせてしまう(のである)。男性が頭の中で妻を売春婦(娼婦)と同一視するような場合には,これとは正反対の害悪が生じる。そういう場合は,彼は,性交は両者が望むときにのみ行うべきであること,そして,つねに求愛の手順を経て性交に及ぶべきこと,を忘れてしまう。その結果,妻に対して粗野かつ獣的になり,妻の心にぬぐいがたい嫌悪感を抱かせることになる(のである)。

Chapter XI: Prostitution, n.7

Association with prostitutes, if it becomes at all habitual, is likely to have a bad psychological effect upon a man. He will get into the habit of feeling that it is not necessary to please in order to have sexual intercourse. He will also, if he respects the usual moral code, tend to feel contempt for any woman with whom he has intercourse. The reaction of this state of mind upon marriage may be extraordinarily unfortunate, both where it takes the form of assimilating marriage to prostitution, and where it takes the opposite form of differentiating it as widely as possible. Some men are incapable of desiring sexual intercourse with a woman whom they deeply love and respect. This is attributed by Freudians to the Oedipus complex, but is, I think, quite as often due to the desire to place as wide a gulf as possible between such women and prostitutes. Without going to these extreme lengths, many men, especially old-fashioned men, treat their wives with an exaggerated respect, which leaves them psychologically virginal, and prevents them from experiencing sexual pleasure. Exactly the opposite evils result when a man in imagination assimilates his wife to a prostitute. This leads him to forget that sexual intercourse should only occur when both desire it, and that it should be approached invariably by a period of courtship. He is accordingly rough and brutal with his wife, and produces in her a disgust which it is very difficult to eradicate.
出典: Marriage and Morals, 1929.
詳細情報:http://russell-j.com/beginner/MM11-070.HTM

ラッセル『結婚論』第十一章 売春 n.6

『結婚論』第十一章 売春 n.6

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◆下記の文章の中の「一部の権威者によると,日本人には,梅毒の免疫性が幾分あるという」という,ラッセルが「伝聞として」述べていることは無視したほうがよさそうです。当時の英国の公衆衛生学の権威?あるいは日本の社会や文化に詳しい学者が述べたことを,あまり疑いなく信じてしまったのかも知れません。
人種によって病気に対する抵抗力が異なることは事実としても、「日本人には,梅毒の免疫性が★幾分★あるという」というのは事実ではないだろうと思われます。
本書は1929年に出されていますが,まさに1929年に世界大恐慌が発生し特に日本の東北地方は次の記事のように厳しい状況に陥っています。

<娘身売りの時代>
世界恐慌(1929年=昭和4年)のあおりで,輸出品だった東北の生糸の値が3分の1,コメも半値に暴落。重い小作料にあえぐ農村の娘身売りが急増した。「青森県農地改革史」によると,特に大凶作があった1934年、農家一戸平均500円以上の借金を抱える町村が百を超え、「芸娼妓(げいしょうぎ)に売られた者は累計7083人に達した」。山形県内のある女子児童は「お母さんとお父さんは毎日夜になるとどうして暮らそうかといっております。私がとこにはいるとそのことばかり心配で眠れないのです」と書いた。 http://www.asyura2.com/0601/ishihara10/msg/470.html
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現在存在しているような売春は,明らかに,望ましくない種類の生活(の仕方)である。病気の危険それだけでも,売春は,白煙(whie lead 塩基性炭酸塩のこと/白色顔料として使用される。)を使う仕事(労働)のように危険な商売(職業)になる。しかし,そのことを別にしても,その生活は,人間の士気をそぐ(生活を堕落させる)ものである。その生活は怠惰なものであり,過度な飲酒になりやすい。その生活には,売春婦(娼婦)が一般に(世間から)軽蔑され,多分,客からでさえ悪く思われるという,重大な欠点(drawback 不利益)がある。売春は,本能に反する生活である。 修道女(nun)の生活とほとんど同じくらい本能に反する生活である。以上のような理由で,キリスト教国に存在している売春は,はなはだ望ましくない職業である(と考える)。

日本では,見たところ,事情はまるで違っているようである。売春は,(一つの)職業として認められ,尊重されており,親に言われて(頼まれて)この道を選ぶことさえある(at the instance of 依頼されて)。売春は,嫁入りのための持参金(結婚資金)をかせぐ手段(method of earning a marriage dowry)でさえある場合もめずらしくない。一部の権威者によると,日本人には,梅毒の免疫性幾分あるという。その結果,日本における売春婦の職業には,道徳が一段と厳格なところでのような暗さ(汚らわしいさ)がない。売春がどうしても存続しなければならないのであれば,ヨーロッパで見慣れているものよりも,日本的な形式で存在するほうがよいことは,明らかである。どこにおいても,道徳の基準が厳格であればあるほど,売春婦(娼婦)の生活はいよいよ堕落していく(ひどいものになっていく)ことは,明白である。

Prostitution as it exists at present is obviously an undesirable kind of life. The risk of disease in itself renders prostitution a dangerous trade like working in white lead, but apart from that the life is a demoralizing one. It is idle, and tends to excessive drinking. It has the grave drawback that the prostitute is generally despised, and is probably thought ill of even by her clients. It is a life against instinct – quite as much against instinct as the life of a nun. For all these reasons prostitution, as it exists in Christian countries, is an extraordinarily undesirable career.
In Japan, apparently, the matter is quite otherwise. Prostitution is recognized and respected as a career, and is even adopted at the instance of parents. It is even a not uncommon method of earning a marriage dowry. According to some authorities, the Japanese have a partial immunity from syphilis. Accordingly the career of a prostitute in Japan has not the sordidness that it has where morality is more stern. Clearly, if prostitution must survive, it is better that it should exist in the Japanese form than in that to which we are accustomed in Europe. It is obvious that the more strict the standard of morality in any country, the more degradation will attach to the life of a prostitute.
ラッセル『結婚論』第十一章 売春 n.6:
出典: Marriage and Morals, 1929.
詳細情報:http://russell-j.com/beginner/MM11-060.HTM

ラッセル『結婚論』第十一章 売春 n.5

ラッセル『結婚論』第十一章 売春 n.5: 性病の危険と対策

 以上三つのうち,最も重要なのは,健康上(社会衛生上)の危険である。言うまでもなく,性病が広がるのは,主に売春婦(娼婦)(との性交)を通してである。売春婦(娼婦)の登録と国家による検診によって,この問題に対処する試みは,純粋に医学的見地から見れば,あまり成功しないことがわかったし,警察に与えられた売春婦(娼婦)の登録をとりしまる影響力/支配力(権限)のゆえに,また,時には,職業的な売春婦になるつもりはまったくない女性に対する影響力/支配力(権限)においてさえ,とかく不愉快に乱用されがちである。また,この影響力/支配力(権限)は,職業的な売春婦になるつもりはまったくなかっけれども法律上の(売春婦の)定義に(自分が)該当することがわかった女性の場合にも,乱用されがちである。

もちろん,性病は,罪に対する正当な罰だ見なされないのであれば,現在よりもずっと効果的に対処することができるであろう。性病にかかる可能性を大きく減らせる予防措置を前もって講じることができるが,そういう知識は罪を増進しかねないという根拠で,そういった予防措置の性質を広く知らせることは望ましくないと考えられている(注:当時のキリスト教関係者の多くが考えていた)。

さらに,性病にかかった人びとは,恥ずかしさから,(また)この種の病気はいかなるものも不名誉なものと考えられているので,治療を先送りする(延期する)者が多い。。この点に関する社会の態度は,疑いなく,以前よりもましになっているので,さらに改善されるなら,その結果は,性病のいちじるしい減少をもたらすかもしれない(可能性がある)。にもかかわらず,売春が存続するかぎり,他のいかなるものよりも(売春は)危険な病気を広める手段を提供することは,明らかである。

The danger to health is the most important of these three. It is, of course, mainly through prostitutes that venereal disease is spread. The attempts to cope with this problem by registration of prostitutes and State inspection have not been found very successful from a purely medical point of view, and are liable to unpleasant abuses because of the hold which they give to the police over prostitutes, and even on occasion over women who had no intention of becoming professional prostitutes, but have found themselves unintentionally included within the legal definition. Venereal disease could, of course, be coped with much more effectively than it is, if it were not regarded as a just punishment for sin. It is possible to take precautions in advance which much diminish the likelihood of it, but it is thought undesirable to make the nature of these precautions widely known, on the ground that such knowledge might promote sin. And those who acquire a venereal disease often postpone treatment because they are ashamed, any disease of this sort being considered disgraceful. The attitude of the community in these respects is undoubtedly better than it used to be, and if it improves still farther, the result may be a very considerable diminution of venereal disease. Nevertheless, it is obvious that prostitution, so long as it exists, will afford a means of spreading disease more dangerous than any other.
出典: Marriage and Morals, 1929.
詳細情報:http://russell-j.com/beginner/MM11-050.HTM

ラッセル『結婚論』第十一章 売春 n.4

ラッセル『結婚論』第十一章 売春 n.4: 売春「制度」の弊害

 売春(制度)は,南アメリカを除いて,衰えつつあるように思われる(原注:アルベルト・ロンドレス『ブエノスアイレスヘの道』(1929年刊)参照)。それは(その原因は),一部には(ひとつには),女性にとって,売春以外の(に)生計をたてる手段が以前よりも多くなったことであり,また一部には(ひとつには),今日では,以前よりも多くの女性が,経済的な動機からではなく,好んで(from inclination ~への傾向から),進んで男性と婚外関係を結ぶようになったことであることは,疑いない。それにもかかわらず,売春(制度)が全面的に廃止できるとは私は思わない。たとえば,長い航海ののち,上陸する水夫たちのことを例にとってみよう(考えてみよう)。彼らに,愛情だけから近づいてくる女性に求愛する辛抱強さを(持っていると)期待することは,できない。あるいは,結婚生活が不幸で,妻を恐れているかなり多くの男たちのことを考えてみよう。そういう男たちは,家庭を離れると,安らぎと解放を求めるだろう。しかも,できるだけ心理的な負担のない形で,それを望むであろう。

にもかかわらず売春を最小限度まで減らしたいと望むことについては,重大な理由が(いくつか)ある。売春は,次の三つの重大な反対(異議)がある第一に,社会の健康(保健衛生)に対する危険,第二に,女性にあたえる心理的な損害,第三に,男性にあたえる心理的な損害である。

Prostitution, except in South America (note: See Albert Londres, The Road to Buenos Ayres, I929), appears to be on the decline, partly, no doubt, owing to the fact that other means of livelihood are more available to women than they used to be, and partly also to the fact that many more women than used to be the case are now willing to have extra-marital relations with men, from inclination and not from commercial motives. Nevertheless, I do not think that prostitution can be abolished wholly. Take, for example, sailors when they come ashore after a long voyage. They cannot be expected to have the patience to woo women who will only come to them out of affection. Or take again the fairly large class of men who are unhappy in marriage and afraid of their wives. Such men will seek ease and release when they are away from home, and will desire it in a form as free from psychological obligations as possible. There are, nevertheless, serious reasons for wishing to reduce prostitution to a minimum. It is open to three grave objections : first, the danger to the health of the community ; second, the psychological damage to women; and third, the psychological damage to men.
出典: Marriage and Morals, 1929.
詳細情報:http://russell-j.com/beginner/MM11-040.HTM

ラッセル『結婚論』第十一章 売春 n.3

ラッセル『結婚論』第十一章 売春 n.3

 売春は,現在のように(that it has become),つねに軽蔑され,秘密にされていたわけではない。実際,売春(制度)の起源は,この上もなく(as could be)高尚なものであった。元来,売春婦(娼婦)は,神(注:男性神あるいは雌雄のない神)あるいは女神(godess)に身をささげた(献身的な)尼僧であった。そして,行きずりの旅人に奉仕することは,礼拝行為を行うことであった(行うことに他ならなかった)。当時,売春婦(娼婦)は敬意をもって扱われ,男性たちは売春婦(娼婦)を利用しながら彼女たちを讃えていた。キリスト教の教父たちは,多くのページを割いてこの制度は,異教徒の信仰の好色性と悪魔の策略に由来することを示している,と言って,罵り言葉(invectives)をあびせて非難した。寺院は閉鎖され,売春は至るところで,すでに多くの場所でそうなっていたもの,すなわち,利益(金儲け)のために経営される商業化された施設になった。もちろん,,それは売春婦(娼婦)の利益ではなく,売春婦(娼婦)を事実上の奴隷にしている者たちの利益であった。というのも,かなり最近まで,現在では通例(rule 原則)になっている独立した売春婦(娼婦)は例外であり,大多数の者は,売春宿(brothels)や浴場やその他の評判の悪い施設(institutions of ill-frame)にいたからである。インドにおいては,宗教的売春から商業的売春への遷移は,まだ,完了していない。『母なるインド』の著者キャサリーン・メイヨーは,かの国(インド)を告発する理由の一つとして,宗教的売春の残存を挙げている。

Prostitution was not always the despised and hidden thing that it has become. Its origin, indeed, is as lofty as could be. Originally the prostitute was a priestess dedicated to a god or a goddess, and in serving the passing stranger she was performing an act of worship. In those days she was treated with respect, and while men used her they honoured her. The Christian Fathers filled many pages with invectives against this system, which, they said, showed the lasciviousness of the Pagan worship and its origin in the wiles of Satan. The temples were closed, and prostitution became everywhere what it had already become in many places, a commercialized institution run for profit – not, of course, for the profit of the prostitutes, but of those whose virtual slaves they were, for until fairly recent times the individual prostitute, who is now the rule, was a rare exception, and the great majority were in brothels or baths or other institutions of ill-fame. In India the transition from religious to commercial prostitution is not yet quite complete. Katherine Mayo, the author of Mother India, adduces the survival of religious prostitution as one of the counts of her indictment against that country.
出典: Marriage and Morals, 1929.
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ラッセル『結婚論』第十一章 売春 n.2

ラッセル売春制度を肯定しているわけではないので誤読をしないように
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第十一章 売春 n.2:

売春(制度)の必要(性)は,次のような事実から生じる。(即ち)多くの男性は未婚(まだ独身)でいるか,あるいは,旅行中は妻のもとを離れているということ(事実),それから,そういう男性は性欲を抑え続けることで満足しないこと(事実),また,因習的に道徳的な社会においては,ちゃんとした女性は自分の自由にできない(手に入らない)ということ(事実)から生じる。そこで(それゆえ),社会は,男性の欲求(必要性)を満たすためにある一定の階級の女性を別に取っておく(のである)。男性は,そういう欲望を認めるのは恥ずかしいけれども,さりとて(注:yet しかしそうは言っても),まったく満足させないでおくのもいやなのである。

 売春婦(娼婦)には,次のような利点がある。即ち,すぐに利用できるばかりではなく,その職業以外の生活がないから(注:通常,他に仕事をもっていないし,子どももいない),苦もなく(売春をしていることを)隠しておけるし,売春婦(娼婦)と一緒に過ごした男性は(be with her),体面(威厳)を傷つけないで,(情事をした後で)妻や,家族や,教会に戻っていくことができる(のである)。けれども,売春婦(娼婦)は,あわれにも,疑う余地のない奉仕を行っているにもかかわらず,また,妻や娘の貞操や,教区委員(churchwardens)の見かけだけの美徳を守っているにもかかわらず,誰からも軽蔑され,世間からのはみ出し者(outcast 追放者)と思われ,商売による他は,普通の人たちとつきあうことが許されない。この明白な不公平(不正義)は,(西欧においては)キリスト教の勝利とともに始まり,その後(現在まで)ずっと続いている。売春婦(娼婦)の真(本当)の攻撃は,彼女たち(の存在そのもの)が道学者の職業のむなしさをあばくことである。(フロイトの言う)潜在意識(検閲官)によって抑圧された思考のように,売春婦(娼婦)は無意識の領域に追放されなければならない(のである)。けれども,そこから(Thence),こうした追放者がそうするように,売春婦(娼婦)は,意図しない形で,復讐をする(のである)。

だが 最もしばしば(ロンドンの)真夜中の路上で私が聞くのは
生まれたばかりの乳飲み子の涙を枯らし
結婚の霊柩車(れいきゅうしゃ)を疫病で台無しにする
年若い娼婦の呪い声

(注:出典が示されていないが,英国人ならみんな知っている W. Blake の詩「London」からの引用だからか?)
http://pb-music.sakura.ne.jp/PoetBlake.htm

Chapter X: Prostitution, n.2

The need for prostitution arises from the fact that many men are either unmarried or away from their wives on journeys, that such men are not content to remain continent, and that in a conventionally virtuous community they do not find respectable women available. Society therefore sets apart a certain class of women for the satisfaction of those masculine needs which it is ashamed to acknowledge yet afraid to leave wholly unsatisfied. The prostitute has the advantage, not only that she is available at a moment’s notice, but that, having no life outside her profession, she can remain hidden without difficulty, and the man who has been with her can return to his wife, his family, and his church with unimpaired dignity. She, however, poor woman, in spite of the undoubted service she performs, in spite of the fact that she safeguards the virtue of wives and daughters and the apparent virtue of churchwardens, is universally despised, thought to be an outcast, and not allowed to associate with ordinary people except in the way of business. This blazing injustice began with the victory of the Christian religion, and has been continued ever since. The real offence of the prostitute is that she shows up the hollowness of moralistic professions. Like the thoughts repressed by the Freudian censor, she must be banished into the unconscious. Thence, however, as such exiles will, she wreaks an unintended vengeance.
But most, through midnight streets I hear
How the youthful harlot’s curse
Blasts the new-born infant’s tear
And blights with plagues the marriage-hearse.
出典: Marriage and Morals, 1929.
詳細情報:http://russell-j.com/beginner/MM11-020.HTM