ラッセル『私の哲学の発展』第2章 私の現在の世界観 n.2

 もしこの(私の)当初の先入観が受けいれられるならば、宇宙の歴史における主要な過程(process 経過,過程)の理解のために先ず目を向けるべきは理論物理学であることは明らかである。あいにくなことに、理論物理学は、17世紀に享受したあの素晴らしい断言的な明瞭さを持って語ることは最早しない。ニュートン(1642-1727:17世紀の偉大な物理学者)は、4つの基本概念,即ち,空間,時間,物質,カを扱って研究(仕事を)している(work with)。しかし、これら四つのものは全て、現代物理学者によって辺獄(limbo 洗礼を受けずに(原罪のままで)死んだが、地獄には行かない人がとどまると考えられた,地獄と天国の中間にある場所/リンボーダンスの起源は、奴隷貿易の時代に船上に人間がぎっしりと詰め込まれた過酷な状況から生まれたという説があるそうだが,「辺獄」に関係しているかも知れない)へと追いやられてしまっている。ニュートンにとって,空間と時間は堅固な独立したものであった。(だが)それらは「時=空(space-time 空間-時間)」によって置きかえられており、それは実体的なものではなく、関係の体系にすぎない。「物質」は一連の事象(注:series of events 一連の出来事の集合)で置きかえられなければならなかった。力(の概念) -ニュートンの概念の中で最初に廃棄されなければならなかったもの- は、エネルギーの概念に置きかえられた。そしてエネルギーは、以前の物質の残骸の寄せ集め(all that remains of matter)である青白い亡霊と区別できないものであることがわかっている(turn out to be ~と判明する/アインシュタインのエネルギーの法則:E = mc2)。原因 -物理学者がカと呼んだものの哲学的形態であったもの- もまた老衰してしまった(decrepit ガタガタになってしまった)。原因(という概念)は死んだとまでは私は言いはしないが、以前のような生気を全く失ってしまっている。  以上のような理由から(For all these reasons)、現代物理学の主張することはいくらか混乱している。にもかかわらず,我々はそれ(現代物理学の主張)を信じなければならず、信じないなら死罪となる(on pain of death たとえば、原子爆弾の原理や威力を信じなければ,大変なことになるという「冗談」)。もし,現代物理学の学説(理論)を拒否する社会(community 共同体)があれば、その社会に敵対する政府に雇われている物理学者たちは、そういう社会をまったく容易に全滅させてしまうであろう。それゆえ,現代物理学者は,(中世の)異端審問所が全盛時代に持っていた権力をはるかにしのぐような大きな権力を持っており、我々は物理学者の宣告を,当然受けるべき畏敬の念を持って扱う義務があるのは確かである。私としては -物理学において漸進的な変化が期待されるけれども- 現在の物理学説は、現在,世界の前(面前に/前方に)に存在する他のいかなる学説よりも,より真理に近そうであると、信じている。科学はいついかなる時もまったく正しいということはないが、完全に誤まっているということもめったにない。そうして,一般的にいって、科学以外の領域の諸理論よりも科学の方が正しくある見込みが多い。それゆえ,科学を仮説として受けいれることは合理的である。

 もしこの(私の)当初の先入観が受けいれられるならば、宇宙の歴史における主要な過程(process 経過,過程)の理解のために先ず目を向けるべきは理論物理学であることは明らかである。あいにくなことに、理論物理学は、17世紀に享受したあの素晴らしい断言的な明瞭さを持って語ることは最早しない。ニュートン(1642-1727:17世紀の偉大な物理学者)は、4つの基本概念,即ち,空間,時間,物質,カを扱って研究(仕事を)している(work with)。しかし、これら四つのものは全て、現代物理学者によって辺獄(limbo 洗礼を受けずに(原罪のままで)死んだが、地獄には行かない人がとどまると考えられた,地獄と天国の中間にある場所/リンボーダンスの起源は、奴隷貿易の時代に船上に人間がぎっしりと詰め込まれた過酷な状況から生まれたという説があるそうだが,「辺獄」に関係しているかも知れない)へと追いやられてしまっている。ニュートンにとって,空間と時間は堅固な独立したものであった。(だが)それらは「時=空(space-time 空間-時間)」によって置きかえられており、それは実体的なものではなく、関係の体系にすぎない。「物質」は一連の事象(注:series of events 一連の出来事の集合)で置きかえられなければならなかった。力(の概念) -ニュートンの概念の中で最初に廃棄されなければならなかったもの- は、エネルギーの概念に置きかえられた。そしてエネルギーは、以前の物質の残骸の寄せ集め(all that remains of matter)である青白い亡霊と区別できないものであることがわかっている(turn out to be ~と判明する/アインシュタインのエネルギーの法則:E = mc2)。原因 -物理学者がカと呼んだものの哲学的形態であったもの- もまた老衰してしまった(decrepit ガタガタになってしまった)。原因(という概念)は死んだとまでは私は言いはしないが、以前のような生気を全く失ってしまっている。  以上のような理由から(For all these reasons)、現代物理学の主張することはいくらか混乱している。にもかかわらず,我々はそれ(現代物理学の主張)を信じなければならず、信じないなら死罪となる(on pain of death たとえば、原子爆弾の原理や威力を信じなければ,大変なことになるという「冗談」)。もし,現代物理学の学説(理論)を拒否する社会(community 共同体)があれば、その社会に敵対する政府に雇われている物理学者たちは、そういう社会をまったく容易に全滅させてしまうであろう。それゆえ,現代物理学者は,(中世の)異端審問所が全盛時代に持っていた権力をはるかにしのぐような大きな権力を持っており、我々は物理学者の宣告を,当然受けるべき畏敬の念を持って扱う義務があるのは確かである。私としては -物理学において漸進的な変化が期待されるけれども- 現在の物理学説は、現在,世界の前(面前に/前方に)に存在する他のいかなる学説よりも,より真理に近そうであると、信じている。科学はいついかなる時もまったく正しいということはないが、完全に誤まっているということもめったにない。そうして,一般的にいって、科学以外の領域の諸理論よりも科学の方が正しくある見込みが多い。それゆえ,科学を仮説として受けいれることは合理的である。

Chapter 2: My present view of the world, n.2
If this initial bias is accepted, it is obviously to theoretical physics that we must first look for an understanding of the major processes in the history of the universe. Unfortunately, theoretical physics no longer speaks with that splendid dogmatic clarity that it enjoyed in the seventeenth century. Newton works with four fundamental concepts: space, time, matter and force. All four have been swept into limbo by modern physicists. Space and time, for Newton, were solid, independent things. They have been replaced by space-time, which is not substantial but only a system of relations. Matter has had to be replaced by series of events. Force, which was the first of the Newtonian concepts to be abandoned, has been replaced by energy; and energy turns out to be indistinguishable from the pale ghost which is all that remains of matter. Cause, which was the philosophical form of what physicists called force, has also become decrepit. I will not admit that it is dead, but it has nothing like the vigour of its earlier days. For all these reasons, what modern physics has to say is somewhat confused. Nevertheless, we are bound to believe it on pain of death. If there were any community which rejected the doctrines of modern physics, physicists employed by a hostile government would have no difficulty in exterminating it. The modern physicist, therefore, enjoys powers far exceeding those of the Inquisition in its palmiest days, and it certainly behoves us to treat his pronouncements with due awe. For my part, I have no doubt that, although progressive changes are to be expected in physics, the present doctrines are likely to be nearer to the truth than any rival doctrines now before the world. Science is at no moment quite right, but it is seldom quite wrong, and has, as a rule, a better chance of being right than the theories of the unscientific. It is, therefore, rational to accept it hypothetically.
 Source: My Philosophical Development, chap. 2,1959.  
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ラッセル『私の哲学の発展』第2章 私の現在の世界観 n.1

 私が徐々に導かれた世界の見方は、ほぼ例外なく(almost universally)これまで誤解されてきている。そのため,できるかぎり単純かつ明確に(簡明に)述べることにしよう。目下のところ,私は自分が現在の世界観に導かれた(諸)理由を示さずに、その世界観について述べることだけに努めている。けれども、前置きとして(by way of preface)このこと(次のこと)だけは言っておこう。それは、4つの異なる科学,即ち,物理学,生理学,心理学及び数学的論理学- の総合から生じた見方(世界観/見解)である、と。数学的論理学は、数学的な扱いやすさ(smoothness 滑らかさ)をわずかしかもっていない諸要素から,割り当てられた特性(assigned properties)を持っている構造を作り出すために使用されている。私は,カント以来,哲学において一般的である(一般的であり続けている)プロセス(process 過程;手続き)を逆にする(逆のプロセスをとる)。(即ち)これまで,哲学者たちの間では,如何にして我々(人間)は(ものごとを)知るか(知る方法)から始め、その何をしるか(知る内容)に進む、というのが一般的(common 普通)であった(注:how から what へ)。私はこれは誤まりであると考える。なぜなら、如何に知るかを知ることは、何を知るかを知ることのひとつの小さな部分(注:部分集合)にすぎないからである。(また)もうびとつの別の理由からも、それは誤まりだと思う。(即ち)そういうやり方は、「知ること」が(受けるに)値しない宇宙的重要性を、「知ること」に対して与えがちであり(give to knowing a cosmic importance)、そうして(thus)哲学の研究者のうちに、精神が非精神的宇宙(物的宇宙/物理的宇宙)に対してある種の優越性をもつとか(supermacy over 優越性,支配権)、さらには非精神的宇宙は(人間の)精神がその非哲学的瞬間に夢みた悪夢にすぎないとかいうような信念を用意する(prepare for 準備する)(からである)。このような観点は、私が想像する宇宙像とは全くかけ離れたものである。私は無条件で(without qualification)天文学と地質学から生ずる見方を受けいれる。この見方からは、「時空」の一つの小さな断片の中にしか、精神的なものがあるという証拠は見当らず、また,星雲の進化や星の進化などの大規模な諸過程は、精神が何の役割ももたない法則に従って進行している、と見える(思われる)であろう。

Chapter 2: My present view of the world, n.1
The view to which I have been gradually led is one which has been almost universally misunderstood and which, for this reason, I will try to state as simply and clearly as I possibly can. I am, for the present, only endeavouring to state the view, not to give the reasons which have led me to it. I will, however, say this much by way of preface: it is a view which results from a synthesis of four different sciences – namely, physics, physiology, psychology and mathematical logic. Mathematical logic is used in creating structures having assigned properties out of elements that have much less mathematical smoothness. I reverse the process which has been common in philosophy since Kant. It has been common among philosophers to begin with how we know and proceed afterwards to what we know. I think this a mistake, because knowing how we know is one small department of knowing what we know. I think it a mistake for another reason: it tends to give to knowing a cosmic importance which it by no means deserves, and thus prepares the philosophical student for the belief that mind has some kind of supremacy over the non-mental universe, or even that the non-mental universe is nothing but a nightmare dreamt by mind in its un-philosophical moments. This point of view is completely remote from my imaginative picture of the cosmos. I accept without qualification the view that results from astronomy and geology, from which it would appear that there is no evidence of anything mental except in a tiny fragment of space-time, and that the great processes of nebular and stellar evolution proceed according to laws in which mind plays no part.
 Source: My Philosophical Development, chap. 2,1959.  
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ラッセル『私の哲学の発展』第1章「概観」n.4

 ほぼ同時期に、即ち1917年頃に、私の興味を引き始めたもう一つの問題があった。それは言語と事実との関係(言語の事実に対する関係)の問題であった。この問題には二つの部門がある。第1は「語彙」(vocabulary)に関連する問題であり,第2は「統語論」(syntax)に関連する問題である(注:syntax を野田氏は「文章法」と訳しているが通常は「統語論」あるいは「構文論」)。この(言語と事実との関係の)問題は私が興味をもつ以前に様々な人々によって(既に)取り扱われていた。レデイ・ウェルビー(Victoria, Lady Welby, 1837-1912:言語哲学の研究者で芸術家/野田氏は「ウェルビー女史」と訳出しているが,英国における「レデイ」とは貴族の女性を表している)はそれについて1冊の本を書いているし、F. C. S. シラー(1864-1937:英国の思想家,哲学者で,南カリフォルニア大学教授も務めた。)はその問題の重要性を常に力説していた。しかし私は言語を透過的なもの(as transparent)-即ち,それに注意を払うことなしに使用可能な媒体- であると考えていた。(だが)私は,統語論(構文論)に関して、そういう(言語は透過的な媒体なりとの)見方が不十分であることを、数学的論理学(数理論理学)において生ずるパラドクス(矛盾)によって、いやおうなしに気づかせられた。語彙に関しては、知識を行動主義的に説明することがどの程度まで可能かについて調べている際に、言語上の問題が生じた。この二つの理由により、私は認識論の言語的側面を以前よりもずっと重要視するようになった。しかし私は、言語をひとつの自律的な領域(an autonomous province)として扱う人々には決して共感を感じることはできなかった。言語に関して本質的なことは、言語が意味をもつということ,即ち、言語は、自己(言語)以外の何かに関係をもっていおり,それは大部分の場合、非言語的なものである,ということである。  私の直近の研究(My most resent work)は、非論証的推論(non-demonstrative inference)の諸問題に関連を持ってきた。そういった推論は,経験主義者たちによって常に,帰納法に依拠すると想定されていた。しかし不幸なことに、単純枚挙による帰納は、もし常識に配慮することなく行われるならば、それは真理に導くよりも誤謬に導く場合の方がはるかに多いということが証明可能である。そして,もしひとつの原理が、安全に用いられるためには,その前に(その前提として)常識が必要であるとするのであれば、そういった原理は論理学者を満足させうるものではない。それゆえ(従って),我々が科学及び常識 -ただし論駁できない限りでの常識- を大筋において真として受け入れようとするならば、我々は帰納法以外の原理を探さねばならない。これは大変広範囲にわたる問題であり、私としてはその解決策を探し求める方向性を示す以上のことをしたふりをすることはできない。  カント及びヘーゲルの哲学を捨てて以来ずっと、私は哲学的問題の解決策分析の方法によって探し求めてきた。また,現在それ(分析哲学の手法)に反対する傾向がいくつか見出されるにもかかわらず、私はいまだ(現在でも)分析によってのみ進歩は可能であると確信している。 重要な一例をあげると、物理学と知覚とを分析することによって、精神と物質(ものとこころ)との関係の諸問題が完全に解決可能であることを,私は見出した。私が解決だと思うものをまだ誰も受けいれないということは事実であるが、それは私の理論がまだ理解されるにいたっていないという理由だけだということを、私は信じかつ望んでいる。

Chapter 1: Introductory Outline, n.4
There was another problem which began to interest me at about the same time – that is to say, about 1917. This was the problem of the relation of language to facts. This problem has two departments: the first concerned with vocabulary; the second, with syntax. The problem had been dealt with by various people before I became interested in it. Lady Welby wrote a book about it and F. C. S. Schiller was always urging its importance. But I had thought of language as transparent – that is to say, as a medium which could be employed without paying attention to it. As regards syntax, the inadequacy of this view was forced upon me by the contradictions arising in mathematical logic. As regards vocabulary, linguistic problems arose for me in investigating the extent to which a behaviouristic account of knowledge is possible. For these two reasons, I was led to place much more emphasis than I had previously done on the linguistic aspects of epistemology. But I have never been able to feel any sympathy with those who treat language as an autonomous province. The essential thing about language is that it has meaning – i.e. that it is related to something other than itself, which is, in general, non-linguistic. My most recent work has been connected with the problem of non-demonstrative inference. It used to be supposed by empiricists that the justification of such inference rests upon induction. Unfortunately, it can be proved that induction by simple enumeration, if conducted without regard to common sense, leads very much more often to error than to truth. And if a principle needs common sense before it can be safely used, it is not the sort of principle that can satisfy a logician. We must, therefore, look for a principle other than induction if we are to accept the broad outlines of science, and of common sense in so far as it is not refutable. This is a very large problem and I cannot pretend to have done more than indicate lines along which a solution may be sought. Ever since I abandoned the philosophy of Kant and Hegel, I have sought solutions of philosophical problems by means of analysis; and I remain firmly persuaded, in spite of some modern tendencies to the contrary, that only by analysing is progress possible. I have found, to take an important example, that by analysing physics and perception the problem of the relation of mind and matter can be completely solved. It is true that nobody has accepted what seems to me the solution, but I believe and hope that this is only because my theory has not been understood.
 Source: My Philosophical Development, chap. 1,1959.  
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『私の哲学の発展』第1章「概観」n.3

 けれども、1910年以後、純粋数学に関して私がしようと思っていた全てのことをしてしまうと、私は物理的世界について考え始めた。そうして、主にホワイトヘッドの影響のもとにオッカムの剃刀(注:「ある事柄を説明するためには必要以上に多くを仮定するべきでない」とする指針)の新たな適用(applications 応用)へと導かれた。このオッカムの剃刀については、私は既に算術の哲学において有益であること(の認識)によって注意を向けるようになっていた(had become devoted by)。ホワイトヘッドのおかげで私は、点や瞬間が世界の材料(stuff 構成要素)の一部であると想定することなしに、物理学(という科学を)が行うことが可能であると確信するようになった(Whitehead persuaded me that)。ホワイトヘッドは -私もこの点については同意するようになったが- こう考えた。(即ち)物理的世界の構成要素は出来事(events)から成り、各々の出来事は有限な量の時空(space-time)を占める。オッカムの剃刀を用いる場合いつもそうであるように、(「出来事」という概念の導入によって)なしで済ませた(節約した)諸実体の存在を否認することを強いられることなく、そのようなものが存在するか否かを確かめることを避けることが可能となった。これは、問題となっているいかなる知識部門についての解釈に必要な前提(assumptions 仮定,前提)の数を減らすことができるという利点ああった。物理的世界に関して,点-瞬間(point-instants)(訳注:相対性理論によれば時間と空間は一体のもの。従って、空間の最小単位の点と最短時間の瞬間は「点-瞬間」となる。)なるものが存在しないということを証明することは不可能であるが、そういうものの存在を想定すべきだとするいかなる理由も物理学は与えないということの証明は可能である。  同じ時期に、即ち1910年から1914年にかけて、私は物理的世界が何であるかということだけでなく、我々人間はどのようにして物理的世界を知るにいたるのかという問いに、関心持ち始めるようになった。知覚と物理学との関係は、この時期以来、断続的に(intermittently))私の関心を占めた問題である。私の哲学が最後の重要な変化を経験したのは(underwent 受けたのは),この問題に関係してのことであった。(それまで)私は知覚を主観と客観との間の二項関係とみなしていた。というのは,それは(そう考えることは),いかにして知覚が主観(subject)以外のなにものかに関する知識を与えうるか(ということ)を比較的容易に理解(できるように)させていたからである(as)。しかし,ウィリヤム・ジェイムズの影響のもと,私はこの見方(見解)は誤まっている、あるいは,少なくとも問題を不当に単純化している、と考えるようになった。(人間の)諸感覚は,少なくとも,視覚や聴覚という感覚でさえ、本質において、関係的な出来事ではない、と思われるようになった。もちろん、私と私の見るものとの間に何の関係もないなどと私は言うつもりはない。私の言おうとしているのは、その関係がそれまで私の考えて来たよりもはるかに間接的なものであり、私が何ものかを見るとき私(の脳)の中に起る全てのことは、その論理的構造のみに関する限り、私の見る何ものかが私の外の世界(=外界)に存在しなくとも(anything outside me for me to see)、十分起こりうる、ということである。私の見解のこの変化は、経験と外界(注:自分=認識主体の外の世界)とを結びつけることの中に含まれる問題の難しさは多いに増した(のである)。

Chapter 1: Introductory Outline, n.3
When, however, after 1910 , I had done all that I intended to do as regards pure mathematics, I began to think about the physical world and, largely under Whitehead’s influence, I was led to new applications of Occam’s razor, to which I had become devoted by its usefulness in the philosophy of arithmetic. Whitehead persuaded me that one could do physics without supposing points and instants to be part of the stuff of the world. He considered – and in this I came to agree with him – that the stuff of the physical world could consist of events, each occupying a finite amount of space-time. As in all uses of Occam’s razor, one was not obliged to deny the existence of the entities with which one dispensed, but one was enabled to abstain from ascertaining it. This had the advantage of diminishing the assumptions required for the interpretation of whatever branch of knowledge was in question. As regards the physical world, it is impossible to prove that there are not point-instants, but it is possible to prove that physics gives no reason whatever for supposing that there are such things. At the same time, that is to say in the years from 1910 to 1914, I became interested, not only in what the physical world is, but in how we come to know it. The relation of perception to physics is a problem which has occupied me intermittently ever since that time. It is in relation to this problem that my philosophy underwent its last substantial change. I had regarded perception as a two-term relation of subject and object, as this had made it comparatively easy to understand how perception could give knowledge of something other than the subject. But under the influence of William James, I came to think this view mistaken, or at any rate an undue simplification. Sensations, at least, even those that are visual or auditory, came to seem to me not in their own nature relational occurrences. I do not, of course, mean to say that when I see something there is no relation between me and what I see; but what I do mean to say is that the relation is much more indirect than I had supposed and that everything that happens in me when I see something could, so far as its logical structure is concerned, quite well occur without there being anything outside me for me to see. This change in my opinions greatly increased the difficulty of problems involved in connecting experience with the outer world.  
Source: My Philosophical Development, chap. 1,1959.
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ラッセル『私の哲学の発展』第1章 概観 n.2

(私が入学した)ケンブリッジ大学では,カント及びヘーゲルの哲学を教え込まれた(indoctrinated)。しかし,ムーア(G.E.Moore, 1873-1958)と私は,ともに,これらの哲学を拒否するようになった。ムーアと私は、これらの哲学に反抗することにおいては一致していたけれども、強調点において重要な相違があったと思う。ムーアに最初に主として関心をもたせたのは、事実は知識から独立しているということであり、(従って)先天的な直観(a priori intuitions アプリオリな直感)とカテゴリー(範疇)というカントの道具立て(apparatus )-これは経験を形成するが外界は形成しない(注:外部世界はそれらによって構築できない)- を全面的に否定することにあった,と私は考える。私はこの点において,熱烈にムーアに賛成したが、私はムーアよりも,ある純粋に論理的な諸問題に多くの関心を持っていた。これらの問題のなかで最も重要でありかつその後の私の哲学全体を支配した問題は「外面的関係の理論」(the doctrine of external relations)と私が名づけたものであった。一元論者たち(monist)は次のように主張してきた。(即ち)二つの項(term)の間の関係(relation)は、実際には、常に二つの別々の項(term:数学や数理論理学におけるある種の対象(式や文)の構成要素)のもつ諸特性(properties そのものの固有の性質)とそれらの項が構成する全体のもつ諸特性とから成っている、あるいは,極端に厳格に言えば、後者のみから、即ち,二つの項が構成する全体のもつ諸特性のみから成っている(注:つまり、常に全体の諸特性のみが存在する)。この考え方(view 見方)は数学を不可解な(inexplicable 説明できない)ものにしてしまう,と私には思われた。私は,関係性があること(諸項が関係づけられていること)は関係づけられた項のうちに関係に応ずる複合性(複雑性)があるということを意味せず(含んでおらず),また一般的に言って,諸項の関係は、それらの諸項が形成(構成)する全体が有する諸特性に等しいとは言えない、という結論に達した。この見解(見方)を『ライプニッツの哲学』についての私の著書の中で展開した直後に、私は数学的論理学におけるペアノの業績(work 研究及び著作)に気がつき、それが数学の新しい手法(技術)と数学の新しい哲学へと私を導いた。ヘーゲルとその弟子たちは、空間や時間や物質、及び一般に普通の人がその存在を信じている全てのものの、不可能性を「証明する(proving 証拠だてる)」ことを習慣としていた。しかし,私は、これらのものを否定するヘーゲル主義者たちの議論は妥当ではないと信ずるようになった後、その反動で,反対の極に向い、「反証をあげる」ことのできないもの -たとえば点や瞬間や粒子やプラトン的普遍(者)- は何であれ,実在する、と信じ始めたのである。

Chapter 1: Introductory Outline, n.2
At Cambridge I was indoctrinated with the philosophies of Kant and Hegel, but G. E. Moore and I together came to reject both these philosophies. I think that, although we agreed in our revolt, we had important differences of emphasis. What I think at first chiefly interested Moore was the independence of fact from knowledge and the rejection of the whole Kantian apparatus of a priori intuitions and categories, moulding experience but not the outer world. I agreed enthusiastically with him in this respect, but I was more concerned than he was with certain purely logical matters. The most important of these, and the one which has dominated all my subsequent philosophy, was what I called ‘the doctrine of external relations’. Monists had maintained that a relation between two terms is always, in reality, composed of properties of the two separate terms and of the whole which they compose, or, in ultimate strictness, only of this last. ‘This view seemed to me to make mathematics inexplicable. I came to the conclusion that relatedness does not imply any corresponding complexity in the related terms and is, in general, not equivalent to any property of the whole which they compose. Just after developing this view in my book on The Philosophy of Leibniz, I became aware of Peano’s work in mathematical logic, which led me to a new technique and a new philosophy of mathematics. Hegel and his disciples had been in the habit of ‘proving’ the impossibility of space and time and matter, and generally everything that an ordinary man would believe in. Having become convinced that the Hegelian arguments against this and that were invalid, I reacted to the opposite extreme and began to believe in the reality of whatever could not be disproved? e.g. points and instants and particles and Platonic universals.
 Source: My Philosophical Development, chap. 1,1959.  
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『私の哲学の発展』第1章「概観」n.1

 私(ラッセル)の哲学の発展は、私が関心を持ってきた諸問題と,その研究及び著作(work)によって私に影響を与えた(与えたきた)人々によって(に従って),多くの段階に分けることができるであろう。(それらを通じて)常に私の最大の関心事であったもの(one constant preocupations 先入観としてあり続けたもの)はただひとつだけ存在している。(即ち)我々(人間)は,どれだけのことを,確実性または疑わしさを持って(with とともに)(本当に)知っていると言えるか(について)、終始見つけ出したいと切望してきた。私の哲学研究における一つの主要な部門がある(どういうわけか、みすず書房の野田又夫訳にはこの一文が抜けている)。1899年(注:ラッセル27歳)から1900年にかけて,私は論理的原子論の哲学と,数理論理学におけるペアノ(G. Peano, Giuseppe Peano, 1858-1932)の手法を採用した。これは大きな根本的な変化(revolution 革新,革命)であり、それ以前の私の仕事を -純粋に数学的なものを除けば- それ以後の私の仕事の全てと無関係なものにするほどであった。この期間(1899-1900)に起った変化は一つの革命(革新)であった。(また)その後の変化は進化の性質を帯びていた。  哲学における私の当初の(初期の)の興味・関心には二つの源があった。一方で私は、たとえ漠然としたものであっても,宗教的信念と呼ぶことができるものに対して、哲学が何らかの弁護を与えるか否かを明らかにしたいと切望した。他方、他の領域ではダメだとしても,純粋数学においては何ごとか(確実なこと)を知ることが可能だということを確信したかった。私はこれら2つの問題について、青年時代に、孤独の中で、書物の助けをほとんど借りることなく考えた。(その結果)宗教に関しては、私はまず(人間の))自由意志を信じなくなり)、次に(人間の)不死を信じなくなり、ついには神(の存在)を信じなくなった。数学の基礎については、私は何の結論も得なかった(I got nowhere どこへも到達しなかった)。経験論に向おうとする強い傾向を(私は)持っていたにもかかわらず、 私は、「2+2は4に等しい」ということが、経験からの帰納的一般化(inductive genelarization)であると信ずることはできなかった。だが,この全く消極的な結論を越えた全てのものに対しては、依然疑いを抱いたままであった。

Chapter 1: Introductory Outline
My philosophical development may be divided into various stages according to the problems with which I have been concerned and the men whose work has influenced me. There is only one constant preoccupation: I have throughout been anxious to discover how much we can be said to know and with what degree of certainty or doubtfulness. There is one major division in my philosophical work: in the years 1899-1900 I adopted the philosophy of logical atomism and the technique of Peano in mathematical logic. This was so great a revolution as to make my previous work, except such as was purely mathematical, irrelevant to everything that I did later. The change in these years was a revolution; subsequent changes have been of the nature of an evolution. My original interest in philosophy had two sources. On the one hand, I was anxious to discover whether philosophy would provide any defence for anything that could be called religious belief, however vague; on the other hand, I wished to persuade myself that something could be known, in pure mathematics if not elsewhere. I thought about both these problems during adolescence, in solitude and with little help from books. As regards religion, I came to disbelieve first in free will, then in immortality, and finally in God. As regards the foundations of mathematics, I got nowhere. In spite of strong bias towards empiricism, I could not believe that ‘two plus two equals four’ is an inductive generalization from experience, but I remained in doubt as to everything beyond this purely negative conclusion.  
Source: My Philosophical Development, chap. 1,1959.
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ラッセル『私の哲学の発展』に対する巻頭言

             アラン・ウッド夫妻とラッセル

 アラン・ウッド氏(1914-1957)は -彼の著書『情熱の懐疑家(バートランド・ラッセル)』は広範かつ受けるに値する称賛を勝ち得た- 私(=ラッセル)の哲学をより専門的に吟味する(探求する)本を書こうと企てていた。しかし,彼が亡くなった時に出来上がっていたのはその本のわずかな部分のみであった。この小片には序論が含まれており、それを読んだ人々には価値あるものと思われ、従って、公表すべきものと思われた。そのため、それは本書の末尾に印刷(収録)されている。それがもっと早く手に入っていたなら、本書の最初に置かれたでが、それには間にあわなかった。ウッド氏のこの小片は、(otherwise それを読まずに本書を読めば)誤読をしそうないろいろの点を見事に解き明かしているので、読者はまずそれを読まれるのが賢明でないか(advisable to turn to it)と私は考える。ウッド氏がこの著作を完成せずに亡くなられたのはまことに残念なことである

Prefatory Note
Mr Alan Wood, whose book The Passionate Sceptic won widespread and well-deserved applause, was intending to write a more technical examination of my philosophy, but at the time of his death only a small part of this work had been completed. This small part included an Introduction, and this Introduction has seemed to those who have read it to be of value, and, therefore, worth publishing. On this ground, it is being printed at the end of the present volume. If it had become available sooner, it would have been put at the beginning of the volume, but it came too late for this to be possible. I think readers may find it advisable to turn to it first, as it admirably clarifies various things that might otherwise cause misunderstanding. It is deeply to be regretted that Mr Wood did not live to complete the work. B.A.
 Source: My Philosophical Development, 1959.
 More info.: https://russell-j.com/beginner/BR_MPD_Note.HTM