私は偶然シェリー(P. B. Shelley, 1792 – 1822:英国を代表するロマン派詩人)に出会った。ある日私は,ドーヴァー・ストリートにあるモードおばさんの家の居間で,彼女を待っていた。そこにあるシェリーの詩の本をとって開いたら,「アラスター-または孤独の霊-」の部分だった。それは,私がかつて読んだもののなかで,最も美しい詩だと思われた。もちろん,その詩(アラスター)の非現実性は,私がアラスターを賛美する最大の要素であった。おばさんが家に着いた時,ほぼ半分ほど読んでしまっていたが,私はその本を書棚にもどさなければならなかった。私は,大人たちに,シェリーを偉大な詩人と考えられないかどうか尋ねたが,彼らはシェリーをよく思っていないことがわかった。けれども私は,このことで躊躇せず,私は暇な時はいつもシェリーを読んだり,暗記したりして過ごした。私は,自分考えたり感じたことを話すことができる相手は誰もいなかったので,私はしばしば,シェリーを知るということが何と素晴らしいことだろうか,また,現在生きている人でこんなに共感できる人とはたしてめぐり逢えるものだろうか,と思った。
I came upon Shelley by accident. One day I was waiting for my Aunt Maude in her sitting-room at Dover Street. I opened it at Alastor, which seemed to me the most beautiful poem I had ever read. Its unreality was, of course, the great element in my admiration for it. I had got about half-way through when my Aunt arrived, and I had to put the volume back in the shelf. I asked the grown-ups whether Shelley was not considered a great poet, but found that they thought ill of him. This, however, did not deter me, and I spent all my spare time reading him, and learning him by heart. Knowing no one to whom I could speak of what I thought or felt, I used to reflect how wonderful it would have been to know Shelley, and to wonder whether I should ever meet any live human being with whom I should feel so much in sympathy.
出典: The Autobiography of Bertrand Russell, v.1, chap. 2, 1967]
詳細情報:http://russell-j.com/beginner/AB12-050.HTM
[寸言]
ラッセルは青年時代にシェリーの詩にであい、感銘を受け、生涯、愛読することになる。シェリーは裕福な貴族の家に(長男として)生まれ、因習を嫌い、オックスフォード大学を追放され、放浪の詩人となる。1811年(19歳)の時に『無神論の必要』 を出すとともに、結婚制度を否定し自由恋愛を信奉する。このように、シェリーはラッセルとの共通点を多くもっている。
ラッセルは晩年、北ウェールズのプラス・ペンリンの自宅で死ぬまでEdith と暮らしたが、その家からはシェリーが住んでいたタニーラルトを眺めることができた。ラッセルはそのことについて、下記のページにある書簡のなかで述べている。(写真:ラッセルの秘書 C. Farley、牧野力教授、ラッセルの4番目の妻 Edith, 全員故人)
「タニーラルトのシェリー」
http://russell-j.com/beginner/DBR5-41.HTM