競争にあけくれる社会 -「一億総活躍社会」は誰のため!?

VIRTUE 何らかの偉大な科学的な発見や発明をしようと実験に従事している人は、家族に貧乏を耐えさせたとしても、その努力が最後の成功で報いられる(名誉を与えられる)ならば、後に非難されることはない。しかしながら、もしも彼が試みている発明や発見に成功しないと、世間は彼のことを’変わり者’だと言って(自分の家族を犠牲にしていることを)強く非難する。(しかし)それは、不公平であると思われる。なぜなら、そういう企てをする場合、だれも、前もって成功を確信することはできないからである(注:即ち、成功して誉められた人も、成功しない可能性だってあったはずであるため)。
出典:The Conquest of Happiness, 1930, chap. 11: Zest
(イラスト:Bertrand Russell’s The Good Citizen’s Alphabet, 1953)
詳細情報:https://russell-j.com/beginner/HA22-060.HTM

The man who is engaged in experiments with a view to some great scientific discovery or invention is not blamed afterwards for the poverty that he has made his family endure, provided that his efforts are crowned with ultimate success. If, however, he never succeeds in making the discovery or the invention that he was attempting, public opinion condemns him as a crank, which seems unfair, since no one in such an enterprise can be sure of success in advance.

[寸言]
abyss_of_inequality 世間は成功者や競争の勝利者を褒め称え,失敗した者や競争の敗者に冷たい。競争を奨励しなければ人類は繁栄できないからとでも言うのであろうか。しかし,他人に対してはそういった冷たい態度をとれても,肉親や親しい友人であればそのような態度はとれない・とらないだろう。
自己利益・国益を追求する社会と共存・共栄・地球益を求める社会との違いか?
競争があれば「必ず」勝者が存在する。だから,努力すれば必ず成功する・報われるという幻想をいただいてしまう。敗者のほうが圧倒的に多いはずだが,支配統治・管理する立場にいる者は,競争を礼賛する。配下のものが競争してくれたほうが自分の利益が増えるからである。組織の利益が自分の利益に直結するからである。