第15章 権力と道徳律 n.23

 人生の目的に関する様々な見方を考察してみよう。Aは言う:「善とは快楽である。(注:エピュクロスの主張/ただし,「精神的」快楽)」 Bは言う」「善とはアーリア人(種)の快楽であり,ユダヤ人の苦痛である。(注:ヒトラーの主張)」 Cは言う:「善とは,神を賛美し,永遠に神に栄光を与えることである。」 以上,3人の人たちは何を主張しているのであろうか? また,彼らがお互いに(それぞれが)相手を納得させること(説得させること)ができるいかなる方法が存在しているであろうか? 彼らは,科学者がやるように,事実に訴えることはできない。(即ち)彼らの論争に適切な(関連する)事実はまったくない。彼らの違いは欲求の領域にあり,事実問題に関する陳述の領域にはない。(とはいえ)「これは善だ」と私が言う時,「私はこれを欲求する」と言おうとしていると主張しているわけではない。私にあるものを善だと言わせるのは,特殊な一種の欲求のみである。(私にあるものを善だと言わせる)そのような欲求は,ある程度非個人的なもの(欲求)でなければならない。つまり,そのような欲求は,私の個人的な環境と関係を持つだけでなく,私を満足させる(ような)世界と関係を持っていなければならない(注:個人的な関係だけではなく,社会的な関係を持っている必要がある)。ある王が「君主制は善であり,私は自分が君主であることがうれしい」と言ったとする。この陳述の最初の部分は疑いもなく倫理的なもの(陳述)であるが,この王が自分が君主であることにおける快楽は,彼があたりを見渡してから自分以外の者は自分のような善い王にはなれないと確信を持った時に初めて倫理的なもの(陳述)となるのである。

Chapter 15: Power and Moral Codes, n.23
Consider various views as to the ends of life. One man says “the good is pleasure”; another, “the good is pleasure for Aryans and pain for Jews”; another, “the good is to praise God and glorify Him for ever.” What are these three men asserting, and what methods exist by which they can convince each other? They cannot, as men of science do, appeal to facts : no facts are relevant to the dispute. Their difference is in the realm of desire, not in the realm of statements about matters of fact. I do not assert that when I say “this is good” I mean “I desire this”; it is only a particular kind of desire that leads me to call a thing good. The desire must be in some degree impersonal; it must have to do with the sort of world that would content me, not only with my personal circumstances. A king might say: “Monarchy is good, and I am glad I am a monarch.” The first part of this statement is indubitably ethical, but his pleasure in being a monarch only becomes ethical if a survey persuades him that no one else would make such a good king.
 出典: Power, 1938.
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