野蛮な(迫害)衝動を「道徳の衣」を着せて発散させること - ヘイトも・・

 ボルネオの首狩り族の間では,(人間に対する)狩猟はいかなる道徳的言い訳の必要なしに満足させられているのに対し,文明化された人々は,高潔な倫理感情の衣裳でおおわずには,自分の低俗な感情の耽溺を愉しむことができない。殺人者に対して首狩り族と同じ野蛮な衝動を解放する時には,民衆はそれを野蛮とも邪悪とも感ぜずに,自分を徳性と善良な市民意識の持主だと信ずる。

Among the head-hunters of Borneo it is indulged without the need of any moral claptrap, but civilised people cannot adequately enjoy the indulgence of their baser passions until they have cloaked them in a garment of lofty ethical sentiments. When people let loose upon a murderer the savage impulses of the head-hunter, they feel neither savage nor wicked but believe themselves to be upholders of virtue and good citizenship.
出典:Bertrand Russell: Interest in crime,Dec. 21st, 1932. In: Mortals and Others, v.1 (1975)
詳細情報:https://russell-j.com/CRIME-I.HTM
<寸言>
 野蛮な衝動を発散している時には,自分に対してそういった攻撃がなされるようなことはまさかあるはずがないと考える。しかし,ひとたびそのような目に遭うと、自分が過去にやってたことを忘れて・・・。

このエッセイに書かれていることは,犯罪心理学,群集心理学の良い題材です。

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