特別研究員資格取得試験 -重大な間違いを誰かが発見できる最後の機会


TP-EFG この頃には、フェローシップ(特別研究員資格)取得のための学位論文 --それは8月までには完成しなければならなかった-- について真剣に考えることが必要となりつつあった。そこで私たちは、ファーンハーストに落ち着いた。そうしてはじめて私は、オリジナルな(独創性のある)仕事に真剣にとり組む経験をもった。絶望の日々に代わって、希望の日々が続いた。そうしてついに論文が完成した時、私は、幾何学の基礎と関連があるあらゆる哲学上の諸問題を解決したと確信した。(右の)表紙画像:ラッセルの学位論文 An Essay on the Foundations of Geometry, 1897 /25歳の時にケンブリッジ大学出版部から出版) (当時)まだ私は、オリジナルな仕事に関連して、希望をもったり、絶望したりすることは、どちらも同じように誤りであり、(個人の)仕事というものは、悪い日に悪く見えるほど、そんなに悪いものでは決してないし、良い日に良く見えるほど、それほど良いものでもない、ということに気がついていなかった。私の学位論文は、--論文は一部数学に関係し、一部哲学に関係していたので--ホワイトヘッドとジェームズ・ワードによって査読(審査)された。その結果が発表される前に、ホワイトヘッドは、--まったく公正ではあったが--私の論文をかなり厳しく批評した。それで私は、論文は価値がないものであり、結果が発表されるのを待つのはやめようと、決心した。しかしながら、私は、挨拶のために、ジェームズ・ワードに会いに行った。すると彼は、ホワイトヘッドと全く正反対のことを言い、私の論文をほめちぎった。翌日、フェロー(大学特別研究員)に選ばれたことを知った。そうして、ホワイトヘッドが微笑をうかべながら私に、この論文が、私の研究論文のなかに重大な間違いを誰かが発見できる最後の機会となるだろうと思った、と言った。

By this time, it was becoming necessary to think in earnest about my Fellowship dissertation, which had to be finished by August, so we settled down at Fernhurst, and I had my first experience of serious original work. There were days of hope alternating with days of despair, but at last, when my dissertation was finished, I fully believed that I had solved all philosophical questions connected with the foundations of geometry. I did not yet know that the hopes and despairs connected with original work are alike fallacious, that one’s work is never so bad as it appears on bad days, nor so good as it appears on good days. My dissertation was read by Whitehead and James Ward, since it was in part mathematical and in part philosophical. Before the result was announced, Whitehead criticised it rather severely, though quite justly, and I came to the conclusion that it was worthless and that I would not wait for the result to be announced. However, as a matter of politeness I went to see James Ward, who said exactly the opposite, and praised it to the skies. Next day I learned that I had been elected a Fellow, and Whitehead informed me with a smile that he had thought it was the last chance anyone would get of finding serious fault with my work.
出典: The Autobiography of Bertrand Russell, v.1, chap. 5: First marriage, 1967]
詳細情報:http://russell-j.com/beginner/AB15-040.HTM

[寸言]
reading_bible 若い頃は「確信過剰(cocksure)」になりがち
本を読んだだけで「***」を理解した、と思いがち。しかし実際は考えが甘いことが少なくない。
特に、「若い時には」本を読む時には注意が必要。 書いてあることの多くに共感すると、感激して、自分はそこに書かれていることをほとんど理解できたと思ってしまう。即ち、自分の気に入るフレーズがちりばめられていると、それだけで良い本だと思ってしまう。
ベストセラー本の危険はそこにある。
歌謡曲でもポップスでも、多くの人が気に入りそうな言葉を散りばめると、それだけでよい曲(歌)だと思ってしまう人が少なくない。政治家の演説(たとえば橋本徹)も同様。自分の嫌いな人や集団をこの人はうまく表現して糾弾してくれていると思っても、実は、少し言葉をかえれば、あなた自身(自分自身)が糾弾されている(あるいは糾弾される)可能性があることに気がつかない。そのことをうまく表現した文章に、ラッセルの次の言葉がある。

hasimoto_toru「天才になるための秘訣の最重要要素の一つは,非難の技術の習得である。あなた方は必ず,この非難の対象になっているのは自分ではなくて他人であると読者が考えるような仕方で非難しなければならない。そうすれば,読者はあなたの気高い軽蔑に深く感銘するだろう。しかし,非難の対象が他ならぬ自分自身(読者自身、聴衆者自身)だと感じると同時に,彼はあなたを粗野で偏屈だと非難するだろう。」
One of the most important elements of success in becoming a man of genius is to learn the art of denunciation. You must always denounce in such a way that your reader thinks that it is the other fellow who is being denounced and not himself; in that case he will be impressed by your noble scorn, whereas if he thinks that it is himself that you are denouncing, he will consider that you are guilty of ill-bred peevishness.
出典: How to become a man of genius (written in Dec. 28, 1932 and pub. in Mortals and Others, v.1, 1975.]
詳細情報:http://russell-j.com/GENIUS.HTM

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