ラッセル『宗教と科学』第9章 科学と倫理 n.11

客観的」価値(の存在)を信ずる人々は、しばしば、私がこれまで擁護してきた見解は不道徳な結果を持つ(もたらす)と主張する。これは(このような主張は)誤った推論に起因すると私には思われる。既に述べてきたように、主観的価値説(価値情緒説)にはある一定の倫理的帰結(結果)が存在しており(伴っており),そのなかで最も重要なものは、報復的な処罰(vindictive punishment 復習的な懲罰)と「罪」の観念である。しかし、恐れられているもっと一般的な帰結は、(例えば)あらゆる道徳的義務感の衰え(減衰)(といった帰結)は 論理的に演繹されうるものではない。道徳的義務は -もし道徳的義務は(人間の)行為に影響すべきものだとするならば- それは(人間の)信念からだけではなく,(人間の)欲求からも成り立っていなければならない。その欲求は、ある意味で「善」でありたいとする欲求 -私はもはやそのような意味での欲求は認めていない- であると言われるかも知れない。しかし、我々が「善」でありたいとする欲求を分析すると、その欲求は、普通(一般的に)、認めて貰いたいという欲求(注:承認欲求)あるいは,その代わりに(alternatively),我々が望むようなある一定の一般的帰結をもたらすように行為をしようとする欲求還元される(resolve itself into)。我々は純粋に個人的ではない願望を持っているし、また、もしそういった願望を持っていないとしたら、倫理的教えは、不承認を恐れることによる以外(承認されないことを恐れない限り)、我々の行為に何ら影響しないだろう(no amount of ~ 最大限の~ですら・・・ない)。我々が称賛する種類の人生(と)は広い(寛大な)非個人的な欲求に導かれたものである。ところで、そのような欲求は、疑いもなく、模範(となる人や事例)、教育、知識によって促されるが、そういった欲求は、善であるという単なる抽象的信念によって創造されることはほとんど不可能であり、また、「善」という言葉で意味されているものを分析することによって落胆させられることもない。
Chapter 9: Science and Ethics, n.11
Those who believe in “objective” values often contend that the view which I have been advocating has immoral consequences. This seems to me to be due to faulty reasoning. There are, as has already been said, certain ethical consequences of the doctrine of subjective values, of which the most important is the rejection of vindictive punishment and the notion of “sin.” But the more general consequences which are feared, such as the decay of all sense of moral obligation, are not to be logically deduced. Moral obligation, if it is to influence conduct, must consist not merely of a belief, but of a desire. The desire, I may be told, is the desire to be “good” in a sense which I no longer allow. But when we analyse the desire to be “good” it generally resolves itself into a desire to be approved, or, alternatively, to act so as to bring about certain general consequences which we desire. We have wishes which are not purely personal, and, if we had not, no amount of ethical teaching would influence our conduct except through fear of disapproval. The sort of life that most of us admire is one which is guided by large impersonal desires ; now such desires can, no doubt, be encouraged by example, education, and knowledge, but they can hardly be created by the mere abstract belief that they are good, nor discouraged by an analysis of what is meant by the word “good.”
 出典:Religion and Science, 1935, chapt. 9: Science and Ethics
 情報源:https://russell-j.com/beginner/RS1935_09-110.HTM

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