「生存競争」 → 実際は,他人を出し抜いて「成功」するための競争

tackle-f ・・・。それゆえ,人びとが生存競争という言葉で意味しているのは,実際は,成功のための競争にほかならない。この競争に参加しているとき,人びとが恐れているのは,明日の朝食にありつけないのではないか,ということではなくて,隣人に勝る(勝つ)ことができないのではないか,ということである

What people mean, therefore, by the struggle for life is really the struggle for success. What people fear when they engage in the struggle is not that they will fail to get their breakfast next morning, but that they will fail to outshine their neighbours.
出典:The Conquest of Happiness, 1930, chap. 3: competition
詳細情報:http://russell-j.com/beginner/HA13-010.HTM

「経験」から学ばない人 most people learn nothing from experience

RATIONAL これらの老政治家は皆、物事を経験する前に彼らが既に思いこんでいたことを信ずる(再確認する)ことを経験から学んできたのである。というのは、大部分の人は、自分の偏見(予断)を再確認するだけで経験からは何も学ばないからである。経験から何ものかを学ぶためには、科学者気質の本質とも言える一種の偏見のない広い心(開かれた心)が必要である。ただし、科学者の多くも、この偏見のない広い心がいくらか欠けているが。

All these men have learnt from experience to believe what they already believed before they had experience, for most people learn nothing from experience, except confirmation of their prejudices. To learn anything genuinely from experience requires a kind of open-mindedness which is the essence of the scientific temper, though many men of science are somewhat lacking in it.
From:The lessons of experience, Sept. 23, 1931. In: Mortals and Others, v.1 (1975)
http://russell-j.com/EXPERIEN.HTM

[寸言]
ラッセルが嫌う「確信過剰」(cocksure)です。政治家だけではないですが,政治家は権力があるために,後の世の人々に,大きな被害を及ぼす可能性があります。
よく引用されるラッセルの次の言葉も同じ趣旨です。

揉め事(トラブル)の根本原因は、現代世界においては知的な(聡明な)人々が懐疑心でいっぱいである一方、愚かな人々が’確信過剰’である(cocksure)ということである。
(The fundamental cause of the trouble is that in the modern world the stupid are cocksure while the intelligent are full of doubt.)

遠い昔の旧友に会う時に孤独感が癒されるのは・・・ as men grow older

BR-MEDAL 我々は,年をとるにつれて我々の日常関係に入ってこない(要素とならない)人生の割合はいっそう大きくなっていく。大部分の友人たちは自分の一生の長い過去の経過について知らないので,自分の過去の経験のいっそう大きな部分が’日常の個人的つき合い’から除外される。年をとるにつれていっそう孤独を感じるようになるのは避けることのできない結果であり,遠い昔の旧友に会う時にこの孤独感が突然癒されるのである。

As we get older the portions of our life that do not enter into our ordinary relations become greater and greater. Most of our friends know nothing of large passages in our lives, so that an increasing part of our past experience is excluded from most of our personal relations. The inevitable result is that as men grow older they come to feel more solitary, and when they meet a friend of long ago, this feeling is suddenly relieved.
出典:Bertrand Russell: On old friends,Jan. 4th, 1933. In: Mortals and Others, v.1 (1975)
詳細情報:http://russell-j.com/O-FRIEND.HTM

「結果が全てだ」と言いはる野蛮人 when men assimilate themselves to machines …

hasimoto_toru (生産)過程に喜びがあるところにはスタイルがあり,生産活動は,それ自体,美的特質を持つに至るだろう。しかし,人間が機械に同化し,仕事自体ではなく仕事の結果のみを価値あるものとするならば,スタイルは消え,機械に同化した人間には(同化していない人間)よりも自然に思える,実際はただより野蛮なものが、それに取って代わる

Where there is delight in a process, there will be style, and the activity of production will itself have aethetic quality. But when men assimilate themselves to machines and value only the consequences of their work, not the work itself, style disappears, to be replaced by something which to the mechanised man appears more natural, though in fact it is only more brutal.
In praise of artificiality, Sept. 9, 1931. In: Mortals and Others, v.1 (1975)
http://russell-j.com/ARTIFICI.HTM

事件を待ち望む心-自分に被害が及ばない限り・・・

DOKUSH22 戦争,虐殺,迫害は,すべて退屈からの逃避の一部(逃避から生まれたもの)であり,隣人とのけんかさえ,何もないよりはましだと感じられてきた。それゆえ退屈は,人類の罪の少なくとも半分は退屈を恐れることに起因していることから,モラリスト(道徳家)にとってきわめて重要な問題である。

Wars, pogroms, and persecutions have all been part of the flight from boredom; even quarrels with neighbours have been found better than nothing. Boredom is therefore a vital problem for the moralist, since at least half the sins of mankind are caused by the fear of it.
出典:The Conquest of Happiness, 1930, chap. 4: boredom and excitement.
詳細情報:http://russell-j.com/beginner/HA14-030.HTM

死の恐怖に打ち勝つ最良の方法 The best way to overcome the fear of death

kaisin 老人のなかには死の恐怖で憂鬱になる者もいる。若い人の場合は,この感情を正当化できるものがある。戦闘(戦争)で殺される恐れを抱く理由のある若者は,人生が提供する最良のものを騙しとられているという思いで,苦々しく感じるのも,もっともであろう。しかし,人間の喜びと悲しみを知り,何であれ自分のなすべきことを全てなしとげた老人の場合には,死の恐怖を感じることはいくらか卑しく恥ずべきことである。死の恐怖に打ち勝つ最良の方法は -少くとも私にはそう思われるが- 自分(あなた)の関心(の対象)を次第に広くかつ非個人的なものにしていき,ついには自我の壁が少しずつ退いていき,自分の生命がしだいに宇宙の生命に溶け込んでいくようにすることである。個々の人間存在は,川のようなものであるべきであろう。最初は小さく,狭い土手の間を流れ,烈しい勢いで,岩々を後にし,滝を越えて進。次第に川幅は広がり,土手は後退し,水はより静かに流れ,ついには,波や流れは見えなくなり,海のなかへ没入し,苦痛もなくその個的存在を失う。老年になって,このように人生を見られる人は,彼が好む事物が存在し続けるゆえに,死の恐怖に苦しまないであろう。そして,仮に,生命力の減退とともに,物憂さが増せば,休息の考えは忌むべきものではないだろう。私は,私のもはや出来ないことを他人が引き継いでいることを知りつつ,自分が可能なことはやったという考えに満足して,いまだ仕事をしている間に死にたいものである。

Some old people are oppressed by the fear of death. In the young there is a justification for this feeling. Young men who have reason to fear that they will be killed in battle may justifiably feel bitter in the thought that they have been cheated of the best things that life has to offer. But in an old man who has known human joys and sorrows, and has achieved whatever work it was in him to do, the fear of death is somewhat abject and ignoble. The best way to overcome it – so at least it seems to me – is to make your interests gradually wider and more impersonal, until bit by bit the walls of the ego recede, and your life becomes increasingly merged in the universal life. An individual human existence should be like a river: small at first, narrowly contained within its banks, and rushing passionately past rocks and over waterfalls. Gradually the river grows wider, the banks recede, the waters flow more quietly, and in the end, without any visible break, they become merged in the sea, and painlessly lose their individual being. The man who, in old age, can see his life in this way, will not suffer from the fear of death, since the things he cares for will continue. And if, with the decay of vitality, weariness increases, the thought of rest will not be unwelcome. I should wish to die while still at work, knowing that others will carry on what I can no longer do and content in the thought that what was possible has been done.
出典: Portraits from Memory and Other Essays, 1956.
詳細情報: http://russell-j.com/cool/48T_HOW_TO_GROW_OLD.HTM

歴史に名を残したいという欲求(=虚栄心) ”Look at me”

hasimoto_toru 虚栄心は非常に大きな力を有している動機(原動力)である。子供と多くの関わりを持っている人であれば,彼らは常に何かふざけたことをやっては,「ほら,見て!」と言うのを見知っている。「ほら,見て!」(見て欲しい)というのは人間の心の最も基本的な欲求の一つである。それは,ふざけた行為から死後の名声の追求まで,数限りない形態をとりうる。ルネサンス期イタリアに一人の小公子(小君子)がいて,死の床で聖職者から何か懺悔しなければならないことはないか(あるか)と尋ねられた。彼は,次のように応えた。「はい,一つあります。私は,ある折に,皇帝と教皇との訪問を同時に受けました。私の邸宅内の塔のてっぺんからの眺めを見せるためにお二人を塔のてっぺんに案内しましたが,二人とも同時に投げ落として不滅の名声を自分に与える(不滅の名声を得る)機会を見逃して(怠って)しまいました。」 歴史(書)は,その聖職者がその小公子に赦免を与えたかどうかは物語っていない。虚栄心の厄介なことの一つは,虚栄心がエサとするもの(を食べる)とともに虚栄心も成長して大きくなるということである。話題にされればされるほど,ますます話題にされたがる。有罪を宣告された殺人犯は,新聞に掲載された自分の裁判記事を見ることを許され,もし報道の仕方が不適切なもの(注:ここでは内容よりは取り扱いが小さいもの)を見つけると,憤慨する。そして他のいろいろな新聞にも自分のことが載っているのを見つければ見つけるほど,報道が貧弱であったその新聞に対して,彼はますます腹を立てる。政治家や文士も事情は同じである。彼らが有名になればなるほど,新聞切抜き業者は彼らを満足させることがますます難しくなることがわかる。3歳の幼児から,渋面(しかめっつら)を示せば世界中が震え上がる(昔の)君主にいたるまで,人間生活の全領域に及ぶ虚栄心の影響力は,いくら誇張しても誇張し過ぎることがないほどである。人間は,同じような欲求が神にもあるとする不敬を犯してさえおり,神は不断の礼賛を渇望していると思いこんでいるしだいである。(注:これは冗談)

Vanity is a motive of immense potency. Anyone who has much to do with children knows how they are constantly performing some antic, and saying “Look at me”. “Look at me” is one of the most fundamental desires of the human heart. It can take innumerable forms, from buffoonery to the pursuit of posthumous fame. There was a Renaissance Italian princeling who was asked by the priest on his deathbed if he had anything to repent of. “Yes”, he said, “there is one thing. On one occasion I had a visit from the Emperor and the Pope simultaneously. I took them to the top of my tower to see the view, and I neglected the opportunity to throw them both down, which would have given me immortal fame”. History does not relate whether the priest gave him absolution. One of the troubles about vanity is that it grows with what it feeds on. The more you are talked about, the more you will wish to be talked about. The condemned murderer who is allowed to see the account of his trial in the press is indignant if he finds a newspaper which has reported it inadequately. And the more he finds about himself in other newspapers, the more indignant he will be with the one whose reports are meagre. Politicians and literary men are in the same case. And the more famous they become, the more difficult the press-cutting agency finds it to satisfy them. It is scarcely possible to exaggerate the influence of vanity throughout the range of human life, from the child of three to the potentate at whose frown the world trembles. Mankind have even committed the impiety of attributing similar desires to the Deity, whom they imagine avid for continual praise.
出典: Human Society in Ethics and Politics, 1954,pt.2,chap.2: Politically Important Desires (Nobel Prize Acceptant Speech)
詳細情報:http://russell-j.com/cool/47T-020201.HTM

ラッセル(作)「形而上学者の悪夢」 The Metaphysician’s Nightmare

TP-NOEP私(バンブロウスキー)はおべっか使いの形而上学者達と議論を始めました。

‘あなたがた(注:おべっか使いの形而上学者)の言っていることは馬鹿げている’,と私はいさめました。’あなたがたは無の存在こそが唯一の実在だと言う,あなたがたが崇拝している,このブラック・ホール(注:black hole 宇宙論に言うブラックホールではないことに注意))は存在しているとあなたがたは偽って言う。あなたがたは,非存在(存在しないもの)が存在するということを私(バンブロウスキー)に説得しようとしている。だがこれは矛盾だ。それに‘地獄の炎’がどんなに熱くなろうとも,私は矛盾を容認するほど,論理学上の存在を堕落させるようなことは決してしません。’
ここでおべっか使いの代表が議論にわってはいってきました。`あなた(バンブロウスキー)はせっかち過ぎる`,と彼は言いました。’あなたは非存在が存在することを否定するのですか?’ だが,あなたが存在を否定しようとするものは何ですか。もし非存在であるとするならば,それについての如何なる陳述も無意味となります。従って,非存在が存在しないというあなたの陳述も無意味ということです。あなたが文章の論理的分析(注:「ラッセルが非難したオックスフォードの日常言語学派が行った意味での」論理分析/ラッセルが行った論理分析でないことに注意)に余りにも少ししか注意を払わなかったのではないかと思います。この事は,あなたが子供の時に教えられているべきことでした。あなたは全ての文には主語があり,もし主語が無だとしたら,文は無意味となることは,ご存じではありませんか。そういうわけで,あなたが高潔なる熱情をもって悪魔-非存在なるもの-が存在しないと宣言するなら,明らかに矛盾したことを言っています(自己矛盾していることになります。)。
私(バンブロウスキー)は答えた。’あなたは,疑いもなく,地獄に来てからしばらく経っていて,やや古風な学説を受け入れ続けています。あなたは文章には主語があるなどむだ口をたたいていますが,そういった話は時代遅れです。私が非存在である悪魔は存在しないという時,私は,悪魔や非存在そのものについて言っているのではなく,ただ「悪魔(サタン)」という語,「非存在」という語に言及します。あなたの誤謬は,私に偉大なる真実を明らかにしてくれました。その偉大なる真実とは,「~でない(否)」という語は必要ないということです。今後私は「~でない(否)」という語は使わないことにします。’

I began to argue with the metaphysical sycophants:
‘What you say is absurd,’ I expostulated. ‘You proclaim that non-existence is the only reality. You pretend that this black hole which you worship exists. You are trying to persuade me that the non-existent exists. But this is a contradiction: and, however hot the flames of Hell may become, I will never so degrade my logical being as to accept a contradiction.’
At this point the President of the sycophants took up the argument: ‘You go too fast, my friend,’ he said. ‘You deny that the non-existent exists? But what is this to which you deny existence? If the non-existent is nothing, any statement about it is nonsense. And so is your statement that it does not exist. I am afraid you have paid too little attention to the logical analysis of sentences, which ought to have been taught you when you were a boy. Do you not know that every sentence has a subject, and that, if the subject were nothing, the sentence would be nonsense? So, when you proclaim, with virtuous heat, that Satan – Who is the non-existent- does not exist, you are plainly contradicting yourself.’
‘You,’ I replied, ‘have no doubt been here for some time and continue to embrace somewhat antiquated doctrines. You prate of sentences having subjects, but all that sort of talk is out of date. When I say that Satan, Who is the non-existent, does not exist, I mention neither Satan nor the non-existent, but only the word ‘Satan’ and the word ‘non-existent.’ Your fallacies have revealed to me a great truth. The great truth is that the word ‘not’ is superfluous. Henceforth I will not use the word ‘not.”
出典: Nightmares of Eminent Persons, 1945, Introduction.
詳細情報:http://russell-j.com/cool/47T-PREF-01.HTM

正気と狂気 a synthesis of insanities

1961C100 いかなる隔離された情熱も,隔離された状態のままでは(一種の)狂気である。正気とは,種々の狂気を総合(統合)したものとして定義してよいだろう。いかなる支配的な情熱も,(その情熱の対象を)達成できないという,支配的な恐怖を引き起こす。いかなる支配的な恐怖も,時には明白かつ意識的な狂信の形で,時には人を無力にさせる臆病のために,時には夢の中にのみ現れる無意識あるいは意識下の恐怖のために,悪夢を引き起こす。危険な世界において正気を保持したいと思う者は,自分の心のなかで恐怖の議会を招集し,そこにおいて,個々の恐怖を順にとりあげ,他の全ての恐怖によって,不合理であるとして票決されるべきである。
(右写真:英国防省前で核兵器反対座り込みデモをしている百人委員会=ラッセルが総裁)

(意訳)
 「正気」というのは,平凡かつ起伏のない感情の寄せ集めでできているものではない。それぞれの情熱(強い感情)を一つ一つとりあげれば「狂気」に映るかもしれないが,それらの情熱(+の狂気と-の狂気)をまとめると,全体としてみれば,プラスマイナス零となる。そういった状態が「正気」というのであろう。
Every isolated passion is, in isolation, insane; sanity may be defined
as a synthesis of insanities. Every dominant passion generates a
dominant fear, the fear of its non-fulfilment. Every dominant fear
generates a nightmare, sometimes in the form of an explicit and
conscious fanaticism, sometimes in a paralysing timidity, sometimes
in an unconscious or subconscious terror which finds expression only in dreams. The man who wishes to preserve sanity in a dangerous world should summon in his own mind a Parliament of fears, in which each in turn is voted absurd by all the others. …
出典: Nightmares of Eminent Persons, 1945, Introduction.
詳細情報: http://russell-j.com/cool/46E-INTR01.HTM

善人なおもて往生す,いわんや悪人をや ninety-nine just men

(ラッセル作の小説「郊外(町)の悪魔」から抜粋)

DOKUSH30 マラコ博士は応えた。「ああ,残念ながら,恐らく,我々の神聖なる宗教(キリスト教)には,あなたが十分に理解していないことが,たくさんあります。何ひとつ懺悔をする必要のない九十九人の正しい人間が,神のふところに帰った一人の罪人よりも,天国では喜びを得ることが少ないという寓話を,よくよく考えたことがおありでしょうか? ・・・ まず罪を犯さなくては罪を悔むことはできないということを,今まで思い浮かんだことはありませんか? さらに,これは福音書ではっきり教えているところです。神を喜ばす心構えに人を導きたいと望むなら,人間はまず罪を犯さなければなりません。・・・そうして,我々の神聖なる宗教の教えを信ずるなら,彼らの方が非の打ちどころのないまっすぐな人間よりも,造物主がお気に召す者になるのです。・・・
この論理は私を混乱させ,すっかり困惑してしまった。

‘Alas,’ Dr. Mal1ako replied, ‘there is, I fear, much in our holy  religion that you have failed adequately to understand. Have you  reflected upon the parable of the ninety-nine just men who needed no repentance, and caused less joy in Heaven than the one sinner who returned to the fold? … Has it ever occurred to you that one  cannot be contrite without first sinning? Yet this is the plain teaching of the Gospels. … and if we are to believe the teachings of our holy religion, they will then be more pleasing to their Maker than the  impeccably righteous, among whom hitherto you have been a notable  example.’
This logic confounded me, and I became perplexed in the extreme.
出典: Satan in the Suburbs, and Other Stories, 1953.
詳細:http://russell-j.com/cool/45T-0101.HTM

哲学者バートランド・ラッセルの言葉を毎日お届け