長男と長女の大学の費用を『西洋哲学史』の原稿料で工面

DENIED-A しかし,この頃には,ニューヨーク市立大学関係の騒動もおさまり始め,時折,ニューヨークやその他の地域で講演をする契約をすることができた。解禁第一号は,ブリン・マー女子大学のワイス教授から同大学で連続講義を頼みたいとの誘いであった。これは,少なからず勇気を必要とした。ある時は非常に貧しかったので,ニューヨークまでの片道切符を買い,帰りの乗車賃は,もらった講義の報酬で支払わなければならなかった。
私の『西洋哲学史』がほぼ完成した。そこで,アメリカにおける私の著書の出版者である W・W・ノートンに手紙を書いて,私の困難な家計状況を考慮して,『西洋哲学史』(の印税=原稿料)の前払いをしてくれるかどうかを尋ねた。ノートンは,ジョーンとケイトに対する愛情から,また旧友に対する好意として,500ドルを前払いしよう,という返事がきた。私は,他ならもっと支払ってもらえるだろうと考え,個人的には未知の間柄であったが,サイモン・アンド・シュスター(訳注:Simon and Schuster 社の社主=兄弟)に働きかけてみた。彼らはただちに即金で2,000ドル,半年後にさらに1,000ドルを支払うことに同意してくれた。当時,ジョンはハーバード大学に,ケイトはラドクリフ女子大学に在学中だった。資金不足から,やむなく二人を退学させなければならないかもしれないと心配していたが,サイモン・アンド・シュスターのおかげでその必要はなくなった。私は当時,個人的に親しい友人からも借金をして助けてもらっていたが,幸いに,ほどなく返済することができた。

But by this time the trouble about City College had begun to blow over, and I was able to get occasional lecture engagements in New York and other places. The embargo was first broken by an invitation from Professor Weiss of Bryn Mawr to give a course of lectures there. This required no small degree of courage. On one occasion I was so poor that I had to take a single ticket to New York and pay the return fare out of my lecture fee. My History of Western Philosophy was nearly complete, and I wrote to W. W. Norton, who had been my American publisher, to ask if, in view of my difficult financial position, he would make an advance on it. He replied that because of his affection for John and Kate, and as a kindness to an old friend, he would advance five hundred dollars. I thought I could get more elsewhere, so I approached Simon and Schuster, who were unknown to me personally. They at once agreed to pay me two thousand dollars on the spot, and another thousand six months later. At this time John was at Harvard and Kate was at Radcliffe. I had been afraid that lack of funds might compel me to take them away, but thanks to Simon and Schuster, this proved unnecessary. I was also helped at this time by loans from private friends which, fortunately, I was able to repay before long.
出典: The Autobiography of Bertrand Russell, v.2 chap. 6: America, 1968]
詳細情報:http://russell-j.com/beginner/AB26-070.HTM

[寸言]
ラッセルは英国人であるので、当然のこと、自分の著書は「まず」英国で出版し(あるいは英米同時に出版し),その後、各国で翻訳版がだされてきた。
TP-PI しかし、戦争の関係で2度、英国での出版は後回しになり、海外(米国)で最初に出版された。
それは、第一次世界大戦中の1917年に出された Political Ideals と、第二次世界大戦中の1945年に出された A History of Western Philosophy である。Political Ideals の方はラッセルの反戦運動のために英国で出版できず、結局英国で最初に出されたのは 1963年のことであった。A History of Western Philosophy の方は、ラッセル一家が米国滞在中であり、子供が米国の大学に通う費用を捻出するために、まず米国で出版されたしだいである。なお、『西洋哲学史』の出版経由を知らない人が多く、初版の出版年を1946年と書いている人も少なくない。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です