ラッセルにおける「回心」-内省の5分間の後、帝国主義者から平和主義者に

kaisin そうした内省の5分間が過ぎた時,私はまったく違った人間になっていた。しばらくの間,一種の神秘的な’啓示’が私を捉えた。私は,通りで会うあらゆる人々の’心の奥底の思い’がわかるように感じた。それはもちろん錯覚ではあるが,しかし実際に,友人すべて及び知人の多くの人々の心に,以前よりもずっと親密に触れあえるのがわかった。それ以前は帝国主義者であったが,その5分間の間に,ボーア人の味方となり,平和主義者となった。長年の間,ただ’精確さ’と’分析’をのみ好んできたが,(5分の内省の後)美に対する半ば神秘的な感情,子供に対する強い関心,また,(苦しい)人生を堪えることができる何らかの哲学を見いだしたいという’釈迦’(ブッダ)の場合と同じような深い望みに満たされている自分を発見した。不思議な興奮が私を捉えた。それには,大きな苦痛が内に含まれてはいたが,また同時に,自分は苦痛を支配することができ,その苦痛を’叡智への門’とすることができる --私はその時そう思ったのであるが--,という事実ゆえに,一種の勝利感すら含まれていた。その時たしかに自分は所持していると思った’神秘的な洞察力’もその後かなり色あせ,分析の習慣が再び自己主張し始めた。しかしあの瞬間に確かに自分が悟ったと思うことの幾つかは,いつも心の底に残り,それが,第一次世界大戦中の私の態度,子供への興味,小さな不幸に対する無頓着,及び,私の人間関係すべてにおけるある’感動しやすい情的な傾向’を,私にもたらしたのである。

budhaAt the end of those five minutes, I had become a completely different person. For a time, a sort of mystic illumination possessed me. I felt that I knew the inmost thoughts of everybody that I met in the street, and though this was, no doubt, a delusion, I did in actual fact find myself in far closer touch than previously with all my friends, and many of my acquaintances. Having been an Imperialist, I became during those five minutes a pro-Boer and a Pacifist. Having for years cared only for exactness and analysis, I found myself filled with semi-mystical feelings about beauty, with an intense interest in children, and with a desire almost as profound as that of the Buddha to find some philosophy which should make human life endurable. A strange excitement possessed me, containing intense pain but also some element of triumph through the fact that I could dominate pain, and make it, as I thought, a gateway to wisdom. The mystic insight which I then imagined myself to possess has largely faded, and the habit of analysis has reasserted itself. But something of what I thought I saw in that moment has remained always with me, causing my attitude during the first war, my interest in children, my indifference to minor misfortunes, and a certain emotional tone in all my human relations.
出典: The Autobiography of Bertrand Russell, v.1, chap. 6: Principia Mathematica, 1967]
詳細情報:https://russell-j.com/beginner/AB16-040.HTM

[寸言]
EVELYN2 ラッセルは,1901年春(ラッセル29歳の時)、(好意をよせていた)ホワイトヘッド夫人が心臓病で苦しんでいる姿を目の当たりにしながら何も助けてあげられないという体験から、人間の孤独をしみじみと感じ、帝国主義的な考え方から平和主義的な考え方に「回心」する。
ここでの「平和主義」は「理論的な」また「絶対的な」平和主義者ではなく,「心情的な」,「平和を優先する」という意味での平和主義
ラッセルは後に,ヒットラーを打倒するために,第2次世界大戦を支持したことから,「平和主義者」として一貫していないと非難された。それに対しラッセルは,防衛のための戦争の中にはやむを得ないものもあることから,「自分は’理論的な’絶対平和主義者であったことは一度もない」と弁明した。
しかし,アメリカに続いてソ連も核兵器を保有するようになってからは,特に1953年のビキニの水爆実験以後は,いかなる小規模な戦争も核戦争に発展する可能性があるということで,’実質的な’平和「主義者」として,死ぬまで反戦・反核活動に尽力した。

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