騒音による疲労-聞かないようにしていても・・・

noise-clip 都会で働く人は、勤務時間中ずっと、そして通勤時間中(職場と家庭の間に費やされる時間)はさらにより多く、騒音にさらされる。そういう騒音の大部分は、確かに、意識的には聞かないようにできるようになるが、しかし彼はそれによって疲労が少なくなることはなく、(それどころか)騒音を聞かないようにと意識下で(無意識に)努力をするために、よりいっそう消耗する。
もうひとつ別の、気づかないうちに疲労をもたらすものは、見知らぬ他人がいつもそばにいることである。
出典:ラッセル『幸福論』第5章「疲労」
詳細情報:http://russell-j.com/beginner/HA15-010.HTM

…, all through working hours, and still more in the time spent between work and home, the urban worker is exposed to noise, most of which, it is true, he learns not to hear consciously, but which none the less wears him out, all the more owing to the subconscious effort involved in not hearing it. Another thing which causes fatigue without our being aware of it is the constant presence of strangers.

[寸言]
聞き慣れている音は(大きな音でないかぎり)それほど気にならないし、その音によって疲れることはそれほどない。しかし、聞き慣れない音はなんだろうと気になり、聞き慣れている音でも大きな音はやはり気になり、神経が疲れる。
onara-wo-suruna また、集中して仕事をしいている時には、聞き慣れない不快な音でない限り、周囲の音は余り気にならない。
自分のおならは気にならないが、他人のおならは非常に気になり、失礼な奴だと不愉快になる。ただし、気にいらない人間が何か偉そうなことを言っている時に、誰かがおならをしてその気にいらない話を妨害するとうれしくなる?

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