ラッセル 私の哲学の発展 第14章 普遍者、個別者、固有名 n.2

 私は、これらの伝統的な見解のいくつかを寓話の形で雑誌 「ポレミック」 (Polemic) に記述した (1946年,第2号, pp.24-25)。) 「かつて(昔々),様々な学派の哲学者達の一行がヨーロッパ大陸の辺鄙な地方を旅行していました。彼らはつつましやかな(質素)な宿屋を見つけ 食事を注文しました。宿屋の亭主は牛肉の骨付き肉(a joint of beef)を出しますと約束しました。しかし、出てきた骨付き肉はいかにもまずそうでした(食欲をそそられないものでした)。ヒュームの信奉者で旅行の経験を積んでいたひとりの哲学者が、亭主(mine host) を呼んでこう言ました。 「これは 牛肉ではない、馬肉だ!」  彼はその宿屋の亭主が、昔はもっと盛んに商売をしていたが、哲学に凝ったために仕事を疎かにして落ちぶれた人だということを知りませんでした。それで亭主が次のように返事した時には驚きました。 「意味不明のことをあなたが言われるので、私は驚いています。あなたがた(哲学者の方々)の御意見によれば、「牛肉」や「馬肉」とはどちらも単なる言葉に過ぎず、非言語的世界における何ものも指示しません(そのようにあなた方は言っています。) 従って、牛肉であるか馬肉であるかの争いは、ただ言葉(上)の争いに過ぎないことになります(なるはずです)。 もしあなたが「馬肉」という言葉を好むのであればそれで結構です。 しかし、私としては牛肉という言葉の方がを有利である(profitable そう言ったほうが儲かる)と思っている(発見した)次第でございます。」(訳注:言葉は実体を反映しないのであるのなら、「牛肉」と言ったほうが宿屋の主人としては儲けになる、との屁理屈)  この返事を聞いて全ての哲学者達(いろんな学派の哲学者達)がいっせいに話しはじめた。ロスケリヌス(Roscelin = Roscellinus ロスケリヌス、1050年頃-1125:フランスの哲学者・神学者で唯名論の創始者)の信奉者は言った、「亭主の言うことはもっともだ。 「牛肉」や「馬肉」は人間の息の発した音に過ぎず、いずれの言葉もこの忌むべき固い肉片を指示することはできない」。 プラトン主義者は次のように言い返した。「ナンセンスだ! この骨付き肉は、生きてた時には天上の永遠の馬のひとつの写しであった動物のものだ。天上の永遠の牛の写しだった動物のものではない」。(次に)アウグスティヌス主義者はこう言った、「「牛肉」や「馬肉」は神の精神における一つの観念(イデア)である。また、 私は、牛肉についての神の観念(イデア)はこの(亭主が出した)骨付き肉とは非常に異なったものである確信している」。  哲学者たちの意見が一致しているものがたった一つだけあった。それは、そのようなひどいものを「牛肉」の名のもとに売った人間はいかなる者も詐欺罪で告訴されるべきであるということであった。このことを聞いて亭主は、その地方の治安判事が哲学者ではないことを知っていたので、大いに恐れをなし、別の肉を出し、それは全ての哲学者に満足を与えた。  この寓話のただひとつの要点は、「普遍(者)」の問題はただ単に言葉の問題ではなく、事実を述べようとする試みから生ずる問題であるということである。

Chapter 14: , n.1
There was once a company of philosophers of various schools travelling in an out-of-the-way region on the Continent. They found an unpretentious inn and ordered dinner; the innkeeper promised them a joint of beef. But the joint, when it came, was unappetizing. One of the philosophers, a disciple of Hume and an experienced traveller, summoned mine host and said: ‘This is not beef, it is horse.’ He did not know that the innkeeper had seen better days, but had neglected his affairs and come down in the world through devotion to philosophy; he was therefore amazed when the innkeeper replied: ‘Sir, I am surprised to hear you saying something which you believe to be devoid of meaning. “Beef” and “horse”, according to you, are only words, and do not denote anything in the non-linguistic world. The dispute is therefore only about words. If you prefer the word “horse”, well and good; but I find the word “beef” more profitable.’ This reply set all the philosophers talking at once. ‘The innkeeper is right,’ said a disciple of Roscelin, ‘ “beef” and “horse” are only sounds uttered by human breath, and neither can denote this abominable piece of very tough meat.’ ‘Nonsense,’ retorted a Platonist, ‘this joint comes from an animal which, when alive, was a copy of the eternal horse in heaven, and not of the eternal ox.’ An Augustinian remarked: ‘ “Beef” and “horse” are ideas in the mind of God, and I am sure the divine idea of beef is something very different from this.’ There was only one point on which they were all agreed, and that was, that any person who sold such nasty stuff’ under the name of ‘beef’ deserved to be prosecuted for fraud. At tlhs the innkeeper, who knew the local magistrate to be no philosopher, became frightened, and produced another joint, which gave universal satisfaction. The sole point of this parable is that the question of ‘universals’ is not merely one of words, but one which arises through the attempt to state facts. Source: My Philosophical Development, 1959, by Bertrand Russell More info.https://russell-j.com/beginner/BR_MPD_14-010.HTM


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