「職業的な」道徳家ー意識的な自己否定は,人を自己に没入させる

 幸福な人生は,驚くほど,善い人生と同じである。職業的な道徳家は,これまで,自己否定を重視しすぎてきた。そして,それを重視しすぎることによって,強調すべきところを間違えてきた。意識的な自己否定は,人を自己に没入させ,自分が犠牲にしたものをまざまざと意識させる。その結果,自己否定は,しばしばその当面の目的を達成しないばかりか,必ずといってよいほど究極の目的も達成しない。必要なのは,自己否定ではなく --自分の美徳の追求に没頭している人なら意識的な自己否定によってのみ実行できるような行為を自発的かつ自然に可能とするように-- 興味を外へ向けることである。

The happy life is to an extraordinary extent the same as the good life. Professional moralists have made too much of self-denial, and in so doing have put the emphasis in the wrong place. Conscious self-denial leaves a man self-absorbed and vividly aware of what he has sacrificed; in consequence it fails often of its immediate object and almost always of its ultimate purpose. What is needed is not self-denial, but that kind of direction of interest outward which will lead spontaneously and naturally to the same acts that a person absorbed in the pursuit of his own virtue could only perform by means of conscious self-denial.
出典: The Conquest of Happiness, 1930, chap. 17: Th Happy Man.
詳細情報:https://russell-j.com/beginner/HA28-030.HTM

<寸言> ★再掲(share し忘れていたため)
 宗教も道徳も愛国心もヘイトスピーチ偽善的要素が多く,あえて偽善的言動をすることによって「対価」が支払われるので、御用評論家や御用学者のような個人レベルだけでなく、「ビジネス」にもすることができる。

統治には「偽善」が必要だと開き直る政治家(もちろん公言したら落選するのでそんなことはしない。)も少なくないが、「偽善」(を暗黙の了解/大人の了解)によって社会を維持するよりは,最初は大変でも「正直(あるいは誠実)」を旨としたほうがよいのは、言うまでもない。

自分を過大評価することはよくないが,「自己否定」はもっとよくない。「自己否定」は謙虚なようでいて,「自意識過剰」に陥いる危険が大きく,人を不幸にする

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