新設の財団に自分の名前(ラッセル)をつけることに強く反対したが・・・

BR-Statute_in-the-park02 我々は目的を理解していた。主な目的は真の国際組織を創ることであった。また、達成に向けて努力しなければならないその目的へ向けての長期の手段・方法、それから、我々がそれまで行ってきたような、実行しなければならない活動の輪郭も、我々は理解していた。また、我々の目的を達成するためには巨額の資金を必要とすることも認識していた。同志たちは、私の意志にかなり反して、この財団に私の名前をつけることを強く主張した。私の名前を付け加えると、我々の活動自体を支持してくれる多くの人々に、財団に対する’先入観’を与えることになるだろうということを、私は理解していた。そういうことをすれば、立派に設立された、尊敬すべき諸団体に’先入観’を確実に与え、また英国内の多数の個人に確実に’先入観’を与えるだろう。我々を財政的に支持してくれる地位にある人々に対しては、特にそうである。しかし同志たちは、私は長年平和活動を行なってきており、最近は彼らの支援を受けており、、またその活動は私(ラッセル)の名前と結びつけて認識されきたのであるから、私の名前をはずすことは活動を後退させること意味するだろう、と強く主張した。そうすることは賢明なことであるかどうかはいくらかまだ疑わしいけれども、彼らがそう言ってくれるのをうれしく思った。しかし最後には私も同意した。けれども、我々の組織のために慈善団体としての法的身分を求めることを決めた時、私の名前(個人名)を冠した団体はどんな組織であれ、英国内で慈善団体としての法的身分を取得することは不可能だろうということが、私自身だけでなく私の友人たちにも明らかになった。
BR-Statute_in-the-park 最終的に、事務弁護土は、2つの財団をつくることによって妥協することを私たちに提案してくれた。即ち、バートランド・ラッセル平和財団と大西洋平和財団の2つで、後者の太平洋平和財団については慈善団体の資格を取得した。これら2つの財団はたがいに協力しあって仕事をすることになっていたし、現在でもそうしているが、後者(大西洋平和財団)の目的は純粋に教育的なものであった。その趣旨とするところは、関係諸地域における戦争と平和に関する問題の調査研究を定着させ、調査研究の機会及び調査研究の結果を出版する機会を創りだすことであった。英国慈善委員会は、本財団を慈善団体として登録してくれたので、7年契約(注:7年間に渡って毎年寄付金を出してもらう約束)でなされたいかなる寄付金も、通常のレートで課された所得税はあとでは取り戻すことができ、そのことは、財団への寄付金額が約6割増えることを意味している

We knew our aims – chief of which was to form a really international organisation – and the long-term means towards them that we must strive to achieve, and the outlines of work that we must carry on, work such as we had been carrying on for some time (Allen & Unwin paper ed. は ‘sime’ と誤植). We also recognised the fact that the attainment of our purposes necessitated vast sums of money. Rather against my will my colleagues urged that the Foundation should bear my name. I knew that this would prejudice against the Foundation many people who might uphold our work itself. lt would certainly prejudice well-established and respectable organisations and, certainly, a great number of individuals in Britain, particularly those who were in a position to support us financially. But my colleagues contended that, as I had been carrying on the work for years, helped by them during the last few years, and my name was identified with it in many parts of the world, to omit my name would mean a set-back for the work. I was pleased by their determination, though still somewhat dubious of its wisdom. But in the end I agreed. When, however, we decided to seek charitable status for our organisation, it became evident to my friends as well as to myself that it would be impossible to obtain it in Great Britain for any organisation bearing my name.
Finally, our solicitors suggested that we compromise by forming two Foundations: The Bertrand Russell Peace Foundation and the Atlantic Peace Foundation, for the second of which we obtained charitable status. These two Foundations were to work, and do work, in co-operation, but the latter’s objects are purely educational. Its purpose is to establish research in the various areas concerned in the study of war and peace and the creation of opportunities for research and the publication of its results. As the Charity Commission registered this Foundation as a charity, income tax at the standard rate is recoverable on any subscription given under a seven-year covenant, which, in turn, means that such subscriptions are increased by about sixty per cent.
出典: The Autobiography of Bertrand Russell, v.3:1944-1969 ,chap4:The Foundation,(1969)
詳細情報:https://russell-j.com/beginner/AB34-090.HTM

[寸言]
RedLionSquare-BR2 中立的な平和団体と思ってもらうためには、個人の名前(「ラッセ」ル)冠することは避けなければならないと,ラッセル平和財団(The Bertrand Russell Peace Foundation)という名前をつけることにラッセルは強く反対した。しかし,ラッセル支持者たちは、「ラッセル」の名前がつかなければ意味がないとこれまた強く主張したために、最終的には、大丈夫だろうかと心配をしながらも、承諾した。
ただし、個人名を冠したものは、英国の税制上、慈善団体として扱われず寄付金に標準的な所得税がかかってしまうことが判明した。そこで、ラッセル平和財団とは別に、戦争と平和に関する問題の調査研究とその成果の出版という純粋に教育的な性格を有する大西洋平和財団(The Atlantic Peace Foundation)を別に創設することになった。

なお、The Bertrand Russell Peace Foundation は現在でも活発な活動をしており、Web site は次のページにある。
http://www.russfound.org/

The Atlantic Peace Foundation については、次のページに 少し情報があるが,活動状況は不詳である。(休眠状態か?)
http://www.uia.org/s/or/en/1100020379