私(注:1893年,21歳の時)が、その当時の慣習に従って、はっきりと(5歳年上の米国人女性アリスに)求婚するにいたったのは、際限のない躊躇と心配のあげく、ようやく朝食の後のことであった。プロポーズは、承諾もされなかったし、拒絶もされなかった。私は、彼女にキスをしようとも、また手を握ろうとさえしなかった。お互い、継続して会い続け、文通を引き続き行うことで合意し、結婚するかどうかは、時(間)に解決させることにした(写真:ウェディング・ドレスを着たアリス,1894年12月13日)。
すべてこうしたことは屋外での出来事であったが、私たちがついに昼食のため戻って来た時、彼女は、 --禁酒に関する説教の支援をしてもらうため、彼女をシカゴ万国博覧会(松下注:1893年開催)に招待するという --レディ・ヘンリー・サマセット(Lady Henry Somerset,1851-1921)からの手紙を見つけた。禁酒の美徳は、当時のアメリカでは、十分普及していないと考えられていた。アリスは、母親から熱烈な絶対禁酒’の信念を受け継いでおり、この招待に非常に大得意だった。彼女は勝ち誇ったようにその手紙を読み上げ、熱狂的にその招待を承諾した。そのことで私は、かなり肩身の狭い思いをした。というのは、それは数ケ月間の彼女の不在と彼女の興味あるキャリアの開始であろうことを意味したからである。
自宅(Pembroke Lodge)に戻ってから、私は、一部始終を家族に話した。すると彼らは、型にはまった因襲に従い、反応した。彼らは言った。アリスはレデイ(淑女/貴族の娘や妻)ではない、幼児誘拐魔だ、下層階級のやま師だ、私の未熟につけいろうとしている女だ、いかなる上品な感情も持っていない人間だ、作法知らずのために私(ラッセル)を一生恥ずかしめるような女だ、と。しかし私は父から相続した約2万ポンド(注:現在の物価に換算すると、4~5億円か?)の財産をもっていたので、家族の言うことには全然耳をかさなかった。彼らとの間柄は非常に緊張したものとなり、それは私の結婚後まで続いた。
It was only after breakfast, and then with infinite hesitation and alarm, that I arrived at a definite proposal, which was in those days the custom. I was neither accepted nor rejected. It did not occur to me to attempt to kiss her, or even take her hand. We agreed to go on seeing each other and corresponding, and to let time decide one way or the other.
All this happened out-of-doors, but when we finally came in to lunch, she found a letter from Lady Henry Somerset, inviting her to the Chicago World’s Fair to help in preaching temperance, a virtue of which in those days America was supposed not to have enough. Alys had inherited from her mother an ardent belief in total abstinence, and was much elated to get this invitation. She read it out triumphantly, and accepted it enthusiastically, which made me feel rather small, as it meant several months of absence, and possibly the beginning of an interesting career.
When I came home, I told my people what had occurred, and they reacted according to the stereotyped convention. They said she was no lady, a baby-snatcher, a low-class adventuress, a designing female taking advantage of my inexperience, a person incapable of all the finer feelings, a woman whose vulgarity would perpetually put me to shame. But I had a fortune of some £20,000(pound) inherited from my father, and I paid no attention to what my people said. Relations became very strained, and remained so until after I was married.
出典: The Autobiography of Bertrand Russell, v.1, chap. 4: Engagement, 1967]
詳細情報:http://russell-j.com/beginner/AB14-120.HTM
[寸言]
NHKで現在放映されている「(英国貴族の館)ダウントン・アビー」からもわかるように,第一次世界大戦前の貴族の子弟が平民の女性と結婚するようなことはほとんどまったくといってよいほどなかった(考えられないことであった)。従って、英国名門貴族の子弟のラッセルが平民の、しかも5歳も年上の米国人女性にプロポーズしたと聞いた家族(といっても両親はラッセルが幼児の時に亡くなっていたので祖父母であるが)は驚天動地のごとくあわてて絶対に阻止しようとしたであろう。
紆余曲折の後、家族の反対を押し切って二人は結婚したが、幸せな結婚生活は10年も続かなかった。1911年に別居し、正式に離婚したのは、裁判で決着する1921年のことであるが、1901年には既に結婚生活は完全に破綻していた。