子育てのためにお金を稼ぐ必要が生じて ーベストセラー本の執筆


CARNVOEL (長男が生まれた)1921年の秋から1927年の秋までの6年間の生活全てが,一つの長いロマンチックな物語(夏の田園詩)だったと想像してはならない。親であるということが,金を稼ぐということを不可避なものとした。二軒の家の購入(写真:1922年春,子どもたちのために購入したコーンウォールの田舎の別荘 ‘Carn Voel’ )によって,私に残っていた資産のほぼ全てを使い尽くしてしまった。中国から戻った時,私には金を稼ぐはっきりした手段をまったく持っていなかった。それで,当初は,かなり心配でならなかった。臨時の新聞雑誌関係の(ジャーナリスティックな)仕事は,どのようなものでも引き受けた。息子のジョンが生まれようとしていた頃,中国人の娯楽としての花火大会に関する記事を一つ書いたが,そのような状況において,(そういった)まったくかけ離れた話題に精神を集中することは困難であった。
TPJ-PC 1922年中国に関する著書The Problem of China/理想社版の邦訳書名『中国の問題』)を,1923年に(妻のドーラと共著で)『産業文明の前途』The Prospects of Industrial Civilization)を出したが,どちらもたいしてお金にならなかった。それよりもよく売れたのは,1923年の『原子のABC』(The ABC of Atoms)と1925年の『相対性理論のABC』(The ABC of Relativity)という2冊の小著,それから,1924年の『イカルス,即ち科学の将来』(Icarus, or the Future of Science)と1925年の『私の信条』(What I Believe)という2冊の小著であった。1924年には,アメリカヘの講演旅行でかなりの収入があった。しかし,1926年教育に関する本を出すまでは,どちらかというと貧乏(な状態)が続いた。その後1932年までは,特に1929年の『結婚と道徳』(Marriage and Morals)と1930年の『幸福論』(The Conquest of Happiness/『幸福の獲得』)がよく売れたため,経済的に豊かであった。この数年の間の著作のほとんどは一般向きの(通俗的な)ものであり,またそれはお金を稼ぐために執筆したものであった。しかし,より専門的な著作も何冊か執筆した。1925年に『プリンキピア・マテマティカ』の新版Principia Mathematica, 2nd ed.)を出し,その新版には多くの増補をした。1927年には『物質の分析』The Analysis of Matter)を出版したが,この本はある意味では獄中で書き始めて1921年に出版した『精神(心)の分析』The Analysis of Matter)の姉妹書と言える。

It must not be supposed that life during these six years from the autumn of 1921 to the autumn of 1927 was all one long summer idyll. Parenthood had made it imperative to earn money. The purchase of two houses had exhausted almost all the capital that remained to me. When I returned from China I had no obvious means of making money, and at first I suffered considerable anxiety. I took whatever odd journalistic jobs were offered me: while my son John was being born, I wrote an article on Chinese pleasure in fireworks, although concentration on so remote a topic was difficult in the circumstances.

In 1922 I published a book on China, and in 1923 (with my wife Dora) a book on The Prospects of Industrial Civilization, but neither of these brought much money. I did better with two small books, The A.B.C. of Atoms (1923) and The ABC of Relativity (1925), and with two other small books, Icarus or The Future of Science (1924) and What I Believe (1925 ) . In 1924 I earned a good deal by a lecture tour in America. But I remained rather poor until the book on education in 1926. After that, until 1933, I prospered financially, especially with Marriage and Morals (1929) and The Conquest of Happiness (1930) . Most of my work during these years was popular, and was done in order to make money, but I did also some more technical work. There was a new edition of Principia Mathematica in 1925, to which I made various additions; and in 1927 I published The Analysis of Matter, which is in some sense a companion volume to The Analysis of Mind, begun in prison and published in 1921.
出典: The Autobiography of Bertrand Russell, v.2 chap. 4: Second Marriage, 1968]
詳細情報:https://russell-j.com/beginner/AB24-030.HTM

[寸言]
FAM-1924 長男(1921年11月)に続き長女(1923年12月)も生まれ、子供を育てるという親の責任を果たすために、お金を稼ぐ必要がでてくる。(写真:1924年時のラッセル一家)
そうして、一般向きの売れそうな本も積極的に執筆するようになる。
1931年までに出した一般向けの本(いわゆる popular books)は以下のとおり。

・『原子のABC』,1923.
・『科学の将来』,1924.
・『私は信ずる(私の信条)』,1925.
・『相対性理論入門』,1925.
・『教育論』,1926.
・『ラッセル著作選』,1927.
・『哲学概説』,1927(邦訳書名:『現代哲学』)
・『懐疑論』,1928.
・『結婚論』,1929.
・『幸福論』,1930.
・『科学的見方(科学の眼)』,1931.

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。