ラッセル『宗教と科学』第3章 進化 n.16

 生物学の分野で(キリスト教の)正統信仰を救おうとする奇妙な試みがエドムンド・ゴッスの父である博物学者ゴッス(注:Philip Henry Gosse, 1810-1888:イギリスの博物学者。聖書の天地創造説と地質学の斉一説を融合させようと,オムファロス仮説を提唱)によってなされた。彼は,世界の古さを支持する地質学者によってあげられた証拠を全て完全に認めたが,(神によって)創造がなされた時,あたかも全てのものが過去の歴史を(最初から)もっているかのごとく創造されたのだと主張した。この説(理論}が正しくないことを「証明する」論理的可能性はまったくない。アダムとイブは,(後代の人間が)普通に生れるのと同じようにへそ(navels)を持っていたということは,神学者たちによって既に決定されていた(原注:もしかすると,これはゴッセが自分の著書を「オムファロス」と命名した理由かも知れない。/訳注:荒地出版社刊の津田訳では、「多分、ゴッスがその本を Omphalos と読んだのは,この理由からだろう」となっている)。同様に,創造された(アダムとイブ以外の)他の全てのものは,あたかも成長してきたかのような状態で創造された可能性がある(とされた)。岩石は化石をいっぱい含んだ状態で創造できる可能性があり,またそれらは,もし火山作用や沈積があればちょうどそうなるであろうように(化石を含むようになるであろうように),(創造時に)造られた可能性がある。しかし,一度そのような可能性が認められるやいなや,世界の創造を特定の一時点におく理由はまったくなくなってしまう。(即ち,たとえば)我々はみな五分前に生れてきた可能性があり,その時(5分前)に既成の記憶をもち,靴下に穴をもち,刈る必要のある髪を持って生まれてきたのかも知れない(ということになる)。しかし,これは論理的に可能なことではあるが,それを信ずることは誰もできない。ゴッスは自分がなしとげた神学と科学のデータとの論理的にすばらしい調和を誰も信じることができないことに気づき,甚だしく失望した。神学者たちは,彼を無視し,かつての版図の大部分を捨て,残された領域に進み、身を隠したのである。 (参考:パロディ版「木曜日創造説」創造主は Queen Maeve という猫で,人間が猫の奴隷種族としてデザインされている(でなければ気分屋の猫に人間がせっせと餌をやる理由がない)。世界は先週木曜日に創造されており,それ以前の記憶があるように思えるのは創造主が我々の信仰を試すために用意したのだ,と主張)

Chapter 3: Evolution, n.16
A curious attempt to save orthodoxy in the field of biology was made by Gosse the naturalist, father of Edmund Gosse. He admitted fully all the evidence adduced by geologists in favour of the antiquity of the world, but maintained that, when the Creation took place, everything was constructed as if it had a past history. There is no logical possibility of proving that this theory is untrue. It has been decided by the theologians that Adam and Eve had navels, just as if they had been born in the ordinary way.(note: Perhaps this was the reason why Gosse called his book Omphalos.) Similarly everything else that was created could have been created as if it had grown. The rocks could have been filled with fossils, and have been made just such as they would have become if they had been due to volcanic action or to sedimentary deposits. But if once such possibilities are admitted, there is no reason to place the creation of the world at one point rather than another. We may have all come into existence five minutes ago, provided with ready-made memories, with holes in our socks and hair that needed cutting. But although this is a logical possibility, nobody can believe it ; and Gosse found, to his bitter disappointment, that nobody could believe his logically admirable reconciliation of theology with the data of science. The theologians, ignoring him, abandoned much of their previous territory, and proceeded to entrench themselves in what remained.
 出典:Religion and Science, 1935, chapt. 3: Evolution.
 情報源:https://russell-j.com/beginner/RS1935_03-160.HTM

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