(3) [似非民主主義]
哲学における日常用法を擁護する人たちは,時々,「普通の人」の神秘性を思わせるような話し方をする。彼らは,有機化学においては長い説明(言葉)が必要だし,量子物理学においては日常英語に翻訳することが困難な公式を必要とすることを認めるであろう。しかし,(彼ら日常言語学派が考える)哲学は異なっている。(日常言語学派の人たちは)教育のない人たちに彼らが知らないことを教えることは,哲学の役割ではないと彼らは主張する。逆に,哲学の役割とは,優れた人たちに彼らが自分で思っているほど優れていないことを教えることであり,また,本当に優れている人たちが日常用法を理解することによって彼らの技能を示すことができることである(と主張する)。
もちろん,今日,スポーツや映画や金儲け以外で,優秀さを主張することは恐るべきことである(注:皮肉)。それにも関わらず,前世紀以前には,我々が現在間違っていると考えている事柄を常識は(いろいろ)行った,と私はあえて言いたい。地球の反対側(対蹠地)では,人間は落下してしまうので,あるいは,仮に落ちないですんだとしても,頭を下にしているために目がまわってしまうので,人間は存在できないだろう,とかつては考えられていた。地球が自転するなんて言うことは,誰もがそうでないことは見ればわかるので,馬鹿げたことだとかつては考えられていた。太陽は(ギリシアの)ペロポネソス半島と同じくらいの大きさかも知れないという考えが最初に出された時,常識は憤慨した(のである)。しかし,これらのことはすべて遠い昔のことであった。私は,いつ常識がすっかり賢くなったかを知らない(以下すべて皮肉)。もしかするとそれは1776年(注:米国独立の年)だったかもしれないし,1848年(マルクス・エンゲルスの『共産党宣言』の出た年)だったかもしれない。あるいは,もしかすると,1870年の教育法の通過に伴ったのかもしれない。あるいはエードリアンやシェリントのような生理学者が,知覚に関する哲学的者の考えに科学的な侵略を行い始めた時に,やっとそうなったのかもしれない。
3) [fake democracy]
Those who advocate common usage in philosophy sometimes speak in a manner that suggests the mystique of the “common man.” They may admit that in organic chemistry there is need of long words, and that quantum physics requires formulas that are difficult to translate into ordinary English, but philosophy (they think) is different. It is not the function of philosophy so they maintain to teach something that uneducated people do not know; on the contrary, its function is to teach superior persons that they are not as superior as they thought they were, and that those who are really superior can show their skill by making sense of common sense.
It is, of course, a dreadful thing in these days to lay claim to any kind of superiority except in athletics, movies, and money-making. Nevertheless I will venture to say that in former centuries common sense made what we now think mistakes. It used to be thought that there could not be people at the antipodes, because they would fall off, or, if they avoided that, they would grow dizzy from standing on their heads. It used to be thought absurd to say that the earth rotates, because everybody can see that it doesn’t. When it was first suggested that the sun may be as large as the Peloponnesus, common sense was outraged. But all this was long ago. I do not know at what date common sense became all-wise. Perhaps it was in 1776; perhaps in 1848; or perhaps with the passing of the Education Act in 1870. Or perhaps it was only when physiologists such as Adrian and Sherrington began to make scientific inroads on philosophers’ ideas about perception.
出典: The cult of “common usage” (1953).
詳細情報:https://russell-j.com/beginner/1002_CoCU-040.HTM
<寸言>
哲学も難解ではなく、できるだけわかりやすいほうがよいのは言うまでもないが、そのように簡潔かつわかりやすく説明できるのは,ラッセルのようにあらゆる分野の高度の知識を持ち、それをかみくだいて論理的に説明できる哲学者だけであろう。深くても狭い範囲の知識しかもちあわせていない(特に科学に無知な)哲学者はそういった芸当はできず、遠回りの説明になったり、科学に無知なことからくる、見当ハズレの理論をのべたりすることも少なくない。