自分は不平等に扱われたくないが他人を不平等に扱いたい人間性

 アメリカでは,万人は平等であるという考えから,あらゆる人々が自分には社会的優越者(自分よりも「社会的に」優越する者)は存在しない,という意見をもっているけれども,自分よりも社会的に劣る者はいない,ということは容認しない。なぜなら,万人は平等であるという教義はジェファーソンの時代以来,自分よりも上の方には適用されるが下の方には適用されないからである。
この間題については,人々が一般的論で言う場合には常に,深刻かつ広範な偽善が存在している。本当に(実際に)彼らが考えかる感じていることは,二流の小説を読むことで発見できる。そこからわかるのは,不適切な側(注:貧乏な側など)に生まれることがどれほど恐ろしいかということであり,またかつてドイツの小法廷でよくあったように,配偶のしまちがい(注:mesalliance 身分の低い者との結婚)に関して大騒動があるということである。富(財産)の大きな不平等が残存する限り,そのような状態を改める方法を理解するのは簡単ではない。家柄崇拝が深くしみついている英国においては,戦争(注:両大戦)によってもたらされた収入の平等化は,甚大な影響を及ぼしてきており,そうして,若者の間,年長の人たちの家柄崇拝はいくらか馬鹿げたことだと思われ始めている。現在でもいまだなお英国では,悲しむべき家柄崇拝(注:snobbery 俗物根性/紳士気取り)が非常に広範に見られるが,それは収入やかつての意味における社会的地位よりは,むしろ教育や言葉遣いに関連したものとなっている。

In America everybody is of opinion that he has no social superiors, since all men are equal, but he does not admit that he has no social inferiors, for, from the time of Jefferson onward, the doctrine that all men are equal applies only upwards, not downwards. There is on this subject a profound and widespread hypocrisy whenever people talk in general terms. What they really think and feel can be discovered by reading second-rate novels, where one finds that it is a dreadful thing to be born on the wrong side of the tracks, and that there is as much fuss about a mesalliance as there used to be in a small German Court. So long as great inequalities of wealth survive it is not easy to see how this can be otherwise. In England, where snobbery is deeply ingrained, the equalization of incomes which has been brought about by the war has had a profound effect, and among the young the snobbery of their elders has begun to seem somewhat ridiculous. There is still a very large amount of regrettable snobbery in England, but it is connected more with education and manner of speech than with income or with social status in the old sense.
出典:Bertrand Russell: Ideas That Have Harmed Mankind,1946.
詳細情報:http://russell-j.com/beginner/0861HARM-150.HTM

<寸言>
よく反省してみれば、自分は不平等に’扱われたくない’が他人を不平等に’扱いたい’人間性はよく理解できるはず。
「忖度」(そんたく)だって同じこと。権力者や他人に対して優位にたっている者は、自分より下位の者には自分に対して「忖度する」ことを期待したり要求したりする。「忖度」は悪いことばかりではなく、他人に対する「思いやり」であるから必要だと開き直る者もいたりする。
 しかし、ごまかされてはならない。「思いやり」は上下の関係なくなされるものであるが、「忖度」は自分より上位の者に対する心遣い(おべっか)であり、下位の者に対して「忖度する」という言葉は使われない。
(写真:安倍総理に対し、忖度して拍手をする与党議員 8安倍晋三首相が2016年9月26日の衆院本会議で行った所信表明演説で、領土や領海、領空の警備に当たっている海上保安庁、警察、自衛隊をたたえた際、安倍氏に促された自民党の議員たちが一斉に立ち上がって手をたたき続けたため、約10秒間、演説が中断)