ラッセル『私の哲学の発展』第2章 私の現在の世界観 n.12

 我々はもう一つ別のルートを通って同じ結果に接近することが可能である。我々が星空の一部を写真に映す写真乾板について考察していた時、それには写真乾板上において,非常に多数の出来事(a great multiplicity of occurrences)が伴っている(含まれている)のを見た。即ち最小限に見積もっても、その写真乾板が映しうる対象の一つに対して一つの出来事(が存在している)。(そこで)私はこう推論する。「時空」のあらゆる小さな領域において、互いに(部分的に)重なりあっている膨大な数の事象(群)が存在し、その事象(群)の各々は因果の線(causal line)によってそれより以前の時点 -通常はほんの少し前の時点であるけれども- に生じた一つの源(origin 発生源の出来事)と結ばれている(と)。写真乾板のような感知装置(a sensitive instrument)は,それがどこに置かれていようとも、それらの因果の線を発出する多種多様な対象を -ある意味で- 「知覚する」と言ってよいだろう。通常,我々は当の装置(instrument in question 問題となっている装置)が、生きている脳でなければ「知覚する」という語を用いないが、それは(それを「知覚する」というのは)、生きている脳によって占められている領域の中に起る(諸)事象の間に、ある一定の特別な関係が存在するからである(注:観測装置がとらえたものを人間が覗くと脳のなかでそれに対応した事象が起こる,つまり生きた脳とのつながりができる)。この特殊な関係の中で最重要なものは記憶である。このような特別な関係が存在するあらゆる場所に「知覚者(a percipient)が存在する」と我々は言う。我々は「精神(こころ)」を記憶の連鎖によって前後両方向に互いに結合されている事象群(事象の集合)であると定義してもよいであろう。我々(人間)はそういう事象群のひとつ -即ち,自分自身(ourself)を形成しているもの- について、世界の他の何ものについてよりも、内的にかつ直接的に知っている(注:たとえば、他人が何を考えているかわからないが、自分が今何を考えているかは自分はよく知っている,と思っている/なお,ourselves ではなく ourself 私自身=自分自身となっていることに注意)。自分自身(の身に)起こることに関しては、我々は(その出来事の)抽象的な論理的構造だけでなく、それらの特質(qualities 特別な性質)も知っている。ここで(諸)特質の意味するものは、たとえば「色」に対して「音」を特徴づけるものであり、あるいは,「緑」に対して「赤」を特徴づけるものである(注:たとえば、「肌ざわり」のようなものや「なまあたたかさ」のような質感は他人にはわからない)。これは物理的世界においては我々の知りえない種類のものである

Chapter 2: My present view of the world, n.12 We can approach the same result by another route. When we were considering the photographic plate which photographs a portion of the starry heavens, we saw that this involves a great multiplicity of occurrences at the photographic plate: namely, at the very least, one for each object that it can photograph. I infer that, in every small region of space-time, there is an immense multiplicity of overlapping events each connected by a causal line to an origin at some earlier time – though, usually, at a very slightly earlier time. A sensitive instrument, such as a photographic plate, placed anywhere, may be said in a sense to ‘perceive’ the various objects from which these causal lines emanate. We do not use the word ‘perceive’ unless the instrument in question is a living brain, but that is because those regions which are inhabited by living brains have certain peculiar relations among the events occurring there. The most important of these is memory. Wherever these peculiar relations exist, we say that there is a percipient. We may define a ‘mind’ as a collection of events connected with each other by memory-chains backwards and forwards. We know about one such collection of events – namely, that constituting ourself – more intimately and directly than we know about anything else in the world. In regard to what happens to ourself, we know not only abstract logical structure, but also qualities – by which I mean what characterizes sounds as opposed to colours, or red as opposed to green. This is the sort of thing that we cannot know where the physical world is concerned.
 Source: My Philosophical Development, chap. 2,1959.  
 More info.:https://russell-j.com/beginner/BR_MPD_02-120.HTM

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