老齢(93歳)の自分に数学の先端的なことを理解できるか?!という恐怖心

1963年4月の少し前から,私の時間や思考(考えること)が,しだいにヴェトナムで行われている戦争に奪いとられるようになってきた。そのため,それ以外のことへの関心は,大部分見捨てられなければならなかった。(とはいっても)もちろん,自分の時間のいくらかは,家族や個人的な問題に費やされている。それに,極めてまれに(in a blue moon),自分がかつて関心をもっていたこと,つまり哲学の問題,あるいは特に論理学の問題,などに心を傾ける機会を持っている。しかしそういった仕事については,(遠ざかっていることや年令のせいで)私の能力はさびついてしまっており(鈍くなっており),また,かなり内気になっている。
BR_pipe04 1965年に,若い数学者の ジョージ・スペンサー=ブラウン(George Spencer-Brown, 1923~ )が,彼が言うには彼の研究を理解できる者は私(ラッセル)以外に見当たらないからということで,自分の研究をみてほしいと強く求めてきた。私は,以前少しだけ彼の研究をみた時好意的に思ったので,また,定着した無関心という不利な条件に抗して,自分たちの新しいそして未知の研究に対して注目してもらおうと努力しつつある人たちに心から同情(共感)することから,私は彼と彼の研究したものについて語りあうことに同意した。しかし彼が到着する時間が近づくにつれ,私は彼の研究や彼の新しい表記体系(記号法)を十分理解することはできないだろう,と確信するようになった。私の心は(自分の能力の衰えを自覚されるだろうという)恐ろしさでいっぱいになった。しかし,彼がやって来て,彼の説明を聞いた時,私はもう一度数学に足を踏み入れて,彼の研究をわかってあげることができるということを知った(注:ラッセル93歳の時のことです!)。私はその数日間というもの大いに楽しんだ(注:Unwin Paperback 版では,enjoyed は enoyed と誤植)。 特に彼の研究が独創的なものであり,同時に非常に優れていると思われたので,楽しかった。

by Lady Ottoline Morrell, vintage snapshot print, 1923-1924
by Lady Ottoline Morrell, vintage snapshot print, 1923-1924

Since shortly before April, 1963, more and more of my time and thought
has been absorbed by the war being waged in Vietnam. My other
interests have had to go by the board for the most part. Some of my
time, of course, is spent on family and private affairs. And once in a
blue moon I have a chance to give my mind to the sort of thing I used
to be interested in, philosophical or, especially, logical problems.
But I am rusty in such work and rather shy of it. In 1965, a young
mathematician, G. Spencer Brown, pressed me to go over his work since, he said, he could find no one else who he thought could understand it.
As I thought well of what little of his work I had previously seen,
and since I feel great sympathy for those who are trying to gain
attention for their fresh and unknown work against the odds of
established indifference, I agreed to discuss it with him. But as the
time drew near for his arrival, I became convinced that I should be
quite unable to cope with it and with his new system of notation. I
was filled with dread. But when he came and I heard his  explanations,
I found that I could get into step again and follow his work.
I greatly enjoyed those few days, especially as his work was both
original and, it seemed to me, excellent.
出典: The Autobiography of Bertrand Russell, v.3:1944-1969 ,chap4:
The Foundation,(1969)
詳細情報:http://russell-j.com/beginner/AB34-210.HTM

[寸言]
bertrand_russell-korenani 年をとるといろんな能力が衰えていく。どういった能力の衰えを一番恐れるか・嫌に思うかは,人によって異なる。体力の衰え、性的能力の衰え、記憶力や思考能力の衰え、他者に対する影響力の衰え、その他いろいろ。

それでは、思想家や知識人などの、世界に対して大きな精神的影響力を持つ(持っていた)人の場合はどうか? もちろん、達観する(していた)思想家も少なくないかも知れないが、多くの知的偉人の場合は、自分の知的能力の衰えに恐怖感(恐怖心)を感ずる(感じていた)のではないだろうか?

ラッセルも,年とったのだからいろいろな能力の衰えは仕方がないと、普段は達観しているつもりになっていたであろうが、93歳になって、ある数学者から自分の新しい思想・アイデアを理解してくれるのはラッセルしかいないので会ってくれと言われた時には、うれしいと思うと同時に、その数学者の言うこと(数学の新しい表記体系(記号法))があまり理解できなかったらどうしようかと、恐怖心に急にとらわれた。実際会って話を聞き、相手のいっていることが全てわかり(少なくともわかったと思い込むことができ)、安堵した。

最近で言えば、知的能力の衰えというよりは、認知症になることを恐れる人が増えてきているが、さて、あなたは・・・?