知的戯言の概要(1943) n.61(完)

 そういった信仰が、冷徹な科学によってすっかり置き換えられてしまえば、恐らく世界は、その興味のいくつかと多様性を失うことであろう(Pehaps + would)。もしかすると(Pehaps)、私達は、アブセダリアンズ(Abecedarians)のことを喜ぶことを自分自身に許してしまうかも知れない。彼らは、あらゆる冒涜的な(profane 神聖を汚す)学習を拒否し、ABCを学ぶのは邪悪であると考えたために、そう呼ばれたのである。そうして、私達は、ナマケモノがノアの洪水以後どうやってアララト山からペルーまでの旅 -大洪水以降、旅行は、移動の極度の遅延によってほとんど信じられないほどになった(はずである)- ができたのか疑問に思ったイエズス会士の当惑を楽しむかも知れない。
賢明な人間は、豊富に供給される財貨(goods)を享受するだろうし、知的なゴミのようなもの(財貨)からも、 他の時代と同様、現代においても、豊富な食事(味わうもの)を見つけるだろう。
(参考:助動詞のmayの意味を使い分ける!知っておくべきポイントとは?
→ https://kimino-school.com/study/post-2660/)

Outline of Intellectual Rubbish (1943), n.61
Perhaps the world would lose some of its interest and variety if such beliefs were wholly replaced by cold science. Perhaps we may allow ourselves to be glad of the Abecedarians, who were so called because, having rejected all profane learning, they thought it wicked to learn the ABC. And we may enjoy the perplexity of the South American Jesuit who wondered how the sloth could have traveled, since the Flood, all the way from Mount Ararat to Peru — a journey which its extreme tardiness of locomotion rendered almost incredible. A wise man will enjoy the goods of which there is a plentiful supply, and of intellectual rubbish he will find an abundant diet, in our own age as in every other.

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