困難や自分の弱点を克服して成功する喜び-大きな達成感

undo-noryoku_hatttu 私たちは皆、何かを達成すること(or何かに影響力を及ぼすこと)を好むが,権力愛に関するかぎり,何を達成するか(or何に影響力を与えるか)について気にしない。おおざっぱに言って,達成が困難であればあるほど,達成の喜びはますます大きくなる。 人はフライ・フィッシングを好むが,それは難しいからであり,木に止まっている鳥を撃とうとしないのは,易しいからである。 私がこのような例を挙げるのは,これらの事例においては,人は活動の喜び以外の隠れた動機がないからである。
しかし,同じ原理は,あらゆる場合にあてはまる。私の場合,ユークリッドを学ぶまでは算数が好きで,解析幾何を学ぶまではユークリッドが好きだった,というふうであった。
子供は,最初は歩くことを喜び,次に走ることを,その次には跳んだり,よじ登ったりすることを喜ぶ。簡単にできることは,もはや,私たちに権力の感覚を与えてくれない。私たちにぞくぞくするような成功の喜びを与えるのは,新たに身につけた技術か,あるいは,まだあまり自信の持てない技術である。権力ヘの意志が,習得した技術のタイプに応じて無限に適応できる理由は,まさにこの点にある。

success-storyWe all like to effect something, but so far as the love of power is concerned we do not care what we effect. Broadly speaking, the more difficult the achievement the more it pleases us. Men like fly-fishing, because it is difficult ; they will not shoot a bird sitting, because it is easy. I take these illustrations, because in them a man has no ulterior motive beyond the pleasure of the activity. But the same principle applies everywhere. I liked arithmetic until I learnt Euclid, Euclid until I learnt analytical geometry, and so on. A child, at first, delights in walking, then in running, then in jumping and climbing. What we can do easily no longer gives us a sense of power ; it is the newly-acquired skill, or the skill about which we are doubtful, that gives us the thrill of success. That is why the will to power is so immeasurably adaptable according to the type of skill which is taught.
出典: On Education, especially in early childhood, 1926, Pt. 2:Education of character, chap. 6: Constructiveness.
詳細情報:http://russell-j.com/beginner/OE06-010.HTM

[寸言]
自分が才能のある事柄において成功すれば気持ちがよいが,自らの弱点を克服して成功したほうがもっと爽快感を味わうことができる

逆に以前できていたことが少しずつできなくなると少し憂鬱になったり,いつまでも若い時と同じことができるはずはないと諦観を覚えるようになる。そうであっても、死ぬまで、できるだけ自分でできることを多く残したいと考えるが、重い病気になればそれも叶わぬ夢となる。

従って、年をとると「健康第一」が大部分の人の合言葉となる。90歳の老人は「為せば成るなさねばならぬ何事も」などと言わないであろう。70歳を超えれば「(何でも)為せば成る」なんて言わなくなる、また,思わなくなるであろう。言うとしたら自分に対してではなく、他人(特に若い人)に対してであろう。

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