彼ら(A.ウッド夫妻)を失ったこと(注:ウッドは1957年10月に死亡)は,私にとって計り知れないものであった。私は彼らがとても好きだったばかりでなく,私と関係のある全てに関する彼らの知識と彼等の私に対する好意的な理解(力)に頼るようになっており,また,彼らとの親しい交友を大いに楽しんだ。
(だが)私に関する本の中で論じられている諸問題についてのアランの理解には限界があった,と言わなければならない。特に,政治問題に関する議論においては,彼の理解力に限界が見られた。私は彼をかなり保守的であるとみなしており,彼は私を当時の私が実際そうだったよりも,また現在そうであるより,ずっと急進的であるとみなしていた。私がすべての人が投票権をもつべきだと論じた時,彼は,私がすべての人間が能力において平等だと主張しているのだというふうに考えた。私は,生来の能力の差異に関わりのある優生学を支持してきたという事実を指摘して,彼のその信念は誤っていることを指摘するにとどめた。けれども,そのような見解の不一致も,私たちの友情を損なうことも,また純粋の哲学上の会話を邪魔するようなこともまったくなかった。
Their loss to me was incalculable. I not only was very fond of them, but had come to depend upon their knowledge of everything to do with me and their sympathetic understanding, and I greatly enjoyed their companionship.
It must be said that there were limitations to Alan’s understanding of the matters discussed in my books. This showed particularly in regard to political matters. I regarded him as rather conservative, and he regarded me as more radical than I was or am. When I argued that everybody ought to have a vote, he thought that I was maintaining that all men are equal in ability. I only disabused him of this belief by pointhg out that I had supported eugenics, which is concerned with differences in natural ability. Such disagreements, however, never marred our friendship, and never intruded in purely philosophical conversations.
出典: The Autobiography of Bertrand Russell, v.3:1944-1969 (1969)
詳細情報:http://russell-j.com/beginner/AB33-010.HTM
[寸言]
頼りにしていたA.ウッドが急逝し(また続いてウッド夫人もなくなり)、落胆するラッセル。
アラン・ウッドは,ラッセル哲学の網羅的研究を開始したばかりで急逝してしまった。ウッドはラッセルの伝記 Bertrand Russell – a passionate sceptic (邦訳書:碧海純一(訳)『バートランド・ラッセル-情熱の懐疑家』)を執筆しており、名著のほまれが高く、ラッセルの哲学の網羅的研究には、ラッセル自身も期待していた。
ラッセルの哲学は、理論哲学だけではなく、いろいろな分野で哲学的思索(政治の分野では政治哲学)を幅広く行った。従って、一人の人間がラッセルの哲学全体をカバーするのは、ラッセルと同等の能力をもっていない限り、難しい。そういうわけで、ウッドの(ラッセルの)理論哲学に対する理解には期待していたが、政治の問題(政治哲学)に対するウッドの理解は不充分として不満を持っていた。
問題の「優生学」をラッセルは Marriage and Morals, 1929 の第18章で扱っている。「優生学」という言葉に対しては生理的に拒否感を抱く人がすくなくなく、誤解を招くかもしれない。「遺伝研究(の活用)」であるならば、違和感をもつ人は少ないであろう。ラッセルは、同書第18章を次の言葉で結んでいる。
「宗教は、歴史が始まる前から存在してきたが、」科学はせいぜい(今から)4世紀前から存在しているにすぎない。しかし、科学が年月を経て敬われるようになると、科学は宗教と同じように大きく我々の生活をコントロールするだろう。人間精神の自由を大事にする人々が、こぞって科学の暴政に反逆しなければならない時期が来るのを、私は予感している。にもかかわらず、暴政がさけられないとすれば、その暴政は科学的であるほうがよいだろう。」