ラッセル『結婚論』第二十章 人間の価値の中の性の位置 n.9

 第二十章 人間の価値の中の性の位置 n.9:

 

 私は,人生で最上のものはすべて性と関わりがあると言うつもりはないし,また,決してそう信じてはいない。私自身は,応用科学にせよ,理論科学にせよ,科学が性と関わりがあるとは考えていないし,ある種の重要な社会的・政治的活動も同様に関わりはないと思っている。 成人の生活の複雑な欲望(欲求)を生み出している衝動は,2,3の単純な項目(a few simple heads 見出し/項目)のもとに整頓する(arrange 整える)ことができる。自己保存のために必要なものを別にすれば,私には,権力,性,親であること(parenthood)が,人間のすることの大部分の源泉であるように思われる。この3つのうち,権力が最初で最後である(最初に始まり,最後に終わる)。子供は,ほとんど権力を持っていないので,もっと力(権力)を持ちたいという欲求に支配される。実際,子供の活動の大部分は,この欲求に由来している。 子供の(力への欲求以外の)他の支配的な欲求は,虚栄心であり 褒められたいという願望と,叱られたり,放っておかれたりされる恐れである。子供を社会的な存在としたり,社会生活に必要な美徳(徳目)を身につけさせるのは,虚栄心である。虚栄心は,理論上は性と分離できるが(分離して考えることができるが),実は,性と密接に絡み合っている動機である。 しかし,私の見るところ,権力は,性とはほとんど関係がない。そして,子供に勉強させ(注:知識は力),その筋肉を発達させるのは,少なくとも虚栄心と同程度に,権力愛である。その点で。好奇心や知識の探求も,権力愛の一部(一枝)と見るべきだと思われる。もしも,知識が力であるなら,知識愛は権力愛である。従って,科学は,生物学や生理学のいくつかの部門を除いて,性的情緒の領域外にあるとみなさなければならない。
 皇帝フリードリヒ二世はもう生きていないので,この意見は,多少とも仮説的なものにとどまらざるをえない。もしも,皇帝がまだ生きていたなら,著名な数学者と作曲家を一名ずつ去勢し,それぞれの仕事が(去勢によって)どのように影響されるかを観察することで,このこと(仮説的なままである意見の真偽)> に決着をつけたにちがいない。私の予想では,数学者への影響は皆無(nil)であり,作曲家への影響はかなりのものだろうと予想する。知識の追求(探求)は,人間性における最も価値ある要素の一つであることから見ると(判断すると),我々に間違いがなければ,非常に重要な活動領域は,性の支配を免れている(ことになる)。