コレット(注:写真。コンスタンス・マレソン夫人)に出会ってまもない頃(注:1911年秋からラッセルは妻と別居状態)は,コレットに対する私の愛がいかに真面目なものであるか,私は気づいていなかった。(コレットに出会うまでは)私の真剣な感情は,オットリン(注:モレル夫人)に全て捧げられていると,常に考えていた。コレットは,オットリンに比べずっと若く,オットリンほど名士ではなく,オットリンよりも軽薄な快楽をより享受できたので,私は自分の感情をまだ信ずることができず,半ば軽い火遊び(情事)をしていると思っていた。
I did not know in the first days how serious was my love for Colette. I had got used to thinking that all my serious feelings were given to Ottoline. Colette was so much younger, so much less of a personage, so much more capable of frivolous pleasures, that I could not believe in my own feelings, and half supposed that I was having a light affair with her.
出典: The Autobiography of Bertrand Russell, v.2 chap. 1:The First War, 1968]
詳細情報:https://russell-j.com/beginner/AB21-210.HTM
[寸言]
コレットやオットリンには夫がおり、ラッセル同様、「自由恋愛論者」であった。第一次世界大戦に対する反戦活動を通じ、ラッセルはコレットと親しくなり、いわば「同士」であった。ラッセルの反戦集会での演説の時には,一番前の席にコレットは陣取っており、自然に親しくなり、ついには恋人同士になった。
ラッセルは反戦活動のために、約5ケ月間、ブリクストン刑務所に入れられるが、コレットに別に恋人ができたことを聞き、入獄中のラッセルは何もできず,「嫉妬」に苦しむことになる。「自由恋愛論者」であるならば、コレットがラッセル以外に恋人を作っても「嫉妬心」などおこさずに認めるべきであろうが、頭では理解しても感情の面ではできず、医者に睡眠薬を処方してもらわないと眠れない状態となった。
ラッセルは1930年に『幸福論』を出すが、その中で「ねたみ(嫉妬心を含む)」は克服すべき悪い感情だとしているが、それはラッセルがコレットやオットリンなどに対する「嫉妬心」を克服した後の境地をまとめたものであった。(だから、ラッセルは「嫉妬心」といった人間的な感情が欠けているとか、『幸福論』には嫉妬心は卑しむべき感情だと書きながら嫉妬心に悩まされているのは「言行不一致」だという批判は、的はずれである。)