第16章 権力哲学, n.5

 プラグマティズムは、そのある形態のものは、権力哲学(の一つ)である。プラグマティズムにとって、一つの信念は、その(信念を持つことの)結果が心地よいものであれば「真である(正しい)」。今や,人間は,一つの信念の結果を快にも不快にもすることができる。君が独裁政権下に生きている場合、独裁者の優れた長所を信じるほうが、信じないよりは,もしあなたがその独裁者のもとで生きているのであれば,より心地よい結果を得ることができる。迫害が効果的に行われているところでは官製(政府公認)の信条は、プラグマティズムの意味での「真理(真実であること)」となる。従って,プラグマティズムの哲学は、権力を持っている人に形而上学的な全能(性)を与えるものであり、そのような全能(性)はもっと普通の哲学(に)は与えることのできないものである。私は,プラグマティストの大部分が自分たちの哲学のこのような結果を認めていると示唆しようとしているわけではない。私はただそれらがプラグマティズムの哲学の結果である,プラグマテイストが普通の真理観を攻撃していることは権力愛の結果だ,と言っているだけである。ただし,彼らの権力愛は、もしかすると,他の人間に対する権力愛というよりも、むしろ、無生物の自然(物理的自然)に対する権力愛かも知れない。

Chapter 16: Power Philosophies, n.5 Pragmatism, in some of its forms, is a power-philosophy. For pragmatism, a belief is ‘true’ if its consequences are pleasant. Now human beings can make the consequences of a belief pleasant or unpleasant. Belief in the superior merit of a dictator has pleasanter consequences than disbelief, if you live under his government. Wherever there is effective persecution, the official creed is ‘true’ in the pragmatist sense. The pragmatist philosophy, therefore, gives to those in power a metaphysical omnipotence which a more pedestrian philosophy would deny to them. I do not suggest that most pragmatists admit these consequences of their philosophy; I say only that they are consequences, and that the pragmatist’s attack on the common view of truth is an outcome of love of power, though perhaps more of power over inanimate nature than of power over other human beings.
 出典: Power, 1938.
 詳細情報:https://russell-j.com/beginner/POWER16_050.HTM