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◆祝、500号!◆
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恐怖(心)は,意識的であれ,無意識的であれ,憎しみを生みやすい。なぜなら,他人は,自分に危害を加えることができる者(可能性のある者)とみなされているからである。
大部分の人の場合,現状では,ねたみが広い愛情の妨げになっている。ねたみを防ぐには,幸福による(幸福になる)ほかないと思われる。即ち,道徳的な躾けも,意識下のねたみに触れる力はない。逆に,幸福は,恐怖(心)のために大いに妨げられる。幸福になる機会をつかんだ若者は,親や「友人」から妨げられる。それは,名目上は道徳的な理由からであるが,実際はねたみからである。若者に十分な勇気があれば,こういう,不吉な予言をする人々を無視するだろう。そうでなければ,自らを不幸にし,ねたみ深い道徳家の仲間に加わることになる。
私たちがこれまで考察してきた性格の教育は,幸福と勇気を生み出すことをねらいとしている。それゆえ,性格の教育は,愛情の源泉を解放することを可能にすることを(いろいろ)為すであろう,と私は考える。それ以上のことを為すことはできない。もしあなたが子供たちに向かって,愛情深くなくてはいけないと言えば,あなたは空念仏と誤魔化しを生み出す危険を冒すことになる。しかし,もしあなたが子供たちを幸福で自由にしてあげ,また,子供たちを親切で包みこんであげるならば,子供たちは自発的にすべての人と仲良くなり,また,ほとんどすべての人は,それに応えて子供たちと仲良くなるだろう。人を信頼する愛情深い性質は,おのずとその正しさを証明する。なぜなら,それは,抵抗しがたい魅力をその持ち主に与え,期待通りの反応を呼び起こすからである。これこそ,正しい性格の教育から期待される最も重要な結果の一つである。
Fears, conscious or unconscious, are very apt to produce hatred, because other people are regarded as capable of inflicting injuries. With most people, as things are, envy is a barrier to widespread affection. I do not think envy can be prevented except by happiness; moral discipline is powerless to touch its sub-conscious forms. Happiness, in turn, is largely prevented by fear. Young people who have a chance of happiness are deterred by parents and “friends”, nominally on moral grounds, but really from envy. If the young people have enough fearlessness they will ignore the croakers; otherwise they will allow themselves to be made miserable, and join the company of envious moralists. The education of character that we have been considering is designed to produce happiness and courage; I think, therefore, that it does what is possible to liberate the springs of affection. More than this cannot be done. If you tell children that they ought to be affectionate, you run the risk of producing cant and humbug. But if you make them happy and free, if you surround them with kindness, you will find that they become spontaneously friendly with everybody, and that almost everybody responds by being friendly with them. A trustful affectionate disposition justifies itself, because it gives irresistible charm, and creates the response which it expects. This is one of the most important results to be expected from the right education of character.
出典: On Education, especially in early childhood, 1926, Pt. 2:Education of character, chap. 11: Affection and Sympathy
詳細情報:https://russell-j.com/beginner/OE11-180.HTM
[寸言]
いずれの独裁主義的な政府も(日本も例外にあらず)も、独裁主義的であること(非民主主義的であること/あるいは権力主義的であること)を隠す(カモフラージュする)ために、敵対国(仮想敵国)の危険性を強調し、国民に恐怖心を起こさせて、自分たちの政権に頼るようにさせようとする。
特に、汚職や嘘などの権力者の腐敗が明らかになり、政権基盤があやうくなった時には必ずといってよいほど、その傾向が強くなる。
過去にそのような経験をした(政権崩壊の危機を招いた)権力者は,再度そのようなことが起こらないように、マスコミ(特にその政治担当部門)をコントロールし、自分たちに都合の悪いことは「偏った報道をするな」と圧力をかけるとともに、御用記者などを通じて、政権のイメージアップにつながる報道をさせようと画策する。そのためには、露骨に金銭を贈ることもあるが、それ以上に多いのは、地位や役職を与えることであり、それには役職手当という「隠れた金銭授受」が存在している。
これは共産主義国だけでなく、民主主義国でも一般的なことである。つまり、これは経済体制や社会体制の問題ではなく、「権力者は腐敗する、全体的権力は絶対的に腐敗する」という、独裁的権力共通の問題である。