第15章 権力と道徳律 n.21

 功利主義者に言及したことによって示唆されるある問題について考察してみよう。即ち,行為の規則は,(それ自身で)倫理学の自立した命題となりうるものか,あるいは,(行為の善し悪しではなく)問題となる行為の影響の善し悪しから常に演繹されなければならないものであろうか? 伝統的な見解によれば,ある種の行為は罪深いもので,他のある種のものは有徳なものであり,それらの行為の影響(結果)とは独立したものである。(また)それ以外の行為は,倫理的には中立的なものであり(善くも悪くもなく),その行為の結果によって判断されるものだという。安楽死(euthanasia)の問題や自分の亡くなった妻の姉妹(姉or妹)との結婚を法律上正当と認めるべきか否かは,倫理上の問題(倫理的な問題)である。しかし,金本位制(the gold standard)の問題は倫理上の問題(倫理的な問題)ではない。「倫理的(倫理上の)」問題には2つの定義の仕方があり、そのどちらもこの形容詞(倫理上の)が適用される事例を包括するであろう。ある問いが「倫理的」になるのは,(1)問題が古代ヘブライ人の関心をそそった場合,(及び)(2)それがカンタベリー大僧正を公式の専門家とするような問題である場合,である。(注:集団の倫理観あるいは影響力のある個人の倫理観のどちらかにふれる場合、ということ)「倫理的」という言葉のこういったありふれた使いかたがまったく擁護できないのは,明らかである(注:そんなのは本来の意味での「倫理的な」問題ではない)。

Chapter 15: Power and Moral Codes, n.21
Let us consider a question suggested by the mention of the utilitarians, namely: Can a rule of conduct ever be a self-subsistent proposition of ethics, or must it always be deduced from the good or bad effects of the conduct in question? The traditional view is that certain kinds of acts are sinful, and certain others virtuous, independently of their effects. Other kinds of acts are ethically neutral, and may be judged by their results. Whether euthanasia or marriage with a deceased wife’s sister should be legalized is an ethical question, but the gold standard is not. There are two definitions of “ethical” questions, either of which will cover the cases to which this adjective is applied. A question is “ethical” (1) if it interested the ancient Hebrews, (2) if it is one on which the Archbishop of Canterbury is the official expert. It is obvious that this common use of the word “ethical” is wholly indefensible.
 出典: Power, 1938.
 詳細情報:https://russell-j.com/beginner/POWER15_210.HTM