もちろん,身体的な勇気には,もっと受動的な側面もある。(たとえば)けがをしても,大騒ぎしないことである。こういう勇気は、子供がちょっとした災難にあったときなど,過剰な同情を示さないことによって,教えることができる。後年の(大きくなってからの)ヒステリーの大部分は,主として同情を過度に求めることに原因がある。人は,かわいがってほしい,優しく扱ってほしいと期待して,いろんな病気をでっちあげる。こういう気質は,通常,子供がかすり傷や打ち身でいちいち泣いたりしないように元気づけてやれば,ひどくなるのを防ぐことができる。
There are, of course, more passive aspects of physical courage. There is endurance of hurts without making a fuss ; this can be taught to children by not giving too much sympathy when they have small mishaps. A great deal of hysteria in later life consists mainly of an excessive desire for sympathy。
出典: On Education, especially in early childhood, 1926, Pt. 2:Education of character, chap. 4: Fear.
詳細情報:http://russell-j.com/beginner/OE04-110.HTM
[寸言]
ペットのように子供をかわいがる親(特に母親)は子どもが大きくなった時に、自分の子どもへの接し方が間違っていたことに気づくことが少なくない。
「愛情さえあれば知識は問題ではない」と考える親も、その「知性の乏しさ」のためにしっぺ返しを被ることになり易いが、それは「後の祭り」。