「少しでもよいところがあればまったくないよりまし」は常に真「ではない」

on the beach 1959・・・。私はネビル・シュートの『渚にて』を読み,(その後)その映画の試写会に出席した。その映画は,核戦争に(必然的に伴う)恐ろしく,残酷な事実から,即ち,汚染された空気や水や土壌によってひき起こされる病気や苦痛,通信手段のまったくない無政府状態において住民の間に起こりそうな略奪や殺人,また,起こる可能性のあるあらゆる災害や苦しみから,故意に目をそらそうとしていたので,私はがっかりさせられた。その映画は第一次世界大戦中の塹壕戦について時折語られていたところの美化された物語に似ていた。しかもなお,その映画は公開上映され,核戦争の恐怖を小さくみせようとすることなく,現状をはっきりさせようと思う人々から大いに賞賛された。★★★私自身もその映画を見た直後は,少しでもよいところがあればまったくないよりましだという,後に間違っていると思うようになった意見のもと賞賛した事実によって,私は非常に苦しめられた。★★★
その様なことは全て,電撃的な嫌悪感をもたらすべきことについて’ありふれたこと’のような感じをもたせるとともに,そのような嫌悪感が持つ真の価値を剥ぎ取ってしまう,と私は考えるようになった。

In December, 1959, I had read Neville Shute’s On the Beach and I attended a private viewing of its film. I was cast down by the deliberate turning away it displayed from the horrible, harsh facts entailed by nuclear war – the disease and suffering caused by poisoned air and water and soil, the looting and murder likely among a population in anarchy with no means of communication, and all the probable evils and pain. It was like the prettified stories that were sometimes told about trench warfare during the First World War. Yet the film was put out and praised by people who meant to make the situation clear, not to belittle the horror. I was particularly distressed by the fact that I myself had praised the film directly after seeing it in what I came to think the mistaken opinion that a little was better than nothing. All that sort of thing does, I came to think, is to make familiar and rob of its true value what should carry a shock of revulsion.
出典: The Autobiography of Bertrand Russell, v.3, chap. 3:Trafalgar Square, 1969]
詳細情報:http://russell-j.com/beginner/AB33-130.HTM

[寸言]
核兵器を破壊力の大きな爆弾であり、どんなに大きな被害をもたらしたとしてもその被害は一時的なものであると考えたがる(あるいは考えてきた)権力者たち。放射能の被害をこれまで過小評価してきた。敵国に落とした核兵器であっても、空は世界中につながっていることを考えれば・・・。

シドニー・フックとの論争-「自由」か「死」か?

Sydney-Hook_Bertrand-Russell その頃、私は、シドニー・フック(Sidney Hook, 1902-1989)という名の米国の哲学者と論争を行った。両者とも、この論争において、議論を論理的に進めることは困難だということがわかった。彼はメンシェビキ(注:ロシア社会民主労働党が分裂して形成された、社会主義右派)であり、ロシアが世界を支配するのではないかと恐れるようになっていた。彼はそうなれば非常に恐ろしいと考えたので、それよりもむしろ’人類’は滅んでしまった方がましだと考えた。私は、将来のことはわからないし、’人類’が生きのびれば(いったんロシアが世界を制覇したとしても)過去におけるよりはるかに良くなるかも知れない(可能性がある)という理由から、彼のそうした見方と戦った。
私はチンギス・カン(注:モンゴル帝国初代皇帝、1162?~1227;在位は1206~1227)とクビラィ・カン(注:モンゴル帝国第5第皇帝、元の初代皇帝、1215~1294、在位1260~1294)の時代を例に引いた。両者(の統治期間)のへだたりはわずか一世代(約三十年間)のちがいにすぎなかったが、一方(前者)はまことに恐ろしく、他方(後者)は称賛に価した。けれども彼が引用することの出来た反例も沢山あった。それを考慮すると決定的な結論を下すことは不可能だったけれども、私は、より良い世界へのいかなるチャンスも希望を持ってこそ見出せるのであり、それゆえ、希望を持つ方を選択すべきであると主張した。もちろんこれは論理的な議論とはいえなかったが、大部分の人々がそのように考えることの方が説得力があると思うだろうと私は考えた。数年後、フックは再び公然と私を攻撃した。しかしこの時は、私が何もコメントする必要がないようなし方で攻撃がなされた。けれども、「自由」を防衛し、ヴェトナムに関する私の見解を攻撃するために、彼がその手段として、CIA(米国中央情報局)が資金を提供していたことが後に認められた雑誌(注:New Leader のこと)を選んでいたことがわかり、面白かった。
(ラッセル注:New Leader 誌は、中国に反対する論文を掲載することで蒋介石政府から三千ドル受け取った。同誌はその後、『詐欺の戦略! -世界の共産主義者の戦術に関する研究』という本の出版準備をし、そうして米国政府から、秘密裏に一万二千ドルの支払いを受けた。CIA(米国中央情報局)が米国議会歳出小委員会に、図書出版のための支出額を9万ドルから19万5千ドルに増額することを要求した時、CIAは立法府議員達に対し、その資金は、「CIA自身の活動の明細を述べるための、また「強力な反共主義の内容を有するための」図書’(の出版)に使われることを確言した。『ニューヨーク・タイムズ紙』1964年5月3日付より)

American philosopher named Sidney Hook at this time that was one which both of us found difficult to conduct on logical lines. He was a Menshevic who had become apprehensive of Russia ruling the world. He thought this so dreadful that it would be better the human race should cease to exist. I combated this view on the ground that we do not know the future, which, so long as Man survives, may be immensely better than the past. I instanced the times of Genghiz Khan and Kublai Khan, separated by only a generation, but one horrible, the other admirable. But there were plenty of contrary instances that he could have adduced, in view of which a definite decision was impossible. I maintained, however, that any chance of a better world depended upon hope, and was on this account to be preferred. This was not a logical argument, but I thought that most people would find it convincing. Sevetal years later. Hook again attacked me publicly, but this time in such a marner that no comment from me was necessary. It amused me, however, that for his defence of ‘freedom’ and his attack on my views on Vietnam, he chose as his vehicle a jounal later admitted to be financed by the Central Intelligence Ageney
出典: The Autobiography of Bertrand Russell, v.3 chap. 3: _Trafalgar Square, 1969]
詳細情報:http://russell-j.com/beginner/AB33-120.HTM

[寸言]
利権を持っている人間や組織から資金や財政的支援を受けて特定の組織(企業、団体、時に政府=政権)を擁護する発言や宣伝をしているのであれば、たとえ自分は御用学者ではない/自分の信念を言っているだけだと言っていても,彼(彼女)は御用学者の一員である。自分が気に入らない者がもらうのは「賄賂」だが、自分がもらうのは「浄財」だと言う自己欺瞞(悪魔に魂を売った・・・)。

共産主義に支配されるよりも人類の絶滅のほうを選ぶと言う人々

Prospects-of-Mankind_1960・・・。もう一つの、失望を抱かせたテレビ関係の出来事は、ルーズヴェルト夫人(米国大統領夫人)、ブースビー卿、ゲイッケル氏(英国労働党党首)と私の4人で、核問題に関して論じあったBBCの番組(注:Prospects of Mankind 視聴: http://russell-j.com/multimedia/br-196009.flv ダウンロードに少し時間がかかります!)であった。ルーズヴェルト夫人は、’共産主義に屈服するよりは人類を破滅させた方がましであり、彼女自身その方を好む’という信条を述べたが、それを聞いて私はぞっとした。私は正確に聞き取らなかったのかもしれないと思いつつスタジオを去った。しかし、翌朝の新聞で彼女の言ったことを読み、彼女が実際にこの危険な見方を述べたという事実に直面せざるを得なかった。

Another disappointing TV occasion was a BBC discussion of nuclear matters by Mrs Roosevelt, Lord Boothby, Mr Gaitskell, and myself. I was horrified to hear Mrs Roosevelt enunciate the belief that it would be better, and that she would prefer, to have the human race destroyed than to have it succumb to Communism. I came away thinking that I could not have heard aright. Upon reading her remarks in the next morning’s papers I had to face that fact that she really had expressed this dangerous view.
出典: The Autobiography of Bertrand Russell, v.3 chap. 3: _Trafalgar Square, 1969]
詳細情報:http://russell-j.com/beginner/AB33-110.HTM

[寸言]
他人に迷惑をかけないのであればどのような意見を持とうと自由ではあるが、権力者(大統領)の夫人が「共産主義に侵略されるよりも核戦争を選ぶ」などと言うことは認められない。即ち、その人が頭のなかで何を考えようと自由だが、「他の人々を巻き添えで死なせる自由はない」

(核と平和の問題に関する)パグウォッシュ会議開催のための資金調達

PUG1-MEM 問題は、その仕事[核と平和の問題に関する科学者会議(=後にパグウォッシュ会議と呼ばれるようになった会議)の開催のための準備作業]をどのように遂行したらよいか、その様な会議をどこで開催したらよいか、それからとりわけ開催のための財政的裏づけをどうすれば得られるか、ということであった。私は、この会議はいかなる既成の団体の主義・主張にも縛られるべきではなく、完全に中立かつ自立したものであるべきだと確信していた。そして私以外の他の計画立案者も同様に考えた。けれども私たちは、英国では、仮に可能としても、自分から進んでその会議開催のために資金を提供しようとする者は個人にしろ団体にしろ一人も発見できなかった。また、紐つきでない自発的な支援者を見つけることはまったく不可能であった。そのすこし前、私はアメリカ在住のサイラス・イートン(Cyrus Eaton)から、私がなそうとしていることに賛成する温かい手紙を受け取っていた。彼は資金援助を申し出てくれていた。ギリシアの海運界の大立者アリストテレス・オナシス(Aristotle Onassis、1906年-1975年3月15日)もまた、もし会議をモンテ・カルロで開くならば資金援助をすると申し出ていた。サイラス・イートンは、今度は、もしその会議を自分の出生地である(カナダの)ノヴァ・スコシアのパグウォッシュ村で開くという条件で自分の申し出を確約した。彼は以前この会議と性質をまったく異にしているわけではない(→やや似ている)他の異なった種類の会議をそこで何度か開催したことがあった。私たちはイートンの示した条件に同意した。(写真:「第一回パグウォッシュ会議の参加者たち」-ラッセルは病気のため不参加)

The problem was how the work was to be carried out and where such a conference should be held and, above all, how it could be financed. I felt very sure that the conference should not be bound by the tenets of any established body and that it should be entirely neutral and independent; and the other planners thought likewise. But we could find no individual or organisation in England willing, if able, to finance it and certainly none willing to do so with no strings attached. Some time before, I had received a warm letter of approbation for what I was doing from Cyrus Eaton in America. He had offered to help with money. Aristotle Onassis, the Greek shipping magnate, had also offered to help if the conference were to take place at Monte Carlo. Cyrus Eaton now confirmed his offer if the conference were to be held at his birthplace, Pugwash in Nova Scotia. He had held other sorts of conferences there of a not wholly dissimilar character. We agreed to the condition.
出典: The Autobiography of Bertrand Russell, v.3 chap. 2: At home and abroad, 1969]
詳細情報:http://russell-j.com/beginner/AB32-320.HTM

[寸言]
パグウォッシュ会議は、1995年にノーベル平和賞を受賞した。しかし、ラッセルは米国をベトナム戦争その他で非難していたので、(アインシュタインとともに)パグウォッシュ会議の開催に尽力したラッセルはノーベル平和賞を受賞することはなかった。(因みに、平和運動においてラッセルほどの功績があるわけではない米国人のライナス・ポーリングは、ノーベル化学賞だけでなく、ノーベル平和賞も受賞している。)

共存か、あるいは,全体的破滅(人類の絶滅)か?

TPJ-CNW 核兵器による破壊に対する闘いの比較的初期のその時でさえ,私が既に非常に多様な方法で発言したと感じていた事柄について,新しい表現方法を発見するということはほとんど不可能のように思われた。私の最初の放送原稿は,生気のないものであり,力がまったく入っていないものであった。私は直ちにその原稿を捨て去り,身を引き締め,もし対策(方策)がとられなければ’将来の見通し’はいかに恐ろしいものであるかを精確に述べる決意をした。その結果は,私がそれまでに述べてきたこと全てを精選・洗練したもの(蒸留し余分なものを一切とりさったもの)となった。その新しい原稿には非常にぎっしり詰め込んだため,その問題(核兵器による破壊)について私がそれまでに発言したいかなることも,少なくともそれらのエッセンスは,見つけ出すことができる。
 しかしBBC(英国放送協会)は,それでもなお,私が多くの(BBCラジオ)聴取者を退屈させたりビックリさせたりするのではないかと恐れ,難色を示した。BBCは,その代わりとして,私のぞっとするような予感を相殺してくれる,若くそして陽気なサッカー選手(注:英国では football といえばサッカーのこと)と番組でディベイト(対論)するよう,依頼して来た。これは私にはまったくふまじめな態度だと思われるとともに,BBC当局は私が絶望を感じているものがいったい何であるかまったく理解していないということを明瞭に示していた。私はBBCの申し開きに同意することを拒否した。(そして)とうとう彼らは,私が12月(1954年)に私が単独で放送番組で話すことに同意した。その放送で私は,前述のように,私が人類の運命について抱いている恐れの全てとそのような恐れを抱く理由について述べた。
現在「人類の危機(Man’s Peril)」と呼ばれているその放送を,私は次の言葉で締めくくった。

「もし我々が選ぶならば,我々の前途には,幸福,知識,知恵における絶えざる進歩が横たわっている。我々は,喧嘩が忘れられないからといって,それらの代りに死を選ぶだろうか。私は,人類(同胞である全ての人間)に対し,一人の人間として訴える。「あなたがたの人間性を思い出し,それ以外のことを忘れよう。それができれば,新しい天国への道は開かれている。しかしそれができなければ,未来には全体的破滅(人類の絶滅)以外ないだろう。

Even then, in the relatively early days of the struggle against nuclear destruction, it seemed to me almost impossible to find a fresh way of putting what I had already, I felt, said in so many different ways. My first draft of the broadcast was an anaemic product, pulling all the punches. I threw it away at once, girded myself up and determined to say exactly how dreadful the prospect was unless measures were taken. The result was a distilled version of all that I had said theretofore. It was so tight packed that anything that I have since said on the subject can be found in it at least in essence. But the BBC still made difficulties, fearing that I should bore and frighten many listeners. They asked me to hold a debate, instead, with a young and cheerful footballer who could offset my grim forebodings. This seemed to me utterly frivolous and, showed so clearly that the BBC Authorities understood nothing of what it was all about that I felt desperate. I refused to accede to their pleadings. At last, it was agreed that I should do a broadcast in December by myself. In it, as I have said, I stated all my fears and the reasons for them. The broadcast, now called ‘Man’s Peril’, ended with the following words:

‘There lies before us, if we choose, continual progress in happiness, knowledge, and wisdom. Shall we, instead, choose death, because we cannot forget our quarrels? I appeal, as a human being to human beings: remember your humanity, and forget the rest. If you can do so, the way lies open to a new Paradise; if you cannot, nothing lies before you but universal death.’

出典: The Autobiography of Bertrand Russell, v.3 chap. 2: At home and abroad, 1969]
詳細情報:http://russell-j.com/beginner/AB32-150.HTM

[寸言]
視聴者の反応(結局は、視聴率)を気にするTV放送局とラッセルが行ったかけひき

BBCNHKに変えてみるとよいかも。
放送コードや時の政権による報道規制を考えれば、テレビ局の首脳は冒険をさけようとする。しかし、冒険的な番組であっても、良い番組であり視聴者の多くの支持があれば、当局の圧力を跳ね返すことができる。しかし、人事権を握っているトップが政権べったりであればそれはほぼ不可能となってしまう。
だからこそ、権力者側(保守体制側/既得権を死守したい支配層)はマスコミを支配下に置こうとする。民放広告収入の関係でコントロールできる。公共放送は、放送法にのっとって「客観的」な報道をするようにと、法律を自分たちの都合のよいように解釈して、圧力をかけることができる民放大株主の力が強く、権力者からの圧力に弱いので、番組の担当者を簡単に変えることができるNHKこそが「最後の砦」なのに、NHKのニュース報道部門(の中の政治担当)は、弱体化しており、「国営」放送になり下がりつつある!? それ以外の部門は、あいかわらず、頼もしい面が多くあるが・・・、残念!

国家主権を重視する大多数の人々は人類絶滅の危険をおかす方を好む

ZU-HSEP2 もし人類が生き残るべきであるならば,科学戦争(注:核及び生物化学兵器などの大量破壊兵器)を引き起こす力を最高位の権威のある国家(supreme State)だけに集中してもたせなければならないだろう。しかしこういった考えは人間精神の習性に相容れないものであるため,現在のところ,大多数の人々は人類絶滅の危険をおかす方を好むだろう。これは現代(我々)の最大の危険である。この危機に臨んで世界政府の樹立が間に合うかどうかは,現代における最大の問題である。
(イラスト B. Russell: Human Society in Ethics and Politics, 1954 より)

If mankind is to survive, the power of making scientific war will have to be concentrated in a supreme State. But this is so contrary to men’s mental habits that, as yet, the great majority would prefer to run the risk of extermination. This is the supreme danger of our age. Whether a World Government will be established in time or not is the supreme question.
出典:he Autobiography of Bertrand Russell, v.3:1944-1969, chap.1: Return to England.
詳細情報:http://russell-j.com/beginner/AB31-210.HTM

[寸言]
To be or not to be, that is the question.

戦勝国が敗戦国を裁くことの限界及び政府に対する不服従の是非の判断基準

DOKUSH49 ・・。このことは,ニュールンベルグ軍事裁判の時のように裁かれる者が敵側である場合は特にそうである。ニュールンベルグ裁判の刑事被告人も,もし彼らがドイツ人によって裁かれていたら,有罪の宣告を受けるようなことはなかったであろうと広く一般に認められた。ドイツ政府の敵側(注:連合国側)は,ドイツ人の間で政府に対する不服従行為をしなかったことを(ドイツ人に)有罪の宣告をする理由(弁解)として申し立てたが,もしそのような不服従行為をする兵士が自分たちの側(味方)にいたとしたらその者を(軍法会議にかけて)死刑にしてしまったことだろう。彼らが有罪の宣告をした多くのドイツ人は,そのような犯罪行為はただ上官の命令で行ったに過ぎないと抗弁したが,彼らはその抗弁を受けつけようとしなかった。ニュールンベルグ裁判の判事たちは,ドイツ人たちはドイツ政府に対する不服従行為を人間の品位と人道の名において行うべきであったという信念をもっていた。しかしもし彼らが,自分の国の者を裁いているのであって,敵国人を裁いているのではなかったとしたら,そういうふうには考えなかったであろう。しかし私は,味方であろうと敵であろうと,そのこと(敵には厳しく、味方には優しいこと)は真理であると信ずる。
私の信ずるところによれば,政府に対する不服従行為でも,それが認められるべき行為であるか,認められない行為であるかは,いかなる理由で行なわれたかのその理由によって ,即ち,それが行なわれたその目的の重大さ及びその行為の必要性に対する信念の深さによって,決まるのである。

This is admitted when it is an enemy who is tried, as in the Nuremberg Trials. It was widely admitted that the Nuremberg prisoners would not have been condemned if they had been tried by Germans. The enemies of the German Government would have punished with death any soldier among themselves who had practised the sort of civil disobedience the lack of which among Germans they pleaded as an excuse for condemning Germans. They refused to accept the plea made by many of those whom they condemned that they had committed criminal acts only under command of those in superior authority. The judges of Nuremberg believed that the Germans should have committed civil disobedience in the name of decency and humanity. This is little likely to have been their view if they had been judging their own countrymen and not their enemies . But I believe it is true of friend as well as foe. The line between proper acceptable civil disobedience and inacceptable civil disobedience comes, I believe, with the reason for it being committed – the seriousness of the object for which it is committed and the profundity of the belief in its necessity.
* inacceptable = unacceptable
http://ejje.weblio.jp/content/inacceptable
出典:[From: The Autobiography of Bertrand Russell, v.3 chap. 1: Return to England, 1969]
詳細情報:http://russell-j.com/beginner/AB31-160.HTM

[寸言]
戦勝国が敗戦国を裁くことには限界があり、中立国(現在でいえば国際司法機関)が裁く必要がある。また、他国との戦争ではなく、一国内における、政府に対する反抗あるいは不服従に対する制裁の問題は、(国家といえども犯すことのできない)人間の基本的人権の視点で考える必要がある。

ラッセルもBBCの放送コードにひっかかってしまった

Man'sPeril1954 ’対ソ封じ込め政策‘は,愚かなことだと思った。そしてそれが英国の外交手腕(のまずさ)のせいで成功しなかったのをうれしく思った。その頃,私は,核戦争に反対していたが共産主義にも反対していたので,英国政府にとって’好ましい人物'(persona grata)であった。しかし,後に,私は1953年のスターリンの死及び(米国による)1954年のビキニ水爆実験によって,以前より共産主義に好意的になった。そして,核戦争の危険を,ロシアよりも,しだいに西側諸国とアメリカ(合衆国)のせいにするようになっていった。このような変化は,マッカーシズム(注:米国での「赤狩り」)や(黒人などに対する)市民権の制限のような,米国国内事情の進展によって養われていった。
私は,当時,BBC(英国放送協会)の種々の放送サービス(部門)のために,非常に多くの放送番組に出演していた。BBCは,スターリンの死に際し,私に番組出演を依頼して来た。私は,-スターリンは人間としてあり得る限り最も邪悪な存在であり,ロシア内に存するまたロシアによって脅威を与えられた,不幸と恐怖の大部分の悪の根源だと思っていたので- 出演依頼をとても嬉しく思い,放送番組でスターリンを非難し,彼が姿を消した(舞台から去った)ことを世界のために喜んだ。私は,BBCの放送コード(放送できる許容範囲)や品行方正さを忘れていた。それで,私の放送番組はついに放送されなかった。

I thought the Russian blockade was foolish and was glad that it was unsuccessful owing to the skill of the British. At this time I was persona grata with the British Government because, though I was against nuclear war, I was also anti-Communist. Later I was brought around to being more favourable to Communism by the death of Stalin in 1953 and by the Bikini test in 1954; and I came gradually to attribute, more and more, the danger of nuclear war to the West, to the United States of America, and less to Russia. This change was supported by developments inside the United States, such as McCarthyism and the restriction of civil liberties. I was doing a great deal of broadcasting for the various services of the BBC and they asked me to do one at the time of Stalin’s death. As I rejoiced mightily in that event, since I felt Stalin to be as wicked as one man could be and to be the root evil of most of the misery and terror in, and threatened by, Russia, I condemned him in my broadcast and rejoiced for the world in his departure from the scene. I forgot the BBC susceptibilities and respectabilities. My broadcast never went on the air.
出典: The Autobiography of Bertrand Russell, v.3 chap. 1: Return to England, 1969]
詳細情報:http://russell-j.com/beginner/AB31-080.HTM

[寸言]
NHKには定まった放送コード以外に(隠された)籾井コードがある?

同国人(英国人)によるドレスデンの完全破壊のおぞましさ

私は,昔のベルリンをよく知っていた。それで,この時見たベルリンのぞっとするような見るも恐ろしい破壊(の光景)は,とてもショックだった。(ホテルの)部屋の窓からは,立っている家はほとんど一軒も見あたらなかった。(また)ドイツ人が住んでいるところを見つけ出すこともできなかった。この徹底的な破壊は,一部は英国人(軍)が行い,一部はロシア人(軍)が行ったものであって,極悪非道な行為だと思われた。
dresden_razing (ベルリンの破壊よりも)いっそう弁解できない同国人(英国人)によるドレスデンの完全破壊(抹消)を熟視し,私は胸が悪くなった
((YouTube 動画(ドレスデン空襲: http://youtu.be/SU3wkOGXlcY)。私は,ドイツが明らかに降伏しようとしていたのであるからそれで十分だと思うとともに,135,000人のドイツ人(注:ドレスデン市民)を殺すだけでなく,ドイツ人の住居全てと無数の財産を破壊することは野蛮行為であると思った。
私は,連合国によるドイツの取り扱い方は,ほとんど信じがたいほど愚かであると思った。勝利をおさめた国々の政府は,ドイツの一部をロシアに与え,一部を西側に与えることによって -特に,ベルリンが分割され,西側からベルリンの(西側の)部分(=西ベルリン)にアクセスするには空路によるほか何の保証もなかったので- 東西間の争いの継続を確かなものにした。彼らは,ロシアと西側の同盟国の間の平和的協力を想像していた。しかし,そんな結果は起こりそうもないことを予見すべきだった。感情面に限っても,実際に起こったのは,西側諸国の共通の敵としてのロシアとの戦いの継続ということであった。第三次世界大戦のための舞台が準備された。そしてそれは,諸政府の全く愚かな行為によって念入りになされたであった。

I had known Berlin well in the old days, and the hideous destruction that I saw at this time shocked me. From my window I could barely see one house standing. I could not discover where the Germans were living. This complete destruction was due partly to the English and partly to the Russians, and it seemed to me monstrous. Contemplation of the less accountable razing of Dresden by my own countrymen sickened me. I felt that when the Germans were obviously about to surrender that was enough, and that to destroy not only 135,000 Germans but also all their houses and countless treasures was barbarous.
I felt the treatment of Germany by the Allies to be almost incredibly foolish. By giving part of Germany to Russia and part to the West, the victorious Governments ensured the continuation of strife between East and West, particularly as Berlin was partitioned and there was no guarantee of access by the West to its part of Berlin except by air. They had imagined a peaceful co-operation between Russia and her Western allies, but they ought to have foreseen that this was not a likely outcome. As far as sentiment was concerned, what happened was a continuation of the war with Russia as the common enemy of the West. The stage was set for the Third World War, and this was done deliberately by the utter folly of Governments.
出典: The Autobiography of Bertrand Russell, v.3 chap. 1: Return to England, 1969]
詳細情報:http://russell-j.com/beginner/AB31-070.HTM

[寸言}
二度と戦争を起こさせないようにしないといけないという口実で、敵国の領土や人々に対する徹底的な破壊が行われる。第一次世界大戦の時には、ドイツが支払いきれない天文学的な賠償金も課された。そういうことをすれば「いつかは見返してやる(やっつけてやる)」という気持ちが敗れた国民の間に広がってしまい、また新たな戦争の種となる。その反省で、第二次世界大戦は後は過大な賠償金を課さなかったのはよいが、ベルリンの分割統治や、中東に勝手に国境線を引くなどして、対立や戦争の種をまた作ってしまった。国力を強めるため(国益の確保!)にといって、他国(特に石油などのエネルギー資源)に対する利権をできるだけ確保しようとする愚かな政治家たち

記憶違いから、言ったことを言ったことはないと主張する恥ずかしい行為

img それにもかかわらず,私は,その助言 (注:1948年暮れに,核軍備廃棄をソ連に強制するためにアメリカがソ連に対し,開戦の脅威を与えて核を廃棄させる矯正策をラッセルがプライベートな手紙で示唆/ラッセル76歳の時) をした時は,それが実際とりあげられるという望みもなく,’不用意に‘その助言を行なったので,その助言をしたことを間もなく忘れてしまった。私は,その考えを私信に書き,また演説でも -どの演説だったか覚えていない- 述べたが,その演説は新聞によってあれこれと吟味(解剖)される問題となった。後になって,その手紙の受信者が,それを出版することを許可してほしいと私に頼んで来た。私は,いつのように,その内容のことは少しも考えずに,そうしたいのなら出版してもかまわない,と言ってやった。それでその人は,出版をした。そうして私は,自分が先にそういう’示唆’をしたことに気付き,驚いた。また私は,それと同じことを前述の演説でも述べていることをまったく忘れていた。嘆かわしいことに,私は,この疑いの余地のない証拠を目の前につきつけられるまで,その間,そのような提言を自分が以前にしたということを断固として否定していたのである。遺憾なことであった。分が実際に言ったことを言っていないと否定するのは,恥ずべきことである。そういった場合は,その言をあくまでも押し通すか,あるいは間違いを認めて撤回するか,二つに一つしか方法はない。このケースでは,私は自分の発言を押し通すこと(=正しいと主張し続けること)が可能であり,実際押し通し,自己弁護した。もっと早くそうすべきだったが,長年の径験に基づく自分の記憶の誤りにより,あまりにも自分の記憶に信頼を置きすぎるようになっていたのである。

None the less, at the time I gave this advice, I gave it so casually without any real hope that it would be followed, that I soon forgot I had given it. I had mentioned it in a private letter and again in a speech that I did not know was to be the subject of dissection by the press. When, later, the recipient of the letter asked me for permission to publish it, I said, as I usually do, without consideration of the contents, that if he wished he might publish it. He did so. And to my surprise I learned of my earlier suggestion. I had, also, entirely forgotten that it occurred in the above-mentioned speech. Unfortunately, in the meantime, before this incontrovertible evidence was set before me, I had hotly denied that I had ever made such a suggestion. It was a pity. It is shameful to deny one’s own words. One can only defend or retract them. In this case I could, and did, defend them, and should have done so earlier but from a fault of my memory upon which from many years’ experience I had come to rely too unquestioningly.
発言: The Autobiography of Bertrand Russell, v.3 chap. 1: Return to England, 1969]
詳細情報:http://russell-j.com/beginner/AB31-050.HTM

[寸言}
これは生涯においてラッセルが最も悔いたことの一つ(注:記憶違いから,「過去に発言したこと」を発言していないと否定してしまったこと)。この発言をしたのは、米ソが膨大な核兵器を所有している時代ではなく、アメリカについでソ連も保有するようになった直後のことであり、核兵器が世界に広まったら大変なことになるとの危機感から一連の行為のなかの一つであることに注意。米ソが核兵器をたくさん保有し、核戦争になったら文明が滅びてしまうような時代においては、もちろん、たとえ私信であっても、ラッセルはこのような発言を、しないであろう。