ラッセル『結婚論』第十八章 優生学 n.11

『結婚論』第十八章 優生学 n.11:科学の悪用

 ここでも(注:劣等民族の増大の危険性を強調する西欧の狂信的愛国主義などでも)また,以前の二つの場合と同様に,国際的な無政府状態が続いている間に科学が進歩していくなら,我々は,人類の前途にある危険に直面する。科学は我々(人類)のいろいろな目的の達成を可能とするが,我々の目的が邪悪なものであれば,結果は災いとなる。もしも,世界が依然として悪意と憎悪に満ちているなら,世界が科学的になればなるほどますます恐ろしいものになる。それゆえ,こういう感情の毒々しさを減らすことが,人類の進歩の要件である。こういった悪しき感情は(their existence),大部分,誤った性倫理と悪い性教育によってもたらされてきている。文明の将来のためには,ぜび,新しい,よりよい性倫理がなくてはならない。性道徳の改革が,現代の最重要な必要(なもの)の一つになるのは,まさに,この事実によっている。

Chapter XVIII: Eugenics, n.11

Here again, as on two former occasions, we are confronted by the dangers facing mankind if science advances while international anarchy continues. Science enables us to realize our purposes, and if our purposes are evil, the result is disaster. If the world remains filled with malevolence and hate, the more scientific it becomes the more horrible it will be. To diminish the virulence of these passions is, therefore, an essential of human progress. To a very great extent their existence has been brought about by a wrong sexual ethic and a bad sexual education. For the future of civilization a new and better sexual ethic is indispensable. It is this fact that makes the reform of sexual morality one of the vital needs of our time.
出典: Marriage and Morals, 1929.
詳細情報:https://russell-j.com/beginner/MM18-110.HTM

ラッセル『結婚論』第十八章 優生学 n.10

『結婚論』第十八章 優生学 n.10:

 ユリウス・ヴォルフは,統計のある主要国の全てについて,人口1,000人あたりの死亡に対する出生の超過(数)の表を示している(前掲書, pp.143-144)。フランスが最低で(1.3),次がアメリカ(4.0),それからスウェーデン(5.8),英領インド(5.9),スイス(6.2),イギリス(6.2)である。ドイツは7.8,イタリアは10.9,日本は14.6,ロシアは19.5,エクアドルは世界第一で,23.1である。中国は,この表に出ていない。実情が不明であるからである。(注:生身の人間を生きたまま分割できないので,1.3人はおかしく思われるかも知れないが,たとえば,10,000人あたり13人超過ということであればおかしくなく,それを1,000人あたりにすれば当然1.3人になる)

 ヴォルフは,西洋世界は,東洋,即ち,ロシア,中国,日本に圧倒されるだろうという結論を出している。私は,エクアドルを信用することでヴォルフの議論(argument 論証)に反駁する(反証をあげる)つもりはない(注:エクアドルが一番数字が大きいので,エクアドルが世界を圧倒するだろうなんて馬鹿なことは言うつもりはない,という意味での皮肉)。むしろ,ロンドンの金持ちと貧乏人との間の出生率の比較を示すヴォルフの数字(すでに言及した)を示すことにしよう。それは,貧乏人の出生率は,数年前の金持ちの出生率よりも低くなっていることを示している(のである)。

同様なことが,もっと長い期間を必要とするが(長い期間がかかるが),東洋にもあてはまる。即ち,東洋が西欧化するにつれて,必然的に出生率は下がるにちがいない(訳注:そのことはアフリカにもあてはまる)。一つの国が軍事的な意味で恐るぺきものになるには,工業化されることによってしかないし(注:産業が発達しなければ兵器も製造できないために軍事強国にはなりえないという意味),そうして,工業化は,子供(の数)を制限することにつながるような心的傾向をもたらす。それゆえ,われわれは,西欧の狂信的愛国主義者(前ドイツ皇帝に続く/後継する)が恐ろしいと偽って公言している(profess to dread)東洋の支配(東洋による世界支配)は,かりに起こったとしても(if = even if),大した不幸にはならないだろうし,また,そういうことが起こると予期するべき確かな証拠はない,と結論せざるをえない。にもかかわらず,戦争屋たち(war-mongers)は,多分,国際的な権威(国際的権力=国際的政府や世界政府)が,各国の人口の許される割り当てを決めることができるような時期がくるまでは,とりわけ,この悪霊(bogy)を利用し続けるだろう

Chapter XVIII: Eugenics, n.10

Julius Wolf (note: Op. cit., pp. 143-4) gives a table of the excess of births over deaths per 1,000 of the population in all the principal countries for which statistics exist. France is lowest (1.3), U.S.A. next (4.0), then Sweden (5.8), British India (5.9), Switzerland (6.2), England (6.2). Germany has 7.8, Italy 1O.9, Japan 14.6, Russia 19.5, and Ecuador, which leads the world, 23.1. China does not appear in the list, since the facts are unknown. Wolf draws the conclusion that the Western world will be overwhelmed by the East, i.e. by Russia, China, and Japan. I shall not attempt to rebut his argument by pinning my faith on Ecuador. Rather I shall point to his figures (already referred to) for the relative birth-rates among rich and poor in London, showing that the latter are now lower than the former were a few years ago. The same thing, though with a longer time-interval, applies to the East : as it becomes Occidentalized, its birth-rate will inevitably fall. A country cannot become formidable in a military sense except by becoming industrialized, and industrialism brings with it the type of mentality that leads to family limitation. We are therefore forced to conclude, not only that the domination of the East, which Western Chauvinists (following the ex-Kaiser) profess to dread, would be no great misfortune if it occurred, but also that there is no valid ground for expecting that it will come about. Nevertheless, war-mongers will probably continue to use this bogy, among others, until such time as an international authority can assign the permissible quota of increase for the populations of the various States.
出典: Marriage and Morals, 1929.
詳細情報:https://russell-j.com/beginner/MM18-100.HTM

ラッセル『結婚論』第十八章 優生学 n.9

『結婚論』第十八章 優生学 n.9:狂信的愛国主義の口実としての人種優生学

 極端な場合,ある民族が他の民族よりも優秀な場合があることは,ほとんど疑いがない。北アメリカ,オーストラリア,ニュージーランドは,まだ原住民が住んでいる(注:他の先進民族が住んでいない)と仮定した場合よりも,確かに,世界の文明にいっそう大きな貢献をしている。黒人が,平均して,白人よりも劣っているという十分な理由はまったくない。ただし,黒人は,熱帯での仕事になくてはならないので,黒人の絶滅は(人道上の問題を別にしても),はなはだ望ましくないだろう(注:これは冗談のつもりだろうが、今では不適切な発言)。しかし,ヨーロッパの諸民族の間に区別(差別)をつけようとすれば,政治的偏見をささえるために,大量の悪しき科学を持ち込まなくてはならない。また,黄色人種がわれわれ高貴な人種よりもいくらかでも劣っているとみなすべき正当な根拠は,私には見つからない。こういう場合は全て,人種優生学は狂信的愛国主義の口実にすぎない。

(注:修正前のテキストでは,「大体において,黒人は平均して,白人よりも劣っている,と見てさしつかえないようである」と書かれていた。知人に「誤解を招く恐れがある」と指摘されて上記のように修正されている。ただし,ページを増やさずに同一ページ内で処理したために,その後の但し書きの although との相性がよくなく,多少「苦しい」書き方になってしまっている。
古い版(テキスト)は明らかにラッセルの表現の仕方がよくなかった。安藤貞雄氏は,岩波文庫版の邦訳(ラッセル『結婚論』)を初版の第6刷(1938年刊)を底本とし,Unwin Books の第7刷(1972年)によって誤植を訂正したと邦訳書の巻末解説で書かれているが,誤植だけ確かめるために Unwin Books を参照したとのことで,残念である。1972年版のテキストは手元にないのでどうなっているかわからないが,少なくとも,私が所蔵している1976年版のテキストでは新しいテキストになっている。

なお,ラッセルは15歳の少女からの手紙(『結婚論』等に対する質問)に対し,次のように弁解の返事を書いている

わたしは今まで,黒人が’先天的に’劣等であるなどと考えたことは一度もありません。『結婚と性道徳』の記述は,黒人がおかれた状況(環境)について言及したものですそこのところは,明らかに不明瞭な書き方になっていて違った意味にとれられる恐れがあるため,あとの版では削除しました。」(R.カスリルズ,B.フェインベルグ(編),日高一輝(訳)『拝啓バートランド・ラッセル様(市民との往復書簡集)』)
https://russell-j.com/beginner/DBR4-28.HTM

Chapter XVIII: Eugenics, n.9

In extreme cases, there can be little doubt of the superiority of one race to another. North America, Australia, and New Zealand certainly contribute more to the civilization of the world than they would do if they were still peopled by aborigines. There is no sound reason to regard negroes as on the average inferior to white men (Old text: It seems on the whole fair to regard negroes as on the average inferior to white men), although for work in the tropics they are indispensable, so that their extermination (apart from questions of humanity) would be highly undesirable. But when it comes to discriminating among the races of Europe, a mass of bad science has to be brought in to support political prejudice. Nor do I see any valid ground for regarding the yellow races as in any degree inferior to our noble selves. In all such cases, racial eugenics is merely an excuse for Chauvinism (chauvinism).

(For your information:
“… I never held Negroes to be inherently inferior. The statement in Marriage and Morals refers to environment conditioning. I have had it withdrawn from subsequent editions because it is clearly ambiguous.”
(From: Dear Bertrand Russell; a selection of his correspondence with the general public, 1950 – 1968. Allen & Unwin, 1969.)
出典: Marriage and Morals, 1929.
詳細情報:https://russell-j.com/beginner/MM18-090.HTM

ラッセル『結婚論』第十八章 優生学 n.8

『結婚論』第十八章 優生学 n.8:人種優生学

 あるタイプの政治家や政治評論家(publicists 時事評論家)に大変人気のある一種の優生学がある。これを人種優生学 (race eugenics) と呼んでもよいだろう。この優生学は,ある人種または国民は(もちろん,筆者もそれに属している(冗談)),他の全ての民族よりもずっと優秀であるから,劣った種族を犠牲にして数(人口)を増やすために軍事力を行使すべきだ,という主張から成り立っている。この最も注目すべき例は,アメリカ合衆国における北欧人のプロパガンダで,それは,移民法の中で立法上の承認に勝利することに成功している。この種の優生学は,ダーウィンの適者生存の原理に訴えることができる。しかるに,奇妙なことに,その最も熱心な主唱者は,ダーウィン説(注:進化論)を教えることは違法とするべきだ,と考えている連中である。人種優生学に結びついている政治的プロパガンダは,大部分,望ましくない類のものである。しかし,このことは(今は)忘れて,この問題をその真価(merits 功罪)によって換討してみよう。

Chapter XVIII: Eugenics, n.8

There is a kind of eugenics, very popular with certain types of politicians and publicists, which may be called race eugenics. This consists in the contention that one race or nation (of course that to which the writer belongs) is very superior to all others, and ought to use its military power to increase its numbers at the expense of inferior stocks. The most noteworthy example of this is the Nordic propaganda in the United States, which has succeeded in winning legislative recognition in the immigration laws. This kind of eugenics can appeal to the Darwinian principle of survival of the fittest; yet, oddly enough, its most ardent advocates are those who consider that the teaching of Darwinism should be illegal. The political propaganda bound up with racial eugenics is mostly of an undesirable sort; but let us forget this, and examine the question on its merits.
出典: Marriage and Morals, 1929.
詳細情報:https://russell-j.com/beginner/MM18-080.HTM

ラッセル『結婚論』第十八章 優生学 n.7

『結婚論』第十八章 優生学 n.7:国家による「品質の良い」人間の繁殖政策?

 けれども,この種の科学的知識を適用(応用)するためには,本書でこれまで熟考してきたいかなることよりも家族に関して,いっそう根本的な変動(upheaval 激変)が必要になるだろう。(人間の)科学的な品種改良を完璧に実行しようとするなら,各世代ごとに,男性の約2,3パーセント,女性の約25パーセントを繁殖の目的のために取りのけておかなければならない。たぶん思春期に試験が行われ,その結果,合格しなかった候補者は,全員断種されるだろう。父親は,その子孫に対して現在の雄牛や種馬(a bull or stallion)くらいの関係しか持たない(以上の関係を持たない/の関係に過ぎない)だろうし,母親は,特別な専門職になり,生活様式は他の女性(子どもを産まない女性)とは異なったものになるだろう。私は,こういう事態が起ころうとしている,と言うのではない。ましてや,それを望んでいる,と言うのでもない。正直言って,それは,たまらなく嫌悪を催させるからだ。

 にもかかわらず,この問題(人間の科学的繁殖)を客観的に吟味すると,そういった計画はめざましい結果を生むかもしれないことがわかる。議論のために,この計画が日本で採用され,三世代の終わりには,大部分の日本人男性がエジソンのように頭がよくて,プロボクサー(a prize-fighter)のように強健になっていると仮定しよう。もしも,その間,世界のほかの国家が,事態を自然の成り行きにまかせたままにしておくならば,戦争で日本に太刀打ちすることはまったくかなわなくなるだろう(注:強力な兵器と体力を持つことになるから)。疑いもなく,日本人は,このような高度の能力を身につけたからには,どこかほかの国家の男を兵士として雇う方法を見いだすだろうし,勝利を得るために科学的技術に頼り,そして,まずまちがいなく,勝利を収めることだろぅ。このような制度では,国家に対する盲目的な忠誠を若者に注入するのは,いともたやすいことだろう。将来,この種の発展がありえない,と誰が言えようか。

Chapter XVIII: Eugenics, n.7

To apply scientific knowledge of this sort, however, would demand a more radical upheaval as regards the family than anything hitherto contemplated in these pages. If scientific breeding is to be carried out thoroughly, it will be necessary to set apart in each generation some two or three per cent. (= percent) of the males and some twenty-five per cent. (= percent) of the females for the purpose of propagation. There will be, presumably at puberty, an examination, as a result of which all the unsuccessful candidates will be sterilized. The father will have no more connection with his offspring than a bull or stallion has at present, and the mother will be a specialized professional, distinguished from other women by her manner of life. I do not say that this state of affairs is going to come about, still less do I say that I desire it, for I confess that I hd it exceedingly repugnant. Nevertheless, when the matter is examined objectively, it is seen that such a plan might produce remarkable results. Let us suppose, for the sake of argument, that it is adopted in Japan, and that at the end of three generations most Japanese men are as clever as Edison and as strong as a prize-fighter. If, meanwhile, the other nations of the world had continued to leave matters to nature, they would be quite unable to stand up against Japan in warfare. Doubtless the Japanese, having reached such a pitch of ability, would find ways of employing the men of some other nation as soldiers, and would rely upon their scientific technique for victory, which they would be pretty sure to achieve. In such a system, blind devotion to the State would be very easy to instil in youth. Can anyone say that a development of this sort in the future is impossible?
出典: Marriage and Morals, 1929.
詳細情報:https://russell-j.com/beginner/MM18-070.HTM

ラッセル『結婚論』第十八章 優生学 n.6

『結婚論』第十八章 優生学 n.6:人間の品種改良も!?

にもかかわらず,この問題を少しでも考えた人なら誰でも,どのような人間が(誰が)最良の血統の持ち主であるかを決定することは現在は困難であるかも知れないが,この点(血統の良さ・悪さ)に関しては,疑いもなく差異(違い)があるので,いずれ科学が測定できると期待してよいだろうということ(科学が遠くない将来に測定できると期待してよいだろう血統の良否)を知っている(理解している)。自分が飼っているオスの子牛(bull calves)の全てに平等な機会を与えなければいけないと言われた農夫の気持ちを想像してみよ! 実際のところ,次の世代の祖先となるべき雄牛は,その母方の先祖の乳を出す資質(能力)によって厳選されている(注:つまり,乳牛農家は乳をたくさん出すメスの牛を選び,オスの牛はその母親から生まれる)。ついでながら(in passing 因みに/ついでに言えば),牛という種には,科学,芸術,戦争が知られていない以上,牛の卓越した価値はメスのみに付随していて,オスは,せいぜいメスの優秀さの伝達者にすぎないことに注目してもよいだろう。)

 全ての家畜は,科学的な繁殖によって,(これまで)大いに品種改良されてきた。人間も,似たような方法で,望みどおりの方向に変えられる(変えることができる)ことは,疑問の余地がない。もちろん,人間の場合,何が望ましいかを決定することは,ずっと難しい。体力(増強)を目指して人間を育てたならば,頭脳が弱くなってしまうかもしれない。知的能力(向上)を目指して育てたならば,さまざまな病気に一段とかかりやすくなってしまうかもしれない。情緒のバランス(能力)を生み出そうとするならば,芸術を破壊してしまうかもしれない

こういった問題の全てについて,必要な知識は存在していない。従って,現時点では,積極的優生学(活用)の方向で多くのことをすることは望ましくない。しかし,次の百年以内,遺伝学や生化学が長足の進歩をとげて,現存の人類より優れていると誰もが認めるような人類を繁殖させることが可能になるということも,容易になるかも知れない(may easily be that)。

Chapter XVIII: Eugenics, n.6

Nevertheless, every person who has given any thought to the subject knows that, although at present it may be difficult to determine who constitutes the best stocks, yet undoubtedly there are differences in this respect which science may hope to be able to measure before long. Imagine the feelings of a farmer who was told that he must give all his bull calves an equal opportunity! As a matter of fact, the bull which is to be the progenitor of the next generation is very carefully selected for the milk-giving qualities of his female ancestors. (We may note in passing that since science, art, and war are unknown to this species, prominent merit attaches only to the female sex, and the male is at best a transmitter of feminine excellences.) All domestic animals have been improved enormously by scientific breeding, and it is not open to question that human beings could, by similar methods, be changed in any desired direction. It is, of course, much more difficult to determine what we desire in human beings. It may be that if we bred people for physical strength we should diminish their brains. It may be that if we bred them for mental capacity we should render them more liable to various diseases. It may be that if we sought to produce emotional balance we should destroy art. On all these matters the necessary knowledge does not exist. It is not, therefore, desirable to do much in the way of positive eugenics at the present time. But it may easily be that within the next hundred years the sciences of heredity and bio-chemistry will have made such strides as to make possible the breeding of a race which everybody would admit to be superior to that now existing.
出典: Marriage and Morals, 1929.
詳細情報:https://russell-j.com/beginner/MM18-060.HTM

ラッセル『結婚論』第十八章 優生学 n.5

『結婚論』第十八章 優生学 n.5:「積極的」優生学

 次に,積極的優生学に目を向けてみよう(注:come now to 今度は,積極的優生学の番である)。これは,まだ未来に属しているものであるが,(消極的優生学よりも)もっと興味ある可能性を有している。積極的優生学の本質は,望ましい両親に多数の子供を生むように奨励する試みにある(consist in the attmept to)。現在は,これと正反対の現象が一般的である(注:消極的優生学の観点から,望ましくない親にできるだけ子どもをうまないように誘導している)。たとえば,小学校で並みはずれて利口な少年は,出世して専門職階級に入り(rise into the professional classes),従って,多分,35歳か40歳で結婚するだろう(注:晩婚。因みに,1929年当時の英国における大学進学率はかなり低かったことに注意)。一方,(出世することなく)もともといた環境にいる,それほど利口でない人々は,25歳くらいで結婚するだろう。専門職階級においては,教育費は大きな負担になるので,子供(の数)を非常に厳しく制限させられる。おそらく,彼ら専門職階級の知的平均は,他の大部分の階級の知的平均よりもいくらか高いと思われるので,そのような制限(があること)は残念なことである。

彼らのような事情に対処する最も簡単な方法は,その子供たちに,(小学校から)大学を出るまで無料の教育を与える(grant 認める)ことであろう。即ち,大ざっばに言えば,(給付)奨学金は,子供の優秀さよりも親の優秀さに基づいて授けるべきである(on the merits of ~の価値で=~が優秀か優秀でないかに基づき・・・)。このやり方には,詰め込み教育と勉強のしすぎ -これによって,(英国の)最も賢い青年たちの大部分が21歳(注:英国も成人は21歳)に達する前に,過度のストレスのために,知的にも肉体的にも損なわれている- を一掃する(doing away with)という,付随的な利点もあるだろう。

けれども,英国においても,また,アメリカにおいても,国家が,専門職に従事している人たちの大部分に多くの子どもを生む気にさせるのに真に十分な(適切な)措置を採ることは,おそらく,不可能であろう。それを阻む(注:道を塞ぐ stands in the way)ものは,民主主義である。優生学の思想は人間は(能力においてまた権利において)不平等である,という想定(仮定)に基づいているのに対して,民主主義の思想は人間は(権利において)平等であるという想定(仮定)に基づいている。それゆえ,優生学の思想が,低能(imbeciles)のような少数の能力の劣った人たちがいることをほのめかすかたちをとらないで,少数の優れた人たちがいることを認めるかたちをとるときには,この優生思想を民主主義社会で実行することは,政治的に非常に困難である。前者は,大多数にとって愉快であるが,後者は大多数にとって不愉快である。従って,前者の事実を具体化する措置は,大多数の支持を得ることができるが,後者の事実を具体化する措置は,大多数の支持が得られないのである。

Chapter XVIII: Eugenics, n.5

I come now to positive eugenics, which has more interesting possibilities, though as yet they belong to the future. Positive eugenics consists in the attempt to encourage desirable parents to have a large number of children. At present the exact contrary is general. An abnormally clever boy in an elementary school, for example, will rise into the professional classes, and will probably, therefore, marry at the age of thirty-five or forty, whereas those in his original environment who are not unusually clever will marry at about twenty-five. The expense of education is a grave burden in the professional classes, and therefore causes them to limit their families very severely. Probably their intellectual average is somewhat higher than that of most other classes, so that this limitation is regrettable. The simplest measure for dealing with their case would be to grant free education up to and including the university to their children. That is to say, broadly speaking, that scholarships should be awarded on the merits of the parents rather than of the children. This would have the incidental advantage of doing away with cramming and overwork, which at present causes most of the cleverest young people to be intellectually and physically damaged by too much strain before they reach the age of twenty-one. It would probably, however, be impossible, either in England or in America, for the State to adopt any measure really adequate to cause professional men to breed large families. What stands in the way is democracy. The ideas of eugenics are based on the assumption that men are unequal, while democracy is based on the assumption that they are equal. It is, therefore, politically very difficult to carry out eugenic ideas in a democratic community when those ideas take the form, not of suggesting that there is a minority of inferior people such as imbeciles, but of admitting that there is a minority of superior people. The former is pleasing to the majority, the latter unpleasing. Measures embodying the former fact can therefore win the support of a majority, while measures embodying the latter cannot.
出典: Marriage and Morals, 1929.
詳細情報:https://russell-j.com/beginner/MM18-050.HTM

ラッセル『結婚論』第十八章 優生学 n.4

『結婚論』第十八章 優生学 n.4:道徳的非難に科学を偽装させる仮面をかぶせる

 私の考えでは,断種(不妊化)という手段は,精神的に欠陥がある人にはっきりと限定するべきである。私は,(米国の)アイダホ州の法律のようなものを支持することはできない。同法は,「精神的欠陥者,てんかん持ち,常習的犯罪者,道徳的な堕落者,性的倒錯者」の断種を認めている。これらの中の最後の二つの範疇(カテゴリー)は,きわめてあいまいであり,社会が異なれば,その決定もまた異なるだろう。アイダホ州の法律は,ソクラテス,プラトン,ユリウス・カエサル,聖パウロの断種(不妊化)も正しいとしたことだろう。さらに,常習的犯罪者(The habitual criminal)は,何か機能的な神経障害の犠牲者である可能性が大であり,この病気は,少なくとも理論的には,精神分析で治せるものであり,たぶん,遺伝ではない可能性がかなりあるからである。

英国でもアメリカでも,このような問題に関する法律は,精神分析学者の研究(work 著作)を知らないままに作られるので(注:framed 構成/構築される),いくらか似たような徴侯を示すというだけの根拠で,まったく違ったタイプの障害をいっしょくたに扱っている(注:lump together 一緒くたする)。つまり,こういう法律は,現代の最良の知識に約三十年遅れているのである。このことは,次のような事実の例証になる。即ち,そのような事柄全てにおいては,科学が少なくとも数十年間異議の受けないような安定した結論に達するまでは,立法化することは非常に危険である,ということである。なぜなら,そうでなければ,誤った考えが法令(statutes)として具体化され,従って,治安判事(magistrates)に好かれるようになるので,その結果,より優れた考えを実際に応用することが大幅に遅れてしまうからである。

私の考えでは,いまのところ十分明確で,この方面で立法化の対象としてまちがいないのは,精神薄弱(Mental deficiency ここでは精神的欠陥全てでなく「精神薄弱」/岩波文庫版の安藤訳では「精神的欠陥」)のみである。これ(精神薄弱)は,当局も異議を唱えない,客観的な方法で決定できるのに対して,たとえば道徳的堕落などは,見解(意見)の問題である。ある人が誰かを道徳的堕落者と見ても,その同じ人を別な人は予言者と見るかもしれない(例:キリストや日蓮上人)。私は,この法律は,いつか将来においてもっと拡張してはいけないと言ってはいない。ただ,現在の我々の科学的知識は,この目的には不十分であるということ,また,アメリカのいろんな州で確かに起こったように,社会が,その道徳的非難に科学を偽装させる仮面をかぶせるのを許すような場合は大変危険である,と言っているだけである。

Chapter XVIII: Eugenics, n.4

Measures of sterilization should, in my opinion, be very definitely confined to persons who are mentally defective. I cannot favour laws such as that of Idaho, which allows sterilization of “mental defectives, epileptics, habitual criminals, moral degenerates, and sex perverts”. The last two categories here are very vague, and will be determined differently in different communities. The law of Idaho would have justified the sterilization of Socrates, Plato, Julius Caesar, and St. Paul. Moreover, the habitual criminal may very possibly be the victim of some functional nervous disorder which could, at least theoretically, be cured by psycho-analysis, and which might well be not hereditary. Both in England and in America the laws on such subjects are framed in ignorance of the work of psycho-analysts, and they therefore lump together entirely different types of disorder, merely on the ground that they display somewhat similar symptoms. They are, that is to say, some thirty years behind the best knowledge of the time. This illustrates the fact that in all such matters it is very dangerous to legislate until science has arrived at stable conclusions which have remained unchallenged for several decades at least, since, otherwise, false ideas become embodied in statutes, and therefore endeared to magistrates, with the result that the practical application of better ideas is greatly retarded. Mental deficiency is, to my mind, the only thing at present sufficiently definite to be safely made the subject of legal enactment in this region. It can be decided in an objective manner, concerning which authorities would not disagree, whereas moral degeneracy, for example, is a matter of opinion. The same person whom one man might consider a moral degenerate will be considered by another to be a prophet. I do not say that the law ought not, at some future time, to be extended more widely -I say only that our scientific knowledge at present is not adequate for this purpose, and that it is very dangerous when a community allows its moral reprobations to masquerade in the guise of science, as has undoubtedly happened in various American States.
出典: Marriage and Morals, 1929.
詳細情報:https://russell-j.com/beginner/MM18-040.HTM

ラッセル『結婚論』第十八章 優生学 n.3

『結婚論』第十八章 優生学 n.3:積極的優生学と消極的優生学

 優生学には,積極的なもの消極的なものの,二種類がある。前者(積極的優生学)は良い血統の促進を,後者(消極的優生学)は悪い血統の阻止(抑止)を取り扱う(に関心を持つ/に関わる)。現在は,後者(消極的優生学)のほうがいっそう実施可能である。事実,アメリカのいくつかの州では,長足の進歩をとげており,英国においては,実際,不適格な人びとの断種(不妊化)が直近の政治問題になろうとしている。そのような措置に対しては,当然反発を感じるだろうが,それは正当化されない,と私は信じている。精神薄弱の女性は,周知のように,えてしてとてつもなく多くの私生児(illegitimate children,)を産みがちであり,一般的に,どの子も(知的障害を持っているため)社会にとってまったく無価値である(注:誤解されやすいが,ラッセルは,ここでは,親にとって価値がないと言っているのではなく,社会にとって価値がないと言っている。手をつくしても生まれてしまったのであれば仕方がないが,育てられない場合は生まれないようにしたほうがよい,と主張している。なお,言葉は時代により意味内容が変わってくるが,ラッセルが言っている「精神薄弱」は,遺伝による’重度の’知的障害を指していると思われる。)こういう女性たちは,断種(不妊治療)されるなら,本人自身より幸福になれるだろう。精神薄弱の女性が妊娠するのは,なにも子供を生みたいという衝動(philoprogenitive impulse 小児愛の衝動/子供が欲しいという衝動)からではないからである。もちろん,同じことは,精神薄弱の男性にもあてはまる。
確かに,この制度(精神薄弱者断種制度)には重大な危険がある当局(政府や権力者)は,変わった意見や当局に対する反対をいかなるものも精神薄弱の印(現れ)だ,と安易に考えるようになるかもしれないからである。けれども,こういう危険を負うのも多分無駄ではないだろう。白痴,低能,精神薄弱者の数が,こういう手段で大いに減らせる(生み出されるのを事前に防ぐことができる)ことは,まったく明らかであるからである。(注:生まれてから困るのではなく,可能な限り生まれないようにするほうがよいということ)

Chapter XVIII: Eugenics, n.3

Eugenics is of two sorts, positive and negative. The former is concerned with the encouragement of good stocks, the latter with the discouragement of bad ones. The latter is at present more practicable. It has, indeed, made great strides in certain States in America, and the sterilization of the unfit is within the scope of immediate practical politics in England. The objections to such a measure which one naturally feels are, I believe, not justified. Feebleminded women, as everyone knows, are apt to have enormous numbers of illegitimate children, all, as a rule, wholly worthless to the community. These women would themselves be happier if they were sterilized, since it is not from any philoprogenitive impulse that they become pregnant. The same thing, of course, applies to feeble-minded men. There are, it is true, grave dangers in the system, since the authorities may easily come to consider any unusual opinion or any opposition to themselves a mark of feeblemindedness. These dangers, however, are probably worth incurring, since it is quite clear that the number of idiots, imbeciles, and feeble-minded could, by such measures, be enormously diminished.
出典: Marriage and Morals, 1929.
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ラッセル『結婚論』第十八章 優生学 n.2

『結婚論』第十八章 優生学 n.2:産児制限と中絶

優生学の主題については,特に大量のナンセンス(無意味な戯言)が書かれてきた。優生学の主唱者(擁護者)の大部分は,十分な生物学的基礎の上に,それほど確実でないいくつかの社会学的な命題を付け加える(付け加えている)。たとえば,美徳は収入に比例する;貧困の遺伝(あまりにもありふれている!)は,法律的な現象ではなく,生物学的な現象である。ゆえに,貧乏人の代わりに,金持ちを説得して子供を生む気にさせることができれば,誰もが金持ちになれるだろう,とかいうものである。金持ちよりも,貧乏人のほうが子供をたくさん生むという事実について,(優生学の主唱者/擁護者は)大騒ぎをしている。私は,この事実をあまり残念だと思う気になれない。金持ちのほうが,何らかの点で貧乏人よりもすぐれている,という証拠が私にはまったく見つからないからである。仮に嘆かわしいことであるとしても,ひどくまじめに残念がる事柄ではないだろう。それは,事実,数年の遅れがあるにすぎないからである。(即ち)貧乏人の間でも出生率は減少しており,現在では,九年前の金持ちの出生率に劣らず低いものになっている。(原注:ユーリウス・ヴォルフ『新しい性道徳と今日の出産問題』1928年刊, pp.165-167)

 確かに,望ましくない種類の特異な出生率を作り出す要因はいくつかある。たとえば,政府や警察当局が,産児制限の情報を入手することを困難にすれば,その結果は,一定の水準以下の知能の人々はこの情報を入手することができなくなる一方,他の人々に対しては,当局の企ては成功しない,ということになる。その結果,産児制限に関する知識の普及に反対する全ての企ては,知的な人々よりも,愚かな人々がたくさんの子供を持つことにつながるのである。しかし,これは,多分,ごく一時的な要因であるように思われる。というのも,ほどなく,最も愚かな人々でさえ,産児制限の情報を獲得しているか,あるいは 当局の半啓蒙主義(obscrantism)のかなりありふれた結果と思われるが 中絶手術をするのを進んでする人たちを見つけ出しているだろうからである。(原注:ユーリウス・ヴォルフ『前掲書』p.6以降)によれば,ドイツにおける出生率の低下の説明においては,避妊法よりも中絶のほうが大きな役割を果たしている。彼の見つもりでは,今日ドイツでは毎年60万の人工中絶(妊娠中絶)が行われている。英国については,流産が記録されていないので,見つもりがもっと困難である。しかし,実情はドイツとあまり変わらないと考えてよいだろう(問題ないだろう)。

Chapter XVIII: Eugenics, n.2

There has been a quite exceptional lot of nonsense written on the subject of eugenics. Most of its advocates add to their sound biological foundation certain sociological propositions of a less indubitable nature. Such are: that virtue is proportional to income; that the inheritance of poverty (alas, too common!) is a biological, not a legal phenomenon; and that, therefore, if we could induce the rich to breed instead of the poor, everybody would be rich. A great deal of fuss is made about the fact that the poor breed more than the rich. I cannot bring myself to regard this fact as very regrettable, since I see no evidence whatever that the rich are in any way superior to the poor. Even if it were regrettable, it would not be matter for very serious regret, since there is, in fact, only a lag of a few years. The birth-rate diminishes among the poor, and is quite as small now among them as it was nine years ago among the rich.(note: See Julius Wolf, Die neue Sexualmoral und das Geburtenproblem unserer Tage, I928, pp. 165-167.) There are certain factors, it is true, which make for a differential birth-rate of an undesirable kind. For example, when Governments and police authorities place difficulties in the way of the acquisition of birth-control information, the result is that persons whose intelligence falls below a certain level fail to acquire this information, while with others the attempts of the authorities are unsuccessful. Consequently all opposition to the dissemination of knowledge concerning contraceptives leads to stupid people having larger families than intelligent ones. It seems probable, however, that this is a very temporary factor, since before long even the stupidest will have either acquired birth-control information or–what I fear is a tolerably common result of the obscurantism of the authorities–will have discovered persons willing to procure abortion.
[Note: According to Julius Wolf (op. cii., pp. 6 ff.), abortion plays a larger part than contraceptives in accounting for the fall of the birth-rate in Germany. He estimates that there are 600,000 artificial abortions annually in Germany at the present day. It is more difficult to arrive , at an estlmate for Great Britain, owing to the fact that miscarriages are not registered ; but there is reason to think that the facts are not so very different from those in Germany.]
出典: Marriage and Morals, 1929.
詳細情報:https://russell-j.com/beginner/MM18-020.HTM

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